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一首鑑賞/2024.03.20

花曇りを遠く歩いてきみにない語彙だったのにあげてしまった

山階基「夜を着こなせたなら」短歌研究社


「きみにない語彙だったのにあげてしまった」ってフレーズが好きだ。
人と話しているうちに相手の方言がうつったり、自分の方言をうつしてしまったりすることってあるけど、それに近い感じだろうか。花曇りの道を遠くまで歩いていくように、長い時間を一緒に過ごすなかで、自分のよく使う語彙が相手にうつった。そんなふうに読んだ。

「うつった」ではなく「あげてしまった」なのが気になる。あげるって、ものをプレゼントしたり大切にしているものを渡したりするときに使う言葉だ。自分のものだと思っていた言葉が相手の口からこぼれ出たとき、自分の一部を手渡してしまったような気持ちになったのだろうか。自分の一部だったものが相手の一部になるのって、ちょっとうれしいけど、ちょっとさみしかったりするのだろうか。

わたしの方言が、他県に住む友達にうつったことがある。そのときは、なんでかわからないけどちょっとうれしかった。でもやっぱりぎこちなくて、使いこなせてない様子を見てなぜかほっとしたのを覚えている。
芸能人の話をするときに丁寧に敬称を付けて呼んでいた人が、わたしと話すようになってから、わたしと同じように呼び捨てするようになったことがあった。それに気付いたときは、好きな人の一部を変えてしまったような気がして、ちょっとだけさみしくなった。

ちょっとうれしいけどちょっとさみしい、何かを失った気がするけどそうではないような気もする。あいまいだけどそうとしかいえない感情は、「花曇り」にぴったりだなあって思った。
花曇りは、桜が咲く季節の曇った天気のことを言うらしい。雲がかっているけどぼんやりと明るくて、桜は曇り空の下だと少しくすんで見える。でも美しく、確かに咲いている。

花曇りのほの明るくてほの暗い感じが、自分の語彙が人の手に渡ったときの気持ちにすごくよく馴染む。さみしいけどちょっとうれしい、いや、うれしいとも違うような気がする。もやもや、ぼやぼやとした感情に、この歌が「花曇り」と名付けてくれたような気がした。


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