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「どうしてあの子が急に不登校?」

小学校で約10年、教員をしていました。
たくさんの子どもに出会い、たくさんの話をしました。
当たり前ですが、子どもたちはみんなそれぞれです。
素直な子、あまのじゃくな子、大人しい子、活発な子・・・教室は、まさに金子みすずさんの詞のように「みんなちがってみんないい」場所でした。

みんな違っていいのですが、中には「みんなと同じでなければならない」という思いが強い子どももいます。
思いやりがあったり、誠実であったりすると、よりこの気持ちが強まるのかもしれないなと感じます。

子どもの世界の小さな「不自由さ」


「本当はやりたくないのに、
みんながやっているからやらなくちゃならない」

子どもの世界にはこういう場面が散らばっているように思います。

休み時間の一年生。
外から見るとみんな自由で楽しそう。
でもその中には、本当は一人で読書がしたいけれど、
友達に誘われたから校庭で鬼ごっこをしている子がいるはずです。
「好きなことをしな!」と大人は言うけれど、子どもの世界にも「付き合い」とか「力関係」などがしっかりと存在しているのです。

少しずつ疲れていく心


そういった目に見えないけれど確かにある「不自由さ」は、ストレスになります。
ストレスをうまく発散させられたり、そもそもあまり気にしない性格だったりすると日常の中で折り合いをつけながら過ごしていくことができるかもしれません。

しかし、そうできなかった場合は
ゆっくりと少しずつ疲れがたまり、真面目で柔らかい子どもの心を重くしていきます。

「学校に行きたくない」の気持ちも出てくるはずです。
でもそこで本人を苦しめるのが「みんなと同じにしなくては・・・」の思いです。
休みたい、休んだら楽だなあという気持ちと
休んじゃだめだという気持ちのせめぎあい。
これで心の疲れはさらに深まってしまうのだと思います。

急に不登校になったように見えても・・・


大人からすると
「今まであんなに楽しそうにしていたのに、なぜ急にあの子は不登校になったのだろう。」
という場合も、多くは子ども自身が頑張って無理をしていたことが多いように私は思っています。

どうしてあの子が?というような場面では、
大人たちはその原因をすぐに特定しようとすると思います。
その原因をすぐに解決して、その子が安心して学校に通えたらいいと思うからです。

しかし、その原因はなかなか言語化することが難しい・・・。
子ども社会の目に見えない「不自由さ」や、その子自身の「頑張り屋な心」、そして「自分自身を責める気持ち」などが複雑に絡み合っているからです。

そして、「自分が学校に行きたくない」と言ったことに対して
先生やお家の人が悩んだり困ったりしているのを見て
より自分を責めてしまうこともあるのだと思います。

子どもに伝えたい一言


そのような場合、
疲れ果てたその子の心をひとまず安心させるのは
「本当のことを言ってくれてありがとう。」
の一言だと思います。

子どもが不登校になりたての時、
先生もお家の人も本音を言えば「学校に通ってほしい」です。
お家の人が味わう、わが子の心も将来も大切だからこその「葛藤」は言葉で表せないものだと思います。
取り乱したり、責めたりしてしまうこともあると思います。
「こういう対応はダメだ」と頭ではわかっていても、わが子を想うあまりに言いすぎてしまうこともあるはずです。

わが子が学校に行かないことを(まだ)受け入れられていなくても
「学校に行きたくない」の本音を言ってくれたことに対して「ありがとう。」と伝えられたら

その子の頑張りすぎて疲れた心は少しだけホッとできるのではないかなと思っています。

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担任として子どもと関わる中で感じたことを
つらつらと書いてみました。
最後まで読んでくださってありがとございます。
三連休、不登校の子とそのおうちの人が少しでもゆったり過ごせますように。

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