「待った」をしたい日々──数学科へ進む人たちへ──

 さのたけとさんの記事「数学者を目指す」を読み返して,自分の二十代,つまり研究者としてなんとかやっていきたいと思っていたころをふっと思い出した.

 自分がなんで研究者になれなかったかといえば,全体的にいろいろ足りなかったからという一言に尽きる.「待った」をかけてやり直せるなら,もうちょっとうまくやれる気はする.さすがに今から数学科に戻って学生生活をやり直そうとかは思わないけれど,今から足腰を鍛え直して研究論文が出せたら,とはちょっと思う.

 余談だけど,大学から出た30歳のときは10年後の40歳までに1本書きたいと思っていた.ぼくと師匠はちょうど20歳違うので,ぼくが40歳のとき師匠は還暦で,まあ「〇〇先生の何歳の誕生日に捧げます」というアレをやりたかったわけだ.なお,ぼくはいま41歳である.

 本当に余談だった.ここからが本題だ.かつてのぼくのように,数学者になりたいと思って数学科の門をくぐろうとしている人もきっといることだろう.そういう時期でもある.4月からの数学科での生活に期待して,準備を進めているころだと思う.なので,学生時分のぼくにはできなかった,今のぼくが注意している「数学を勉強するときの心構え」みたいなものを書いておきたい.とはいえぼくの心構えを聞いたところで役に立つかはまったくわからない.第一,ぼくは数学者になりそこなった人間だ.これは繰り返して書いておく.それでも,他山の石にでもなればうれしい.

今のノートの使い方

 数学の勉強の基本は「テキストを読む」になる.どこかの天才には本が読みにくかったので自分で作り変えて書いたとかいう逸話があるけれど(ちなみにぼくの想定している例ではその本を書いたのも天才です),そんな天才を気にしながら勉強する必要はない.実際にいるんだから稀にはいるけれど,まずないと思ってよい.自分がそうだと思うならこの雑文を読む必要はない.

 テキストを読むとき,どういう風に読むのがいいのかはよくわからない.ぼく個人のことを言えば,基本的に全文写経だ.テキストを広げ,ノートを開いて,英語なら訳しながら書き写す.よほど明白な部分は書かないが,その「よほど明白」の判定基準はそうとう低めに設定してある.

 これはぼくの思考スピードの問題でもあって,書き写すくらいのスピードだと,考えて納得しながら進むのに一番合う気がする.ただ読むと文章を読んで書いてあることを理解するだけで精一杯で,とても批判的に読むことができない

 逆に(テキストを全面的に信頼して)内容を理解すればよいだけであればそのまま読む.電車で数学書を読むときには例えばこういう本を読んでいるが,これはぼくにとっては「おはなし」の類なのでそれでいい.

 ちなみに,ぼくはメインで綴じノートを使っている.B5判の綴じノートを開いて,右ページにテキストを書き写し,左ページには思ったこと,気になったこと,省かれていることを書き込んでいく.こんな感じだ.

ある日の1ページ

 さんざん整理術とか試してみたがどれも続かず,それどころか「何冊も並行して使うとどれがどれか分からなくなる」ということで,今は1冊だけで全部まかなっている.群論も環論も直観精読も自分の勉強も,全部これ1冊だ.

 ノドがきちんと開いてほしいので30枚くらいの薄い糸綴じノートを好んで使っていたら,結構消費スピードは早くなった.見開きが30回分で,直観精読の仕込みとかしていると5~6回分くらい1日で使うこともあるから,半月くらいあれば1冊終わる.あたらしいノートはやっぱりうれしいから,また次々と使う.

 数学科の伝説のような話で「1か月でノート〇冊使った」とかいう話もたまに聞くが,こういう使い方ならありうるかなと思う.たぶん学生さんはぼくより時間をかけて勉強しているはずだから,もっと早くなってもおかしくない.とはいえ,こういうのも気にする必要はまったくない.

テキストにあと一歩踏み込む

 さっきの写真ではたわいもない計算しかしていないけれど,左ページにはだいたいこんなことを書いている.

  • 引用されている主張の書き写し

  • 自分で追いかけた計算過程

  • 定理の例の計算

  • 定理の仮定を外した例の計算

  • 似ている定理の違いの整理

  • 思いついた疑問・問題

いろいろ挙げたが,読んでいて思いついたことはだいたい書き留める.こういうのは思いついたときに書かないとすぐ忘れてしまうし,それがないと読み返しておもしろいノートにならない.右ページは写経部分なのだからテキストとほぼ同じなわけで,実は一期一会なのはそのときの自分がどう思ったかだったりする.

 直観精読シリーズを思いついたのもこのノートのスタイルになってからだった.将棋のプロ棋士が「考えなくても急所に手が伸びる」とか「筋がいい」とよく言うけれど,それがどういうことなのかは下手にはちょっと見えにくい.問題のどこをどういう視点で見て,どこに手が出るかはそれなりに理由があるはずなのだけど,数学教育の現場でも整理された解説を聞くことはあっても,上手の人が実際に初見の問題に接してどう思ったか聞く機会というのは意外とないものだ.だいたい教育の現場では演習問題は教員が用意するわけで,まず「初見の問題に接して」という設定自体が結構ムリがある.ということで,院試問題を例に「ぼくが初見でどう思ったか,その直観をどう整理して解答に落とし込むか」をご覧いただく「直観精読シリーズ」が始まった.

 さらに余談だけれどこのシリーズは「そのときどきのぼくが思ったこと」がメインなので,間隔を空ければ違った感想が出てきたりする(よく言えばそれを成長という)から,だからほぼ同じ問題でも何回か使える.鉱脈を掘り当てた気分である.

 本題に戻ると,テキストを読むときには「テキストに書かれていないこと」を自分で足すように心がけている.別に大したことでなくても構わない.さきの写真だと,設定の整理と行間の計算部分の確認くらいしかしていない.でも,定理に対して例の計算をするとか,仮定を落としてみるとか(仮定を使った場所を精査するとだいたい反例が作れる)「書かれていないこと」は結構いっぱいある.

 1ページ書き写す間に1ページ書き足せる程度の隙ある本が,今の自分にとって相手のし甲斐がある本じゃないかとぼくは思っている.それより少なければ簡単すぎ,多ければ難しすぎるのじゃないかな.それでもそれしか読む本がないというケースは往々にしてあるのだけれど.

「おもしろさ」は自分のもの

 こういうノートの書き方をしていると「何も書くことがないな…」というときもしばしばある.本当にないときもなくはないのだけれど,だいたいは自分がおもしろく感じていないことが多い.計算を埋めるのも例を作るのも,結構手間がかかる.その面倒くささがおもしろさを上回ると,途端に筆が走らなくなる.

 ぼく個人は,反例づくりは楽しいけれど計算埋めは面倒だと感じることが多い.そういう自分の傾向も知っていれば「面倒なことは元気なときにやる」という対処もできる.だから,自分の勉強は夜にやるけれど『解析概論』は日中に読む.解析概論で省かれている計算を自分でやるのは元気なときでも面倒だからだ.

 とはいえ,数学に触れてきて痛感するのは,数学の何を面白いと思うかは本当に人それぞれということだ.数学の本なんて内容が決まっていれば誰が書いても同じだと思うかもしれないが,結構違う.何が違うって,やっぱり本には著者がおもしろいと思うことが反映されているものだから,同じ題材でも「これをこう使ってやりたい」とかの問題意識にはかなり違うものがある.

 そしてその違いは例とか演習問題に現れる.例の計算は──省いても読むのに差支えはなかったりするが──やはり読んだ方がいいし,自分で出せる例が書かれていなければ書いた方がいい.もしほかの本を参考に読んで別の例が書いてあったら,それもやっぱり書いた方がいい.演習問題は解けないこともあるしそういうときはおもしろくないけれど,「構成上本文には入れられなかったが,読者には是非知っておいてほしい(著者にとって)おもしろいこと」が盛り込まれている.時間が許すなら,これを味わわない手はない.例をたくさん知っているほど,数学の見え方は立体的になる.そして何におもしろさを感じるかはその人の数学の楽しみ方につながっていく.これはその人だけのものだから大切にしてほしい.

ストーリーを仕立てる

 とりあえずこれを最後にしたい.と同時に,これはぼくが学生時代に全く意識してこなかったポイントだ.

 学んだことを人に話してほしい

 実際に話すかどうかは別として,だ.「自分がこの題材を話すならどう組み立てるか」を意識してほしい.

 数学科の関係者には有名だと思うが,河東先生のセミナー準備の心得という文章がある.プロを目指すならいずれこういう修業が必要になるのだが,とりあえずこの文章はその手前にいる人たちを念頭に置いているので気にしないことにしよう(一読はしてもいいと思う).

 今学んでいることを30分で話すとする.このとき,まず柱を決める必要がある.主定理と言ってもいい.「このトークでは〇〇の話をします」と最初に宣言できるようにする.

 そして,この柱となる主定理を中心にいろいろな要素を並べていく.いくつか挙げると

  • 前提となる状況設定

  • 証明のポイント

  • 類似の結果

  • 応用例・典型的な例

  • 仮定が外れた場合の反例

などがある.これを30分に収まるように配置していく.これらの事柄は,ぼくの場合ならノートの左側に書いてある.それらをどう並べれば30分に収まるか,そして聴衆を納得させられるかを考える.

 前提がなければ,いきなり出てきた主定理に面食らうだろう.証明がなければ,なぜ主定理が成り立つのか伝わらない.証明を全部話す時間はないから,ポイントを押さえて削ぎ落とす必要がある.例がなければ,主定理の意義がわからない.全部盛り込めば,時間が足りない.

 これをやると,必然左側のページに書くことが増える.人に話そうと意識すると,途端に「例を調べておきたい」「証明のポイントはどこだ」「なぜこの形にまとめたのか」などと気になることが増える.そしてそれらを押さえていくと,いやでも理解が深まっている.

 本は章や節にまとまっているから,これをやりやすい.なぜひとつの節にしてあるかを考えれば,だいたい主定理が見つかる.その主定理を中心にして,今学んだ節の内容を見返して「人に話せる形」にまとめ直す.

 それを実際にみんなで順番に話すのがセミナーという場で,その教育的効果の高さのゆえに数学科の学びではセミナーが重視されている.実際,今言ったようなことを一人で自分で続けるのは結構大変だが,実際に話さねばならないとなれば嫌でもやるしかない.

終わりに──セミナーやりたいなあ──

 これから数学科に進まんとする人たちを念頭に「学生時代からこうしておけば違ったかな?」と思っている学び方について書いてきた.「案ずるより産むが易し」と言うように,これだけ読むと大変そうに見えると思うが,実際にやってみると案外やれる.まあ,人前で話す経験をそこそこ積まないと30分や1時間の時間感覚はつかめないだろうし,話す内容を「削り取る」にも勘どころをもれなく押さえるのは鍛錬が必要だ.

 しかし,ここまで書いてきたことは結局のところ「心掛け」である.最初から完璧にできるのなら,進学してすぐプロ数学者に乱取り稽古を志願してもいい(数学者にすぐ会って話せるのは学生の特権なので大いに活用されたい).

 大学の外に出ると,他の人の話を聞き,また他の人に数学の話を聞いてもらえる機会は激減する.しかしやっぱりセミナーはおもしろかったと今でも思う.またやりたいなあ.

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