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【ルーツ宮城●名取老女の伝説】①名取老女を知らずして熊野を語るなかれ

 

宮城県道 129号線 閖上港線、
宮城県道 128号線 名取停車場線

この直線の県道が、
わたしの母方祖母の実家のルーツを
知るうえで、
重要な道路であることは間違いない。

名取市の閖上といえば、
名取老女の伝説は欠かせない。
名取老女こそ、
和歌山県の熊野三社と名取市の熊野三社に
関わりがあるからです。

 宮城県名取市には、
和歌山県の熊野三社より、
御分霊を勧請した、
名取熊野三社があります。

これについて、
三社のひとつ、
熊野那智神社の宮司さんが書かれました
記がございます。

ご紹介いたします。


平安末期、名取の地に、
旭という名の老女が住んでいました。

若い頃は毎年のように
紀州の熊野三社へ参詣しておりましたが、
年老いて熊野へ行くことが難しくなり、
地域に熊野三社の分霊を祀る
小さな祠を建ててお参りをしていました。 

そんなある日、老女のもとに
旅の山伏が訪れました。
その山伏は老女に、

「私は松島に参詣するため
熊野権現へお参りしたところ、
夢枕に熊野権現が現れ
『奥州に熊野権現を
熱心に崇敬する者がいる。
昔はよく熊野まで参詣に来ていたが
年老いてなかなか来られないようだ。
しかしそれでも毎日
礼拝を欠かさないその者に
この手紙を渡して欲しい』

と申され、これを託されたのです」
といい、梛の葉に書かれた手紙を
渡しました。

そこには

『道遠し 年もやうやう老いにけり
 思い起こせよ 我も忘れじ』

と書かれていました。

熊野権現の心遣いに感謝し、
名取の高舘の地に社殿を建て、
熊野三社の御分霊を勧請しました。
これが現在も残る、名取熊野三社です。

そして東北では、
各地の縁起に登場し、
名取の片隅にある、
こんな小さな神社の縁起にも
名前がでてくる女性について、
少し書いてみたいと思います。

 

ナトリロウジョは、
名取の老女ではなく、
老尉であって男性であるという説も
あるくらい、謎の多い女性で、
アサヒという名前であろう
ということは言われていますが、
「旭」なのか「朝日」なのか、
各地の伝承で異なるので、
今回の説明では
名取老女で統一して
進めていきたいと思います。

そもそもこの女性は、
平安時代の後期に、
いわゆる歩き巫女のような
生業をしていたのではないかと
考えられていて、
各地を回り、託宣を下ろし、
祈祷で病を癒したりしていた、
信仰深い女性であったと思われます。
特にこの女性は、
紀州熊野を熱心に信仰していましたが、
年老いてなかなか熊野詣が
できなくなったそんなころ、
鳥羽天皇の皇女の病を
癒す力を持つものとして、
遠く京都から陸奥の国名取まで
使者がやってきます。
高齢のため幾度も固辞しますが、
都に旅立ちます。
そして皇女の病気平癒をするため
参内する際に、
無位無官の者を殿上にあげるわけに
いかないということで、
この時に老女の位を与えられて、
それより『名取老女』の呼称が
生まれることとなります。
無事皇女の病を癒すことができ、
その褒美として、久しくお参りできず、
自分が住む里の近くに宮を建て、
熊野の神々を信仰していた老女は、
朝廷の許可を得て、
正式に熊野三社の御分霊をいただき、
名取の郷高舘に熊野新宮、熊野本宮、
熊野那智の三社を勧請しました。
これが現在の名取熊野三社になります。

名取の熊野三社は、
地形など紀州熊野に似せて造られた
「写し霊場」であり、
正式な許可を受けて勧請した、
国内でも珍しい神社になり、
東北の熊野信仰の中心地として、
周囲に宿坊が立ち並び、
とても栄えたそうです。
そのなかで、那智神社は少し元々
閖上から上がってきた神様を
お祀りしていたところに、
紀州から那智の神様が一緒に
お住まいになるようになったことから、
熊野那智神社と改称しましたので、
他の二社より
500年ほど古い神社になります。

このころの東北は、
奥州藤原家2代目の基衡が
統治していた時代で、
比較的安定していたころではありますが、
女性の足で宮城から和歌山まで
幾度も熊野詣をしていたこと、
年老いて熊野の神々を勧請するにあたり、
御神体を背負って戻ってきたこと、
現在と状況が違うなか、
一生懸命信仰する女性の力が、
この三社の礎を築いてくれました。

(熊野那智神社 宮司 記)


「天照皇大神、春日大神、八幡大神」

なぜ、この三神なのだろうか、と思いましたら、

教えてくださった方がいらっしゃいました!

ありがとうございます!助かります!


謡曲 「護法」 名取ノ老女

<底本:日本名著全集『謠曲三百五十番集』>

抜粋させていただきました。

名取の里に住む老女の元に
熊野の山伏が訪れ、
虫食いの神詠が記された
梛(なぎ)の葉を渡します。
老女が随喜の涙を流し法楽の舞を舞うと、
熊野権現の使役神・護法善神が現れ、
老女を祝福し国土安穏を約束します。



ワキ次第

「山また山の行末や/\

雲路のしるべなるらん。

「是は本山三熊野の客僧にて候。

我此度松島平泉への志あるにより。

御暇乞の為に本宮証誠殿

通夜申して候へば。

あらたに霊夢を蒙りて候ふ程に。

只今陸奥名取の里へと急ぎ候。

道行

「雲水の行方も遠き東路に。/\。

今日思ひ立つ旅衣。

袖の篠懸露結ぶ草の枕の夜な/\に。

仮寢の夢を陸奥の。

名取の里に着きにけり/\。

シテ、ツレ二人一声

「何くにも。崇めば神も宿木の。

御影を頼む心かな。

シテサシ

「これは陸奥に名取の老女とて。

年久しき巫にて候。

我幼かりし時よりも。

他生の縁もや積りけん。

二人

「神に頼を掛巻くも。忝くも程遠き。

かの三熊野の明神に

仕ふる心浅からず。

身はさくさめの年詣。

遠きも近き頼かな。

シテ

「されども次第に年老いて。

遠き歩も叶はねば。

かの三熊野を勧請申し。

こゝをさながら紀の国の。

二人下歌

牟婁の郡音無の。


かはらぬ誓ぞと頼む心ぞ誠なる。

上歌

「こゝは名を得て陸奥の。/\。

名取の川の川上を。

音無川と名づけつゝ。

梛の葉守の神こゝに証誠殿と崇めつつ。

年詣日詣に。

歩を運ぶ乙女子が。

年も旧りぬる宮柱立居隙なき宮仕かな

立居隙なき宮仕かな。

ワキ詞

「如何に是なる人に尋ぬべき事の候。

ツレ

「何事にて候ぞ。

ワキ

「承り及びたる名取の老女と申し候ふは。

この御事にて御座候ふか。

ツレ

「さん候これこそ

名取の老女にて御座候へ

何の為に御尋ね申し候ふぞ。

ワキ

「是は三熊野より出でたる

客僧にて候ふが。

老女の御目に懸りて

し度き事の候。

ツレ

「暫く御待ち候へ

其由を申さうずるにて候。

如何に申し候。

是は三熊野より御出で候ふ

山伏の御座候ふが。

御目に懸り度き由仰せられ候。

シテ

「あら思ひ寄らずや此方へと申し候へ。

ツレ

「畏つて候。客僧此方へ御出で候へ。

シテ

「三熊野よりの客僧は何くに御入り候ふぞ。

ワキ

「是にて候。

何とやらん粗忽なるやうに

思し召し候はんずれども。

夢想のやうを申さん為に

これまで参りて候。

さても我此度

松島平泉への志あるにより。

御暇乞の為に本宮証誠殿に

通夜申して候へば。

あらたに御霊夢を蒙りて候。

汝奥へ下らば言傅すべし。

陸奥名取の里に。

名取の老女とて年久しき巫あり。

かの者若くさかんなりし時は

年詣せしかども。

今は年老い行歩も叶はねば

参る事もなし。

ゆかしくこそ思へ。

これなる物を慥に届けよとあらたに承り。

夢覚めて枕を見れば。

梛の葉に虫喰の御歌あり。

有難く思ひこれまで遥々持ちて参りて候。

これ/\御覧候へ。

シテ

「有難しとも中々に。

えぞ岩代の結松。

露の命のながらへて。

かゝる奇特を拝む事の有難さよ。

老眼にて虫喰の文字さだかならず。

それにて高らかに遊ばされ候へ。

ワキ

「さらば読みて聞かせ申し候ふべし。

何々虫喰の御歌は。

道遠し年もやう/\老いにけり。

思ひおこせよ我も忘れじ。

シテ

「何なう道遠し。年もやうやう老いにけり。

思ひおこせよ我も忘れじ。

ワキ

「げに/\御感涙尤もにて候さりながら。

二世の願望現れて羨ましうこそ候へ。

シテ

「仰の如くかほどまで。

受けられ申す神慮なれば。

崇めてもなほ有難き。

二世の願や三つの御山を。

ワキ

「移して祝ふ神なれば。

シテ

「こゝも熊野の岩田川


ワキ

「深き心の奥までも。

シテ

「受けられ申す神慮とて。

ワキ

「思ひおこせよ。

シテ

「我も忘れじとは。

「有難や/\。げにや末世と言ひながら。

神の誓は疑も梛の葉に。

見る神歌は有難や。

シテ

「如何に客僧へ申し候。

此処に三熊野の勧請申して候

御参り候へかし。

ワキ

「やがて御供申し候ふべし。

シテ

「此方へ御入り候へ。御覧候へ此御山の有様。

何となく本宮に似参らせ候ふ程に

本宮証誠殿と崇め申し候

又あれに野原の見えて候ふをば

飛鳥の里新宮と申し候

又此方に三重に滝の落ち候ふをば

名にし負ふ飛竜権現のおはします

那智の御山とこそ崇め申し候へ

地クリ

「それ勧請の神所国家に於て

其数ありといへども。

取り分き当社の御来歴。

りよしんを以て専とせり。

シテサシ

「もとは摩伽陀国のあるじとして。


「御代を治め国家を守り。

大悲の海深うして。

万民無縁の御影を受けて。

日月の波静かなり。

シテ

「然りとは申せども。

「猶も和光の御結縁。

普き雨の足引の。

大和島根に移りまして。

この秋津国となし給ふ。

クセ

「処は紀の国や。牟婁の郡に宮居して。

行人征馬の歩を運ぶ志。

直なる道となりしより。

四海波静かにて八天塵をさまれり。

中にも本宮や。証誠殿と申すは。

本地弥陀にてましませば。

十方界に示現して光普き御誓。

頼むべし頼むべしや。

程も遥けき陸奥の。

東の国の奥よりも。

南の果に歩して。

終には西方の。

台になどか座せざらん。

シテ

「大悲擁護の霞は。

「熊野山の嶺に棚引き。

霊験無双の神明は音無川の川風の。

声は万歳が峰の松の。千とせの坂既に。

六十に至る陸奥の。

名取の老女かくばかり。

受けられ申す神心。

げに信あれば徳ありや。

有難し有難き告ぞめでたかりける。

ワキ詞

「いかに老女へ申し候。

か程めでたき神慮にて御座候ふに。

臨時の幣帛を捧げて。

神慮をすゞしめ御申し候へ。

シテ

「心得申し候。いで/\臨時の幣帛を捧げ。

神慮をすゞしめ申さんと。

ワキ

「天の羽袖や白木綿花。

シテ

神前に捧げもろともに。謹上再拝。

仰ぎ願はくは棹鹿の八つの御耳を振り立て。

利生の翅を並べ。空海の空に翔りては。

一天泰平国土安全諸人快楽。

福寿円満の恵を普く施し給へや。

南無三所権現護法善神。

早笛

「。

シテ

「不思議やな老女が捧ぐる幣帛の上に。

化したる人の虚空に翔り。

老女が頭を撫で給ふは。

如何なる人にてましますぞ。

護法

「事も愚や権現の御使護法善神よ。


シテ

「何権現の御使護法善神とや。

護法

「中々の事。

シテ

「有難や。まのあたりなる御相好。

「神は宜禰が習を受け。

護法

「人は神の徳を知るべとして。

「参りの道には。

護法

「むかひ護法の先達となり。

「さて又下向の道に帰れば。

護法

「国々までも送り護法の。

「災難を去りつゝ悪魔を払ふ送迎の。

護法善神なり。

それ我が国は小国なりと申せども。/\。

大神光をさし下ろし給ふ。

その矛のしただりに。

大日の文字あらはれ給ひしより。

大日の本国と号して胎金両部の密教たり

護法

「然るにもとよりも。

「然るにもとよりも。

日本第一大霊験熊野三所

権現と現れて。衆生済度の方便を貯へて。

発心の門を出で。岩田川の波を分けて。

煩悩の垢をすゝげば水のまに/\道をつけて。

危き崖路の苔を走れば下にも行くや。

舟の。波の打擢水馴棹下ればさし上れば引く。

綱手も三葉柏にかく神託の道は遠し。

年は旧りぬる名取の老女が。

子孫に至るまで。

二世の願望三世の所望。

皆悉く願成就の。

神託あらたに告げ知らせて。/\。

護法は上らせ給ひけり。

一番初めに、名取老女が、
名取熊野三社を鎮座した場所へ、
行ってみました。

ただし、
下余田(しもよでん)の熊野三社は、
すべて、個人宅にあります。
必ず、お宅にお断りしてからの
参拝となります。

熊野新宮神社=熊野速玉大社

熊野速玉大神
熊野夫須美大神

実は、ほかの二社、
熊野本宮神社、熊野那智神社

こちらは、お宅の方がいらっしゃらず、
まだ参拝を果たしておりません。
今年、お伺いできれば、と思います。
参拝ができましたら、
こちらに写真を出したいと思います。


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