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脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、1年1組リハビリ組②

「1年1組」の記事は、「お役に立ちたい」シリーズの特別編で現在進行中の出来事であり、1回で書ききる予定だった。
2回目を書くことになったのは、初回で書いたことがそんなにうまくは行かない残念な現実が起こりつつあったからなのだが、今のところ残念の反対のハッピーであり、それは①の最後に登場したKさんのおかげで、私の存在が「お役に立っている」と実感できているからだ。

この4人部屋には、もともとNさんという人がいた。彼女は何か重い障害があり、車椅子だが、毎晩廊下で車椅子を手だけで漕ぐ練習を何十回もしていた。自分のエリアには踏み込まないでほしいという雰囲気が漂い、実際ピシャっとカーテンを閉めてあった。時には赤い札がぶら下げてあり「入室はご遠慮ください」と書いてある。彼女は退院後に自分で自分の身体のケアをする必要があり、カーテンの中で必死に頑張っていたのだ。

私がその部屋に加わってから、2週間ほどして彼女が退院の準備をしている気配がしてきた。リハビリ前後にスタッフと交わしている会話でその気配が伝わってきた。いよいよ「明日退院ですね」という言葉が聞こえた時に、思い切って彼女のカーテンの隙間の柱をコツコツとノックしてみた。「Nさん、少しお話していいですか。カーテンを開けてもいいですか。」彼女とはすれ違うか、遠くから見るしか顔を見ることがなかったので、この時に初めてお互いの顔を見た。彼女は驚いたような顔をしていたけれど、私が「明日退院なんですね。退院おめでとうございます。」と言うと、ほっとしたようににっこり笑った。私が「後からこのお部屋に入ってきたのに、一度もご挨拶しなくてごめんなさい。」と言うと、「私の方こそ。あまり他の人と、あの、病院のスタッフ以外の人とお話するのは苦手で、お声かけられなくてごめんなさい。」と彼女が答えてくれて、5分ほど短く会話を続けた。その日も次の日も、多くのスタッフや担当医が代わる代わる彼女の所に来て交わす会話から、彼女がみんなに支えられて長くて辛い苦労を乗り越えてきたことが分かった。
私は毎晩何十回も車椅子を漕ぐ姿を思い出しながら、静かに彼女の後姿を見送った。

私は前の病院で大部屋に移動したときには、私以外の患者は多くの介助が必要のある人たちで、カーテンの中で寝ているか、じっと静かにしている人たちだった。私自身はリハビリの時間はもちろん部屋にいなかったし、自主練する時には廊下に出て歩き、電話する時は廊下の隅に移動していた。個室で嫌な目に遭っていた私には大部屋は気楽に思えた。でも、リハビリ友だちや、廊下で少し立ち話をした患者からは大部屋ならではの苦労があることは聞いていた。

今の病院に来てからも、しばらくは気楽だった。今思えばNさんがカーテンを固く閉じていたころが、一番気楽だったかもしれない。
Oさんと話をするようになると、楽しいこともあるが気を遣う事の方が増えた。自分が話しかけた時には、向こうにやりたいことがあるのに、邪魔になっていないか気になるし、話しかけられた時に、話を中断するのが申し訳なくて左足が痛くても我慢して立ち続けてしまうことも多い。
それでもとりあえず部屋の空気が平和であることは有難かった。

部屋の空気が難しくなったのはHさんが来てからだ。Hさんはまず、明るいところが嫌と言って廊下側にいたOさんの場所を希望して、Oさんが窓側に移動した。来たその日の夜に7時を過ぎると眠たくなったから部屋の電気を消してくれと看護師に要求しているのが聞こえた。仕切られた隣の空間にいた私は、動いて少しでも音を立てると苦情を言われるのではないかとびくびくして、その日の夜を過ごした。
これが大部屋の洗礼なんだ、という思いだった。

翌朝、今まで何も置かれていなかった洗面台の片側は、Hさんのコップや歯ブラシ、入れ歯洗浄剤などが置かれていた。私はそれまで洗面台を使う度にペーパータオルで洗面台の掃除をしていたが、そのエリアにあるものを落とさないよう、いっそう気を遣う必要が出てきた。

カーテンの下の隙間から、Hさんが杖を付いて歩く様子が見える。小股だがしっかり歩いている。入れ歯洗浄剤があったけど、私よりも若い人かもしれないという気もした。看護師との会話から、移動の度に見守りをしてもらっているようだ。朝、洗面台に行く時に、「終わったらこれを押してね。」と何か見守りの道具を置いてもらっている様子が覗えた。次に私が洗面台に行ったときに、その「何か」の見守りの道具が分かった。直径20センチぐらいの大きなブザーのようなもの。周りは白く真ん中は大きな黄色の丸の形。「目玉焼き」と私は心の中でつぶやいた。目玉焼きが大きくて洗面台は、にぎやかになっている。それだけではない。反対側にはいつのまにかOさんのコップや歯磨きセットなどが置いてある。

なぜか今までデイルームで歯磨きを済ませていたOさんも同じ洗面台で歯磨きをするために戻って来るので、私が歯磨きをする時間を確保するのが難しくなった。しかも私の歯磨き道具を置く隙間は洗面台には残っていない。自分の席で歯磨きをして、カーテンの隙間から洗面台が空いているかどうかを見極めて30秒ほどの時間で口をすすぎ、ペーパータオルでぬれているところや汚れのついているところを掃除して去る。数日前までは、洗面台が空いているかの見極めに失敗して、歯磨き剤をゴックンしてしまうという日もあった。
でも、読者様に心配かけないように現状を報告すると、今はデイルームで見守られながら歯磨きを済ませるKさんを除き、3人が「お先に使わせてもらいました」「今洗面台空いていますよ」などお互いに声を掛け合って、気持ちよく楽しく洗面台を共有できている。

Hさんが来て二日目の夕方。リハビリが終わって言語聴覚士さんの課題を解いてパソコンに入力していると、突然相撲の取り組みの音が聞こえてきた。Hさんの空間からだ。そういえば、リハビリスペースの前のデイルームで相撲が映っていた。テレビを付けるときはイヤホンを使ってくださいと、入室の時に説明されてたのになあ、と思いながらも、Hさんが神経質そうなので、トラブルにならないためには我慢しようとあきらめ、
集中できないので課題をやめて久しぶりにベッドに横になりスマホで漫画を読んだりして1時間ほど相撲のBGMを我慢しているうちに食事となった。食事が運ばれてくる寸前に音を消したHさんを誰も注意することができない。

Hさんが来た初日からそうだったが、食事の時間は車椅子の二人がデイルームに移動するので大部屋の中でHさんと二人きりになる。Hさんの食事が終わると、看護師さんが見守りをしながら洗面台に行って歯磨きをするように案内しているのが聞こえた。
私は歯磨きをしかけていたが、Hさんの歯磨きの時間は長いことが分かっていたので、お茶を飲んで、もう少し後で歯磨きしようと思って、パソコンのフタを開いた。その日のニュースを読んでいると、「奥さん。」と呼ぶ声がした。洗面台の方向だ。Hさんと話したこともないし顔を見たこともない。でも、この部屋に二人きりでいるのだから、私を呼んでいることは明らかだ。私は自分の空間のカーテンを開けて洗面台の方を見た。小柄な後姿。
若いと思っていたが、真っ白なその髪を見たら、80は超えているのだろうな、とすぐ分かった。

近づいて横にしゃがんで「どうしましたか。」と声を掛けてみると、泣きそうな顔をしてこちらを見て、「奥さん、私ね、動く時には一人で動いちゃだめって言われているの。動く時には黄色いボタン押しなさい、て言われてるのに、歯磨き終わって、ベッドに戻りましょと思ったらボタンないのよ。奥さん、私のお部屋の黄色いボタン押してくれないかしら。」本当だ。あの大きい目玉焼きがない。私は「ちょっと待ってね。ここで座っていてね。ボタン押すからね。」と言って、Hさんの空間にあるナースコールを押した。マイクからがさがさと音がする。誰も来る気配がない。Hさんの後姿を見た。不安だろうなあと思って何回もナースコールを押した。やっぱり反応がない。ベッド前の椅子に目玉焼きが置いてあったのでそれも押したが反応なし。

私はもう一度Hさんの横にしゃがんで「Hさん、今ね、ボタンを押したけど看護師さんたちみんな忙しいみたいで、お返事ないの。私探してくるから、ここで座って待っててくれる?」と言うと、Hさんは今度は落ち着いた顔になっていて「奥さん、悪いねえ。私は座ってるから平気よ。奥さんこそ大丈夫なの?」と答えたのを確認して、「大丈夫。絶対に一人で立たないでね。」と私は言って、廊下に飛び出した。夕食後のこの時間はお薬を配ったりお膳を下げたり忙しいのか、誰もいない。看護師も看護助手もいない。私も走ってはいけないけど、内緒で走っちゃえと思って、歩くと走るの真ん中の速足で、廊下を行き来し、各部屋に白かピンクの制服を着た人がいないか探し回った。もちろん、私たちのいる大部屋の入り口はナースコール呼び出し中のランプがチカチカ光っているが、駆け付けてくれる人はいない。私が部屋を出ている間にHさんが我慢できずに一人で立って転んでしまったらどうしよう。スタッフステーションは空っぽだった。スタッフステーションの隣のスペースはデイルームになっている。そこで夕食後にテレビを見ていたOさんが私に声を掛けた。「今日はだーれもいないね。どうしたの?」「Hさんが歯磨きの後にベッドに戻りたくてナースコールしたのに誰も来なくて困ってるの。」と私が言うと、「あら大変。私も戻るね。」と言ってOさんは自分の足で車椅子を漕いで部屋に向かってくれた。私たちが部屋に戻る直前に、看護助手が部屋に入るのが見えた。

その日から、Oさんはリハビリや食事の時間以外は部屋にいるようになった。
洗面台に置かれていた目玉焼きは、Hさん専用のコードレスのナースコールだった。食事を摂る時など、Hさんがベッド近くのナースコールから離れた場所に移動するたびに目玉焼きはHさんの近くに置かれる。そして看護師や看護助手が目玉焼きの移動を度々忘れるので、Oさんと私がカーテンから顔を出してそれが移動したか確認するのだ。「目玉焼きも付いてきたかな。」こんな風に言ってみんなで笑う。「こんなに大きな目玉焼き、食べてみたいな。」「目玉焼きだーい好き。」「目玉焼きが嫌いな人なんていないでしょ?」

私が気になっていたKさんは、私たちののやり取りをベッドの中で楽しんで聞いていると、後日教えてくれた。

Hさんの「私ら1年1組やわ」という言葉は、実は今回の話のずいぶん後に出てきた言葉だ。その前後の私の小さな、ひそかな悩みは「1年1組」③で書こうと思っている。結局1回で書ききるどころか3回続きの特別編だ。
とにかくこの部屋は今のところスタッフさんが来るたび「なに、この部屋?」と言ってもらえるほど、楽しく明るい雰囲気であふれている。

 


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