鏡映左右反転の謎(キーポイント4)

この謎、つまり「鏡に映すとどうして上下でなく左右が反転するのか?」という問いは、

  •  はたして何を問うているのか?

  •  何を答えれば納得できるのだろうか?

について考えたい。
実際に鏡に映ったアナログ時計や文字を見て感じた素朴で具体的な問いであると同時に、何か普遍的な、あの状況でもこの状況でもあてはまるというような答えへの期待がこの問いにはあるような気がする。

物理は、「鏡映反転の原理」を答えてくれる。(キーポイント1のような状況設定において)鏡に映すと奥行(前後)方向が反転(inversion)する。この鏡像は、パリティ変換で、実像に空間回転・平行移動しても一致させることができない。「上下・左右のうち、一方向は反転しないが、一方向が反転する」と教えてくれる。どの方向が反転するかは、状況次第・見方次第だとも。
これで納得される方も少なくないと思う。あとは状況次第、見方次第なのだから。

さらに、ある立場では「反転の向きがどうして上下でなく左右か」は、

 左右という概念は、上下(と前後)に対して相対的に決まる

という論理から、左右が逆になるの必然だという答えがある。たしかに、「上下左右」という言葉を使っている以上、この議論はなかなか手強い。
問いは普遍性を求めているのだから、これでやっと答えが得られたという気にもなる。
しかも、左右より上下が優位という人の視覚特性と整合的で、これで納得される方も少なくないだろう。
(以下、この立場での考え方を、「左右劣後の論理」と呼ぶことにする。)

さて、皆さんは、キーポイントアナログ時計のような状況で、左右劣後の論理で納得できるのでしょうか。
上下方向を決めたら(上方向にあわせたら)、最初に述べた物理の原理に従うと、左右が逆になるのはあたりまえだ。確かにそうなっている。
それでは、時計の横向けに上下を適用してみてはどうだろうか?
この左右劣後の論理では、上下方向は現実と無関係に決まるものだから、そう問うていいはずだ。補足に書くが、それでも正しい。しかし、少なくとも私には納得感が薄い。具体的なこの状況の答えにはなっていないように思えるのだ。左右劣後の論理は、具体的な状況や物の向きと「上下」との関係を捨象しているからだろう。

だから、左右劣後の論理に対して、具体的な状況に即した答えを求める立場もあるはずだ。
キーポイント1では、実像と鏡像をみる際、それぞれの上方向が一致する環境であったから左右が反転したということが答えだとした。反転させてない「上下」という向きが、具体的な環境や視覚の特性、人の行動と深く結びついているという説明だ。
こちらの方がより納得できるという方もおられるのではないだろうか。

ここで、「上下」「左右」という言葉についても、注意深く見ておこう。「上下」を「左右」と同じレベルの見る人の視点で決まるものとし「上下」と「左右」は、対称であるととらえてもよいはずだ。
キーポイントで「上下」「左右」の選択順を変えられることをみればわかる。

実際にそういう言葉を使いはしないだろうが、キーポイント1で、
「鏡に映すとどうして縦方向でなく横方向が反転するのか?
と問うこともできなくないはずだ。
「左右」を使わなくても、同じ問いを発することができるということは、左右劣後の論理に頼った答えは通じないということにならないのだろうか。

キーポイントでも、人の見方次第だった。
上下を文字の上下に合わせてやると、それらに対する左右がきまり
左右が反転して見える。上向き(上下)を文字の左向きに決めると
文字の上下が反転して見える。
一方、文字を文字の向きに見てしまうという心理(人間の行動のクセ)が答えだと聞いて、「あっそっか」と思ったり、ガクッとしたり反応はまちまちだろう。
この状況だと、左右劣後の論理が当てはまりそうだが、それは違う。
照らし合わせる際の実像と鏡像の並べ方など環境要因の影響がない時、文字の上向きが特別の方向なので、こちらを反転しない軸と決めることが多いということだ。上下は任意の方向でなく、見慣れた向きがあるということだ。

このように、この謎の答えは、「左右反転」する具体的な状況・条件で、ある程度、普遍的な、あるいは頻度の高いものを答える必要があるというのが筆者の立場である。
実際、キーポイント1のアナログ時計で見たのような、よくある状況や、キーポイントの文字で見たような、見慣れた物に対する見方のクセも指摘されて、スッキリした人も少なくないのではないか。

それにしても、問いが発せられた際の普遍的答えへの期待と、「人は、(形から意味を読みとろうと)物を見る時、その物の上向きに見る傾向がある」という狐につままれたような答えのギャップには、はぐらかされた感・期待外れ感があると思う。それゆえ、もっと普遍的な答えを求めて、このガックリ来るような答えを拒んでいるのかもという気がしてきた。

ちなみに、定義で決まるという立場に対して、鏡にモノを映したとき、「いちいちどちらが上方向で、上方向が左右より優先だから」と考えないだろうということも考えたが、上方向が左右より優先だというのは、人の視覚や思考と整合的で、反射的に自動的にそれがなされると考えてもおかしくない(だから、効果的でない反論だ)と思った。

さらに、注意深く問いの状況を見てみよう。
最初に、キーポイント1の状況で、物理の原理で「空間回転ではパリティが変わらず、どうしても一方向が反転する」ことがわかると説明した。ここで捨象されているが、空間回転は、心的な回転や振り向くといった行動であった。ということは、この問いを発する状況が、物理と心理のミックスであり、それらを踏まえないと答えにならないのではないか。
このことは、筆者の立場を裏付けるものだ。

この謎が問われるとき、答えの性質がどのようなものか、まったくわからなかったわけで、答えのレベルとしては、物理という原理と論理で答えるか、物理や論理を踏まえた上で環境、心理・人間の行動も含めて答えるか、皆さんが求めるのはどのレベルだろう?

ちなみに、物理の原理のところでした「どうしても一方向だけが反転する」という説明には、人が心的空間回転(メンタルローテーションというらしい)まで扱える(が、反転はできない)という事実を用いている。

補足:
キーポイントのアナログ時計の状況で、アナログ時計の横向きを「上下」にして、左右劣後の論理を適用してみよう。

上方向を西と決める。上下がきまり、それに合わせて、左が重力方向となる。時計の9時方向が上、時計の0時がということだ。
そして鏡像を見る。
時計の9時が上のまま、時計の0時が重力方向でにある。
たしかに左右が反転する。

もちろん、これは「上下」「左右」が対称であるのを確認したのであり、キーポイント2で見た逆立ち(イナバウアーあるいは股の下覗き)と同じで違和感があるのは当然だろう。「上下」と具体的な状況や物の向きとの関係を断ち切っているからだ。
しかし、言葉の論理だけが理由だということであれば、この見方でもスッキリするはずだが、いかがだろうか?