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学校生活の小さな「理不尽」

こんにちは、麦原です。
小学校で教員を11年間していました。
教師になって最初の年に、校内で力のある先生と学年を組みました。その先生は、校内の公務分掌でも重要な役割を任されているような「すごい」先生でした。それなのに全く偉そうにしておらず、子どもたちが目をキラキラさせて「〇〇せんせーい!あーそーぼ!」と休み時間に誘いに来るような素敵な雰囲気を持っていました。

その先生にたくさんのことを教えてもらいました。
授業のやり方や保護者とのかかわり方、行事の準備など…大学を卒業したててで担任となり、まさに右も左も分からない私にとって
その先生が「先生」でした。

中でも私が一番心に残っているのは
「大人も子どもも心は同じだから、どの子にも大人に接するように接することが大切だよ。」という教えです。

学校生活の中にはたくさんの理不尽があります。
例えば
「昨日は怒られなかったけれど、今日は怒られた」とか
「あの子は注意されないのに、ぼくは注意された」とか…
一つ一つは小さな違和感ですが、こういったことは日常の中にたくさん隠れています。

特に
先生の気分とか、その子のキャラクターによって対応が変わることは
子どもたちにとって納得できないもので、すごくストレスだと思います。

教師になりたての年に学校現場に入って私もこの「小さな理不尽さ」を目の当たりにしました。先生の都合や機嫌で対応が変わっても、文句を言わずにいる子どもたちの健気な姿を見るたびに、「子どもだからと甘えすぎじゃないか」とモヤモヤしました。

そして、教員を続けていくうちに私も子どもを子ども扱いするような教師になってしまうのでは…と怖くなったのを覚えています。

先生は、毎日クラスの子どもたち40人ほどの前で話すことができます。特に努力しなくても、みんな聞いてくれます。…聞いていないと怒られちゃいますしね。
でも、よく考えると40人の人に話を聞いてもらうってすごいことです。
先生をしていると、それが「当たり前」になってしまいがちだけれど、決して当たり前じゃないなと思いました。

児童を「子どもだから」と甘く見ずに、ひとりの人間として大切に接すること。
…これが学校生活の小さな「理不尽」を減らすために、担任ができる唯一のことではないかと個人的には思っています。
間違えたら謝る、傷つけないように言い方を気を付ける、どの子にも同じように接する…

子どもの健気さに甘えず、それぞれを大切な個人としてとらえておくことが大切だと初任者の年に教えてもらえて
私はとってもラッキーだったなあと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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