Ronme

こんにちは。ロンメと申します。2023年1月24日、突然脳出血を患い、入院しました。6…

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こんにちは。ロンメと申します。2023年1月24日、突然脳出血を患い、入院しました。62サイ。出産以外で初めての入院、予期せぬ重病。ツライコト、タノシイコト、キボウ、ゼツボウ、綴ってみたいと思います。よろしくお願いします。

最近の記事

脳出血(*_*)、骨折(TOT)でも、歩こう①

2024年4月18日、私は、前年秋の同窓会で親しくなった友人といっしょに、奈良県の宇陀市を巡っていた。 前年にあった、45年ぶりの高校同窓会では、同窓生専用の掲示板が立ち上げられ、その中で交流することで、同窓会当日までのワクワク感とその後の余韻を楽しむことができた。 色々な話題で次々と盛り上がる中、宇陀市出身の同級生の投稿と、宇陀市の学校に勤める同級生の投稿が目についた。 私は、35年以上前に、宇陀市の学校に勤めていたのだ。 宇陀市は、自然豊かで、とても美しい地域だ。 私

    • 脳出血(*_*)クスリは薬か毒か

      2023年1月に脳出血に倒れて5か月間入院していたが、リハビリの効果で歩けるようになり、6月に退院した。 退院した頃は、外に出る時にも、杖なしでも歩けていた。 退院後に復帰した仕事がフルタイムのため、通所リハビリも、訪問リハビリも利用できないけれど、自分で工夫して筋トレをしてきたつもりだ。 それなのに、どんどん身体が動き辛くなっている。 痛みの治療のために、毎月クリニックに通院しているけれど、24時間続く痛みは相変わらず、途切れることがない。 もう春だ。来月からしばらく仕事が

      • 脳出血(*_*)でも、前進だ③

        しばらく寒い日が続いていたけれど、ここ数日寒さが和らいでいる。 私は、一人で電車に乗って大阪のクリニックに出かけた。 電車に乗る時、降りる時、片手に杖を持ちながらホームと電車の隙間に落ちないように必死で電車の扉の端にしがみつく私を見て、ほとんどの人は私にぶつからないように、やさしい視線を向けてくれる。降りる時に「ここ持ちなさい。」と腕を差し出してくれる女性もいた。 優先座席に近い扉から乗ると、優先座席に座っている人は、手をこまねいて私を座らせてくれる。 退院後、一人で車を

        • 脳出血(*_*)でも、前進だ②

          新しい年が明けた。今年の年賀状は送ってきてくれた人にお返事を書く形にした。「年賀状じまい」をする友人が増えて、自分も徐々に減らしていくことを決めたからだ。それでも、年賀状に一言添えることでつながっている友人もいるので、年末にデザインを決めて、すぐに印刷できるように準備しておいた。 お正月には、今まで送っていた人から年賀状が届き、お返しの年賀状を書いた。しばらく会っていない人に、1年前の脳出血のことを書くべきか迷ったけれど、この先会うこともあると思い、病気で不自由な身体にな

        脳出血(*_*)、骨折(TOT)でも、歩こう①

          脳出血(*_*)でも、前進だ①

          脳出血を発症した時に、痛みはほとんどなかった。脳卒中になると、呂律が回らなくなるとか、殴られたような痛みがあるとか、嘔吐するとか、意識を失うなど、脳の異変を感じさせる症状があると聞いたことがあったが、私の場合は何もなかった。左手と左足がなくなってしまったように感覚がなくて力が入らない。それだけのことだった。ずっと同じ姿勢でパソコン作業をしていたから、疲れたのかな、ちょっと休めば回復すると思った。 夫の母親が50代で脳出血で亡くなり、その症状を知っていたおかげで、夫がすぐに救急

          脳出血(*_*)でも、前進だ①

          脳出血(*_*)それから、私は。

          脳出血に倒れた日から10か月が過ぎた。 退院して、元の家に戻った。それからの私。あまり進歩していない。前を向いて歩いて行こうと思っているけど、後ろから伸びてくる黒い手につかまらないように、踏ん張ったり、倒れそうなら這いながら前に進もうとしている。 脳出血発症後の6か月がリハビリの黄金期と言っていたのは本当だった。 以前のほうがうまく歩けていたのに、とかもっと手が動いたのにどうして悪くなったんだろうと焦るけれど、前の状態が思い出せない。PTさんに寄り添ってもらっていた時にはいつ

          脳出血(*_*)それから、私は。

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気④

          7月3日、私は大好きな職場に復帰する。 またまた数字言葉に当てはめてみた。7と3で「波」。脳出血が起こった1月24日から数えると161日目。「広い」。いい感じ。 数々の波に揺られて広い…?どこに出るのだろう?それは出てみないと分からない。 私は迷路が下手だ。何も考えずに突っ込んで行って行き詰まる。でも、迷ってその先に何があるのか分からないこと自体がワクワクする。行き詰まったからって、それで終わりじゃない。別の道を考えたり、引き返して反対から見る景色を楽しむのもアリなんだ。

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気④

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気③

          脳出血患者になって、最初に入院した病院で命を救っていただいたが、入院中に嫌な経験をした。もう二度とこの病院に来たくない、そう言って去ったくせに、私は転院先のリハビリ病院を退院して9日後、再び同じ病院を訪れ、院長先生の診察を受けた。脳神経内科医の院長先生は、入院中と変わらず私の一言一言に耳を傾け、慎重に言葉を選んで答えてくれた。 診察の最後に、余計な質問をした。質問と言うよりも弱音を吐いた。リハビリ病院に転院後、リハビリのおかげでさらにできることが増えてリハビリの効果としての

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気③

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気②

          6月19日(行く日)、80(晴れ)の日、私はリハビリ病院を退院した。 1月24日から数えたら何日目になるのか計算してみたら、147日目だった。「いーよーなー。」うん?誰だ、それ言ってるのは。隣の空間にいた、Hさんかも。6月13日に退院日が決まってから、Hさんにどう言おうか困っていた。彼女は私の隣の場所に来た日から、病院にいることに納得できていない感じはしていた。91歳、脳梗塞と自分で説明できるくらい頭はしっかりしている。杖はついているが、私よりもふらつきがなく歩ける。家族がご

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気②

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気①

          1月24日に脳の右側が出血した。病名は右被殻出血。左半身麻痺となった。突然、全介助状態、つまり寝たきりとなった。 あれからもうすぐ5か月。今のリハビリ専門病院に転院してから50日も経っていない。 入院する時に、脳疾患の場合は150日入院することができると説明を受けた。前の病院でなかなか転院させてもらえなかったが、楽しくて良質のリハビリをすでに受けていたので、その分差し引かれると思っていたが、リハビリが回復期に変わるのでリセットされるという事だった。すごく得した気分だった。

          脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気①

          脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい⑫

          梅雨の晴れ間。 カーテンを開けて外を見る。窓の下は墓場だ。所々に花が飾ってあり、きれいに整備されている。オバケが怖い私はこの病院に来た最初の夜、怖くて寝れるのか心配だったが、睡眠剤と神経薬の副作用でほとんどの日ぐっすり眠れている。 窓から傘をさす人はいないことを確認して、棚の中から黄色い帽子を出した。理学療法士(PT)さんが来る前に黄色い帽子を被っていると、必ず外に連れて行ってくれる。Oさんが、「いいわね、外行くの?私は自分で歩けないから、たまーに、気晴らしに車椅子で連れて

          脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい⑫

          脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい⑪

          私は今、回復期リハビリテーション病院に入院中だ。 今までの記事で書いてきたように、前の病院では色々辛い目に遭ってきたが、リハビリの先生たちはみんないい先生(忘れてた!リハビリ医は最低だったのでその1名は除く)で、リハビリの時間=楽しい時間=痛みが消える時間だった。今の病院に来てからのリハビリについては、ほとんど書く隙間がないまま退院してしまいそうなので、ここで少しご報告。 毎日3時間、こんなに楽しくていいの?と思いながら贅沢な時間を過ごしている。スタッフも素敵、設備も素敵。

          脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい⑪

          脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい⑩

          「脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい」シリーズを始めたのは、リハビリを楽しんでいる私が、リハビリ友だちと離れ離れになるのに転院することになった事情を書かなければならないと決心したからだ。なぜこの病院に失望したのか、をお役に立つ事を考えながら書いているつもりだ。書いていて細々たくさんありすぎて回数を重ねてしまい、嫌なことほど後回しという形になっている。⑨は、自分でも書いてよいものか、躊躇しながら書いた。思い出して、少し辛くなった。気持ちを切り替えたくて「1年1組」の3回を書い

          脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい⑩

          脳出血(*_*)でも、1年1組リハビリ組③

          前回、Hさんが歯磨きの後、ナースコールができずベッドに戻れなくて困ったお話を書いた。今回はその続きとなる。 大部屋で入院生活を送ったことのある人なら、だいたいの予想はできていると思う。そう、その通り。私はその日からHさんとの距離の取り方に苦労する日々を送ることになる。 Hさんが来てから3日目から、Hさんは少しでも困ると、いや、困らなくても私を呼ぶ。最初は「奥さん」と呼んでいたが、私が「奥さんだったら、誰を呼んでいるのか分からない時もあるでしょ、R(私の姓)さん、て呼んでね。」

          脳出血(*_*)でも、1年1組リハビリ組③

          脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、1年1組リハビリ組②

          「1年1組」の記事は、「お役に立ちたい」シリーズの特別編で現在進行中の出来事であり、1回で書ききる予定だった。 2回目を書くことになったのは、初回で書いたことがそんなにうまくは行かない残念な現実が起こりつつあったからなのだが、今のところ残念の反対のハッピーであり、それは①の最後に登場したKさんのおかげで、私の存在が「お役に立っている」と実感できているからだ。 この4人部屋には、もともとNさんという人がいた。彼女は何か重い障害があり、車椅子だが、毎晩廊下で車椅子を手だけで漕ぐ

          脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、1年1組リハビリ組②

          脳出血(*_*)でも、1年1組リハビリ組①

          「お役に立ちたい」シリーズが終わりに近づくと、内容がどんどん重くなり、書いている方も重いのだから、仕方なく付き合って続きを読んでくださっている方々の気持ちも重くさせているだろうな、とふと気になった。 今回は、ピリピリ星人を目くらましさせるために、黒い煙を立てるのではなく、たくさんのシャボン玉を飛ばして、パチパチとはじける音でやっつけてやろうと思いながら書いている。 最初の病院から転院し、5月2日に今の病院にやってきた。今の病院は回復期リハビリテーションの専門病院だ。駅からも

          脳出血(*_*)でも、1年1組リハビリ組①