麻乃しおん

うたうこと、ものづくり、自然がすき。 ずぼらでせんさい。

麻乃しおん

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マガジン

  • 体調不良から見えた景色

    2020年5月に体調不良から受診。 そこからしおんの人生に起きたこと、感じたこと。 ほんとうに自分らしく生きるとは?をつづっています。

最近の記事

自分を大切にするって

「自分を大切にする」ってよく聞くけれど それはなにも大袈裟なことではなくて 紫外線や日光に弱いから日傘をさす、とか トイレに行きたいときに行く、とか 喉渇いたら水分補給する、とか カラダが疲れてたら眠る、とか 暑いから一枚服を脱ぐ、とか 寒いからカラダが温まるようなものを飲んだり 服をはおったりする、とか そんなことなんだと思う。 それは 自分の「ちょっと気になる」や 「なんとなくうまれた違和感」や 「心や身体の求めるもの」を 放置しない、というこ

    • 手術の日

      2020年6月1日(月) 朝8時 離れて暮らしている息子とLINEで話をする。 泣けてしまう。あ〜会いたいなぁ。息子に。 8時半 両親と娘が病院に到着する。 娘はこの日が初登校の日で 新しい制服を着てきていた。 とてもよく似合っている。 朝早くにみんな来てくれて ありがとう。 術着に着替え、みんなでゾロゾロと 手術室がある病棟まで歩いていく。 娘と別れる時 娘の不安な気持ちを思うと涙が止まらなかった。 きっと心細いだろうに・・・ 両親がいてくれて本当によかっ

      • 手術前日。なんだか怖くなってきた

        2020年5月31日(日) 入院して3日目。曇り空。 今日の食事はお昼まで。 明日の手術に向けてあとは絶食。 昼食後、点滴をして下剤を飲む。 なんか変だよね。 食べて下剤って・・・ だったら食べなきゃいいじゃん とか思ってしまう。 入院中わたしは ほとんどの時間をnoteを書くか 横になるかして過ごしていた。 なんだかんだ言っても 体は既に限界なのか、 すぐに眠気に襲われて とてもよく寝ていた。 明日の手術のことを思って 少し緊張して なんだか泣きたいような気

        • 散々迷って辿りついた文章を書くことの意味

          2021年5月26日(水) スパームーン ウエサク満月 皆既月食 もうすぐ満月を迎える。 なんだかとてもパワフルな今日、 久しぶりにアメブロの投稿をした。 そろそろ再開したい、と考えていたのだが、 アメブロに流れているエネルギーの騒がしさが、 今のわたしには少し体がキュッとなるから 少し距離を置いていた。 もう少し静かな場所で表現がしたい。 そんなことに気がついたからこそ、 noteを書き始めたのだな、とも思う。 わたしの体の中の 癌細胞の存在に気がついてから

        自分を大切にするって

        マガジン

        • 体調不良から見えた景色
          27本

        記事

          オストメイトになって今思うこと

          2020年6月上旬。 手術から数日が経った。 今回 自分がこういうことになるまで 人工肛門って おしりから管かなんかがでていて 袋を持ち歩くのかと思っていた。 でも 全然違ってた。 おへその横あたりに 腸をだして くるんとひっくり返して お腹にひっつけてある。 これを 人工肛門(ストーマ) と呼ぶ。 肛門から 大腸の どの位置まで 切り取ったかによって でてくる便の状態も変わるようだ。 このnoteを読んでくださっている方で これからストーマを造設する人の数は

          オストメイトになって今思うこと

          入院中。静寂と喜びに満ちていた理由

          2020年5月29日手術のために入院した。 体の具合も良くはなく、 がんという病気や永久の人工肛門になる、 ということからも いくらでも不安になることもできたけれど、 わたしの内側は 本当に本当に 静かだった。 静寂と喜びに満ちていたのだ。 それには、理由(わけ)がある。 今日はそのことについて書いてみる。 入院前にどうしてもしたいことがあった。 それは わたしの大好きな「キールタン」を 本郷綜海さんのオンラインサロン 「新しい地球村」の中で シェアして、みんな

          入院中。静寂と喜びに満ちていた理由

          入院当日

          (書き溜めていて投稿していなかった記事を投稿していこうと思います。ほぼ一年前のわたしの体験のシェアです) 2020年5月29日 入院当日。 ショッキングピンクの 大きなスーツケースに 「考えうる必要であろうもの」を ぎっしりと詰め込んで ゴロゴロとひきながら 公共交通機関で 病院へと向かう。 諸事情で 両親に送ってもらうことを遠慮した自分を 呪ってやりたくなるほど とてもとても 体力的に しんどかった。 駅からちょっと歩くのも いまのわたしにとっては かなりきつい

          友人の死、自分の癌体験

          先週 大好きな友人の一人が この世を去った。 熱中症だったらしい。 今年になって 大好きな友人が身体を離れるのは 彼女で二人目だ。 元気だったのに… ついこの間まで連絡取っていたのに… という話を耳にすることはある。 でも それが 自分の身近で起きるなんて あまり考えていなかった。 こういうことって 本当にあるんだ。 もしかしたら わたしが 「癌で手術することになった」 という話をした時に 友人たちは いまのわたしと似たような感情を

          友人の死、自分の癌体験

          望みをかなえるには

          やりたいことが スムーズに すすんでいないとき 「一気に 前進したい!」 と思う。 日々の生活の あれやこれやが わずらわしくなって、 何もかもを捨てたら これは 叶うんじゃないか、 とか考えたりする。 でも そういうときこそ こつこつがたいせつ。 こつこつ。 一歩ずつ。 一歩ずつ。 毎日。 毎日じゃなくても。 一歩ずつ。 やりたいことの たったひとつでも 自分に やらせてあげる。 たった数秒でも やりたいことに 取り組

          望みをかなえるには

          ポンコツなわたしと

          たったいま わたしのなかにあるものを 言葉にしなくて いったい何を 言葉にするというんだろう。 入院中に書き溜めた言葉たちを アップすることよりも 日常の生活を 優先してきた結果 置き去りになった言葉たちを アップできないままでいることに 知らず知らずのうちに わたしのなかに 罪悪感が湧いてきているのを いまようやく自覚している。 そうなると さらに身動き取れなくなるのが わたしの常。 変に律儀に 順番通りに 記事をアップせねば、と

          ポンコツなわたしと

          魂の憧憬

          自分と深く繋がると 自分の本当の望みが観えてくる。 それを 「魂の憧憬」 という言葉で 表されているのを見たとき 魂が震えた。 「魂の憧憬」 なんてうつくしい言葉なんだろう。 うっとりすると同時に たしかに わたしの内に在る 「それ」に うっかり(!)アクセスしてしまい 涙が止まらなくなることを 何度経験しただろう。 わたしにとって 「魂の憧憬」を生きることは その周りに在る 「体験からくる傷」のようなものにも 触れる体験にもなるため

          青い月の嵐の年のはじまり

          2020年7月26日 今日は 「13の月の暦」では 新しい一年のはじまりの日。 今年は 「青い月の嵐」の年だ。 「13の月の暦」は マヤ暦の時間の知恵を基に 1990年にアメリカ人の ホゼ&ロイディーン・アグエイアスさんによって 創られた新しいカレンダー。 身体のリズムを調える「13か月のカレンダー」と 心のリズムを調える「ツォルキン」があり、 この二つのリズムが重なる「今」を感じながら それぞれの人にとっての「時間」を生きるためのもの。 舞の仲

          青い月の嵐の年のはじまり

          入院2日目

          2020年5月30日 人の気配とまぶしい光に照らされて ふと目が覚める。 わたしは病院のベッドにいて 光は看護師さんの巡回時の懐中電灯からのものだった。 起き上がって 目があった気がしたが 看護師さんは何事もなかったように すっと姿を消した。 枕元のスマホを見ると朝の3時50分だった。 まだ外は暗い。 わたしはもう一度目を閉じる。 次に目覚めたのは4時30分頃。 さっきからあまり時間が経っていないのに もう外は明るくなっていた。 病棟のこの階には多くの人が入

          入院2日目

          職場と入学準備と。

          5月27日 昨日 医師に書いてもらった 診断書を持って 職場である 保育園に向かった。 (この日の目的は 「診断書を持っていくこと」 だったのに、 肝心の診断書を 忘れていったわたし。 すぐに とりにかえりまちた。。。) ちょうど わたしの好きな先生たちが たまたま 事務所にいる時間で 安心で うれしかった。 みんな とてもあたたかかった。 そろそろ帰ろうと 事務所を出ると たまたま 居合わせた子どもたちが 「あ!せんせーい」

          職場と入学準備と。

          告知。

          5月26日 さて、今日、ようやく さまざまな検査の結果を受け いまのわたしの状態が どんな感じなのか そして 実際に どんな手術になるのか がわかる。 今回の医師も はじめて会う医師だった。 両脚を投げ出して 上半身を完全に 椅子の背もたれに ゆだねまくっている。 マスクは つけているものの 完全に 鼻がでている。 (マスク意味ないやん 笑) なんだ この先生。 おもしろいぞ。 見た感じの態度が あまりにデカくて 驚いたけれど

          わたしの中にある抵抗

          5月23日 ここ数日 わたしのなかに がんがあること。 そのために 近々 入院し 手術をすることを 伝える機会が 増えている。 そうして 氣づくことがある。 わたしにとって がんは それほどコワイものではなく わりと 楽観的であるということ。 話した相手の方が ショックを受けて 言葉を失うことがある。 その姿を見て 「あれ?」 と感じるのだ。 わたしにとっては がんのことよりも やっぱり 「人工肛門(ストーマ)」 のことの方が 抵抗を感じるのだ。 がん

          わたしの中にある抵抗