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黄昏たい(2023年9月3日(日) 夜23時38分)

そういえば海という景色を
もう何年も見てないなぁ。


海は苦手で、正確には水が苦手。小学生のころからプールの時間のときは皮膚アレルギーがあって消毒のカルキがダメでプールの授業の時はずっと見学で泳いでこなかった人生だった。10代後半に職場の先輩らと海に行ってそこで泳いでこなかったけど何もしとらんくても浮くだろうという浅はかな気持ちとその場のノリで飛び込んだら案の定溺れた。あれから数十年たった今もそれがトラウマ。プールでも川でも何でもお風呂/温泉以外のところで胸まで水に入ると動悸が激しくなり過呼吸気味になってしまう。っと、いまこれを書きながら想像するだけでちょっとドキドキしてきた。やめとこう。

海と言えば、映画「めがね」
体もダルくて日差しもしんどいから
映画を観て旅行した気分でOK


よく「懐かしむ」ことがあるけど、何で懐かしく思うんだろうと考えた時、当時そうであったことが今は少し離れてしまってていつの間にか忘れてしまっていた無識的に感覚として馴染んでいたこと(自転車の乗り方とかブランコの漕ぎかたとか夏に食べるスイカとか花火の匂いとか)を改めて思い出すというか、「あぁ、そうだったそうだった。」と感じるからだろう。
それは個人的によく色んな音楽を聴いたときにそう思う場面が多い。
ただそういう場面の中でもタチが悪いのがいわゆる懐古主義的にこびりついてしまったシミのようなもの。タバコのヤニで汚れてしまったものは洗剤で掃除すればいい、日で焼けてしまったものや経年で劣化した壁紙なら張り替えなければいけない。過去にこだわらずいつも新鮮で鮮烈で新発見していきたい。
こればっかりは仕方がないことなのかなぁ...。「懐かしい」という感情は歳を重ねるたびに手足にどんどん重ねられていくオモリのようなモノなのなのかなぁ...。なんで懐かしんでしまうんだろうねぇ...。
わけわからんネットでみた記事によると、過去を振り返ったり懐かしむとストレス発散にもなって認知症の予防的効果もあるとかないとか。
そんなに「過去」は大切なものかねぇ...。
「〇〇(その当時の)を彷彿とさせる!!」とかよくあるね。正直本人らにしたら「知らんがな!!」である。中には意図的にあえてのケースもあるかもしれんけど。あと「〇〇っぽい」とか「△△に似ている」とか。

そんな声だったり感覚や感情、自分自身の内なる精神をぶっ壊したい!!むしろこの人生それだけをテーマに生きていってもいいくらい。そうprophecy of doomじゃないけど、いつだって対峙するのは自分自身からの解放である。

だからいつだって「新しい」音楽を聴くのが好きだ。今夜行ったLiveでもとても新鮮だった。確かに久しぶりに行くライブハウスだったってのはあったけど、それでも目の前にあった光景は2023年の「イマ=ナウ」を感じることができた素敵な夜だった。
それは意識して感じようとしないと感じ取ることのできない感覚なのかもしれない、否が応でも「イマ=ナウ」しかない日常の中で、タイムマシンがあるわけでもないし(CHARAか!)、どれだけ「過去=当時/あの頃」を払拭して生き続けることができるか邁進する前傾姿勢を保っていられるか、たまには木陰に腰を下ろして来た道を振り返ってみるのもいいけど、そこにいつまでも留まってもおれず、結局は急かされるようにまた歩き出さねばならんのだが、口癖のように「あの頃は良かったなぁ」なんかは言いたかない。
どう感じるかどうかは自分次第。コントロールするというか、うまく切り替えてコントロールするくらいだったら岩石のようなもんは粉々に砂になるまで砕いてしまいたい。海の浜辺で作る砂の城は波に流されてしまうからいい、崩れてしまったらまた作ればいい、むしろ崩れてしまった方がいい。全部「風化」してしえまばいい、だから日々「つくって」いけばいい。もしかしたら最近シングルを短期間でバンバンだすのも懐かしむ暇を与えん魂胆なのかな?知らんけど!!
----2023年9月3日(日) 夜23時38分

数年振りのライブハウスで
数年ぶりのガパオライス
2023年9月3日(日) @鶴舞 K.D ハポン
沸点余裕で超えてくる胸熱!!
Killerpass、MILK、Eri Nagami、my ex(京都)、
Left Hands(京都)
素敵な夏の夜って感じだった。今年の夏は特に夏っぽいことやましてやフェスのようなもんにも行かなかったけど、
電車が通る高架下のライブハウスで
この夏最高な夜を過ごすことができて良かった。
2階のソファーんとこで座ってLive観れるの最高だね!
弾き語りも最高の空間と時間だった。