コンクリートの上を歩く

会えなくなってどのくらい経つのでしょう?
出した手紙は今朝ポストに舞い戻ることはなく、InstagramのDMは24時間以内にちゃんと返ってくる。

君にはもう2年会っていないけど、私は狂おしいほど君に会いたい訳ではなく、人生で1番充実した日々を過ごしている。
君に会う事以外特に重要に思える事がなく生きていた私にとって、それは本当に本当に幸せな事なのだ。

私は、君といる間自分の人生を止めていた。
なんとか君の人生の中に自分の人生を見出そうとしていた。君の人生の中に、なんとか自分の居場所を見つけてそこで生きようとしていた。そこで生きたかったのだ。自分の人生は捨ててもよかった。だけど、君は私に人生を乗っ取られる前に大急ぎで逃げ出した。

今思えば、その選択には本当に感謝。
たぶん、あのまま君が私に人生を乗っ取られていたならば、私は君に人生を乗っ取られ気になり君を恨んでいただろう。嫉妬や恨みで美しさが失われ、痩せ過ぎるか、太り過ぎた醜い私になってしまった事を、全て君のせいにして。

私が君を恨む直前で君が私の前から姿を消した事で、私は君を恨む事もできず、そして嫌いになることなんてもちろん出来ず、愛はなかなか消える事がなかった。消えてはいかなかったけど、5年も経てば記憶は薄れ匂いは完全に忘れてもう思い出すことは不可能だった。香水とかつけるタイプじゃなくて良かった、と思った。
私は君に色々な匂いの記憶を刻んだハズだから、どうかあの時の私の香りが若い子にまた流行りますように。夏はココナッツの香りで私思い出しますように。
そんな事ももう思わなくなったし、
流石に毎日1人で眠る事に慣れたというより、それが当たり前でしか無さ過ぎて、気配の君と寝る事なんてとっくに無くなった。

そう。私は完全に君を忘れたのだ。

ある占い師は言った。
『彼の役目はここまでですね。もう役目が終わったから、仕方なく彼は去ったのです』

私は、彼と出会い、何を学んだかよく理解しているつもりだ。出会いには確実に意味があった。
私は、間違いなく、どうしても抗えない特別な大きな愛に出会い、そしてそれを失い、立ち直り、その愛より素晴らしいものを人生の中に見つける為にこの人生を旅している。
その素晴らしいものを、より素晴らしいものだと感じる為には、失う愛は完璧に私の心を奪うものでなくてはならないはずだ。だって、そこに不足があったら、もっと大きな愛を見つけたくなってしまうかもしれないから。いやよく出来ていますよ。人生のシナリオは本当に素晴らしい。
自分で書いてきたシナリオ。やっぱり私って天才だな。

そんな風に思っていたのに、21日瞑想プログラムが私の甲羅を剥がした。瞑想1日目に出てきたのは、お母さんが私を優しく呼ぶ声だった。後にも先にもお母さんしか呼んだ事がない私のあだ名で呼ぶ声だった。

物心ついた時から、私は外の世界から歓迎されていなかった。今なら、それは私がそーゆう思い込みにより作り出していた世界だと分かるけど、とにかく私は誰とも上手くやれなかった。

小学生のとき、担任の先生には、あまり何を考えているか分からない、笑わないし、協調性がない、と言われた。お母さんは、家ではよく笑うし明るい子です。と言っていた。笑
私は、家でお母さんがこんなに愛してくれているのに、外では全然愛されていなくて、その事がすごく情けなかった。お母さんに悪いな、と思った。お母さんが愛してくれたのに、他の人には愛されなくてごめんね。
私は、外でも愛される私になろう。と、幼い小さな心で決めて今まで生きてきたんだと思う。
私はその夜、お母さんだけが呼んだそのあだ名で自分を呼んだ。心の中で小さな声で。

瞑想2日目の夜、私は君に会いたい事を思い出した。なぜ忘れていたのか分からないくらいにハッキリと。意味かないから、過去の事だから?前向きじゃないから執着だから?思考の声があまりに多すぎて、心当たりがあり過ぎる。忘れなきゃいけない正当な理由は溢れている。
なにより、忘れた方が成長した気がするでしょ?
生まれ変わった感じがするでしょ?
なんか目覚めた感じでかっこいいでしょ?

人生は思ったより思考の声がうるさくて、
危うく変化を進化だと勘違いしている。思考が邪魔した後退にも関わらず。

揺れることを『ダメなこと』とし過ぎている。揺れるのが人生だ。誰かに会いたいと思うのが素晴らしい人生だ。だけど誰かに会いたくて心が揺れなくなったことを喜んでいる私は、コンクリートだらけになって歩きやすくなった事に喜んでいる愚かな現代人代表だ。
ほんとうにバカバカしくて、笑える。

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