吉村浩一『鏡の中の左利き』は必読

鏡映左右反転現象を知るには絶好の一冊。
この本の素晴らしさは、多幡達夫によるamazonの書評にある通りだ。

2004年5月28日に日本でレビュー済み 
心理学者である著者は、前著「逆さめがねの左右学」の中でも、古くからの鏡像問題、すなわち、「鏡像では左右が逆になり、上下が逆にならないのはなぜか」という問題を扱っていたが、本書では、鏡像問題を、より幅広く真正面から取り上げている。まず、鏡像の幾何光学的性質について説明した後、鏡像に対して左右反転感を抱く場合と、抱かない場合があることを具体例で示し、それらを総合的に理解するには、座標系の共用-個別化という心的処理に注目しなければならないと提唱する。著者が長年たずさわってきた、逆さめがね実験からの知見に基づく事例の解釈には説得力がある。高野陽太郎著「鏡の中のミステリー」(岩波科学ライブラリー、1997)も、鏡像問題を学ぶためには必読の書であるが、これと比較すると、本書の取り扱いは、問題をよく整理して一歩先へ進んだ感じである。読者に疑問を抱かせるような表現や考え方も散見されるが、巻末の「一物理屋のコメント」には、それらの点の批判も記されている。

吉村浩一『鏡の中の左利き』
ttabata によるamazon の書評より
2023/8/10コピペ

この本を読んで、自分の記事の至らなさと、実験心理学が気づいてきたものの大きさや確かさを実感した。
以下にいくつかの印象的な部分を記すが、引用部分だけでなく、本全体を通じて具体例や説明があってわかりやすくかつ説得的に論じてある。

まず、

左右反転感を抱かない場合

についてである。

しかし、そのこと(3軸決定の順序性を当てはめて鏡映像は左右反転像であると結論すること)と、鏡像を見てわれわれが”左右反転感”を抱くかどうかということは、まったく別問題である。略 ときには上下反転感を抱くこともあれば、前後反転感を抱くこともある。そのような知覚が起こりうる以上、”左右反転感の”有無を説明できる広義の鏡像問題を考えるべきである。それが説明できて初めて、鏡像問題は完全に解けたと言えるのである。

吉村浩一『鏡の中の左利き』

続いて、左右反転感を抱かない例として、顔を化粧する場合、バックミラーを見る場合、などがあげられる。ここに至って筆者は初めて、左右反転感を抱かない場合、そして広義の鏡像問題の重要性を知るに至った。

そうして、

共用座標系と固有的座標系の選択

についてこう説明する。

鏡像を通して実物の現実空間内での位置や動きを正しく把握しなければならない状況では、”座標系の共用”が選ばれやすい。それは、鏡に映し出された視覚情報を使って、実物に対して的確に働きかけなければならない状況である(座標系の共用に向かう別の1郡に、鏡に映る対象物が固有的定位を持たない場合がある。)。それに対して、鏡に映った固有的定位を持つ映像自体の方向性を把握しようとするときは、”座標系の個別化”へと進めやすい。

吉村浩一『鏡の中の左利き』

なるほど、こういうふうに、鏡を見る意図により、座標系が選択されているという説明は納得感がある。

子供が方向概念を獲得する順序性と年齢差について記載し、左右反転感が

心理的要因

であることを決定的に示してくれる。

もし、大人になっても、鏡に映った自分の身体像に左右反転感を抱かない人がいるとすれば、それは、4.1で取り上げた「自分の顔」に対する方向認知と同じ捉え方で、身体の定位に臨んでいるからだと推察できる。逆に、鏡に映った自分の顔にも、身体全体に対するのと同じく”回り込んで”、左右反転感を抱く人もいるかもしれない。このような個人差の存在は、座標系の共用と個別化の選択が対象ごとに確定できるものではなく、微妙な心的操作であることをうかがわせる。

吉村浩一『鏡の中の左利き』

回り込みが、身体だけでなく、もっと広い範囲

であることも、厚みのある説明で違和感なく受け入れられた。

さらに、人ではなく、鏡に映っている自動車が右ハンドル車か左ハンドル車かを判断する場合であっても、自分の身体を鏡に映った自動車の上下・前後と一致するように回り込ませてて判断する傾向が強い。これらは、すでに指摘した”自己投入法”である。最後の例の場合、”回り込み”の出発点となるのは、実物の自動車ではなく、鏡のを見ている自己身体である。
自動車などに対するこのような擬人化は、鏡の中の映像に対してでなく、実物の映像にも行っている日常的な心的操作である。鏡に映っているものが2.7のメンタル・ローテーションのところで持ち出した積み木図形のような無機的物体の場合であっても、積み木の図形の形を擬人化しして自分の身体と見立てた回り込みを行い(よこに出ている部分を自分の腕と見立てて、出ている腕が一致するかどうかを判断する)、2つの積み木図形の移動判断をおこなうことが可能である。佐伯胖(sayeki, 1981)は、そのような方略を採ることにより、課題が容易になると述べている。

吉村浩一『鏡の中の左利き』

ここでは、印象的な内容として、筆者がこの本を読んで初めて納得できた点を述べたが、物理と心理のバランスもよく、吉村が長年取り組んできた「逆さ眼鏡実験」の成果と相まって、完成度高く読みごたえがある。
鏡映左右反転の現象・問題の複雑さのため、一直線じゃない読みにくさを感じるかもしれないが、本格的に謎と付き合いたいなら、この本という感じである。

心的反転(mental inversion)

筆者(私)は、「鏡映左右反転の物理と心理」を書いた際、人は心的に反転する能力をもたないとして書いたが、吉村の本を読んでいると、人には、空間回転だけでなく心的反転の能力さえある気がしてきた。

例えば、女性が化粧で、花側から耳側へ右方向へ動かして右眉をひく場合を考えよう。この時本人は、筆を持った自分の手を思い通り動かし、微妙な線を正確に引くことができる。その様子を鏡の中でみると、筆を持った手も右の方に動いていく。こうした微妙な視覚―運動協応は、左右の取り違えがあったのではとてもできない。

吉村浩一『鏡の中の左利き』

これを読んだ後、筆者はあごひげを剃ったが、前後方向にとくに支障なく髭剃りを動かしていた。回転はしてないが、心的に反転しているような気になった。

筆者のキーポイント(記事)について

一応、筆者の記事も宣伝しておくと、我田引水になるが、キーポイント1~は、吉村を読んでもなおわかりやすく正確な内容だったと思う。
実は、私たちが物を上向きに見てるから左右反転するという狐につままれたような答えはそれなりに的を得ているということだ。

その他の本


なお、多幡も書いているとおり、

高野陽太郎「鏡の中のミステリー」(岩波科学ライブラリー、1997)

は、いわゆる鏡映左右反転の謎の解明がいかに複雑・混乱しているかを知るのにはいい。
また、

高野陽太郎『鏡映反転――紀元前からの難問を解く』岩波書店( 2015)

は、刺激的で、多くの人にこの問題を自分も考えてみようと思わせてくれるような本である。

ただし、もし、本当に鏡映左右反転現象の広がりや解決をきちんと把握・理解したいなら、この

 吉村浩一『鏡の中の左利き―鏡像反転の謎』ナカニシヤ出版 (2004)

を奨める。


初版:2023/08/10