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【大阪】寺社参拝記録 ⑥庚申堂(四天王寺)

庚申堂

南大門から数百メートル南にあり
飛び地境内となっている。
豪範により創建され、
慶長年間(1596年 - 1615年)に
豊臣秀頼によって再建されたが、
第1回大阪大空襲によって焼失した。
現在の庚申堂は
日本万国博覧会(大阪万博)で
全日本仏教会が休憩所として建築した
「法輪閣」を、
閉幕後に全日本仏教会の寄進により
この地に移築、改修したものである。

庚申待などを行う庚申信仰により、
青面金剛童子・四天王を祀る。
日本三庚申の一つ。
日本最初の庚申尊出現の地。

この庚申堂では、
大変お世話になりました。

わたしの地域には、
江戸時代の庚申信仰の石碑が
ありましたが、昭和に入って、
石碑の所有者が、
土地を売買するにあたり、
3度、位置替えをしています。

最後にあった場所の土地所有者が、
土地を売買するにあたって、
時の町内会長さんに相談し、
地域のお寺の山門に移設することを決め、
住職の許可を得ました。
ところが、いつ、移設したのかも、
地域の人たちは知らず、
いつの間にか、この石碑のほか、
「蔵王大権現」の石碑も、
共に移設してしまった。

ところが、である。

なんと、その移設に関わった町内会長は、
1年もしないうちに病死。
土地所有者のご主人も、ガンで亡くなり、
奥さんは一生、
下半身不随となってしまいました。
その奥さんも、
数年前に亡くなりましたが、
3人続けざまに起きたことでした。

そのお話を、庚申堂で
お話しましたところ、
石碑というものは、
地域の歴史そのものであり、
守護されているものであるから、
移設するということは、
好ましくない、ということでした。

実は、その石碑が元の場所にあった時、
地域のお店やの奥さんが、
時々、行っては、掃き掃除したり、
ご縁日の時に、饅頭や御神酒など
お供えして、奉仕されて
いらっしゃいました。

その奥さんでさえ、
どこに移設されてしまうのか、
知らなかったそうです。
お掃除やお供えをしていた頃、
朝に供えたものが、昼に行ってみると、
なくなっていたり、
竹箒がなくなっていたりしたことが
あったそうです。
ある時、その場所から
家々を横目で見ながら帰りますと、
ある家に、お掃除に使っていた
竹箒があるのを見つけたそうです。
なぜわかったかと言いますと、
石碑の掃除用、と書いていたからです。
この家の人なんだな、と思い、
隠れてみていたそうです。
すると、石碑に供えた饅頭やら、
御神酒をさっさと持ち帰ったそうです。
やはり、この人なんだ、と思い、
がっかりしたそうです。
ところが、それから数日して、
その家が火災を起こし、
家は丸焼けとなったそうです。
天罰です。
それから、その家の人は、
土地を売却していなくなったそうです。

神仏さまにお供えしたものをいただく。

供えた当人が、
「いただいて帰ってよろしいでしょうか」
と持ち帰る分には
いいのかもしれませんが、
タダだ、と思って、横取りするのは
いけない事なんだ、ということです。
しかも掃除を奉仕するわけでもないのに、
箒を盗む。
やはり、神仏さまは
観ていらっしゃったということです。
賽銭ドロボウもいますが、
もってのほか、ですね。

そのお話をお聞きしていましたら、
そのお店やの奥さんから、
「実は、長年、わたしを意地悪する人が
数人いるのよ。
お客さんだと思うから、堪えてきたけど、
なんとかしたい」
と伺いました。

この奥さんは、庚申さまを
大切にされてきましたので、
庚申堂でお話しましたところ、
「御札を購入して差し上げなさい。
必ずや、守るでしょう」と、
御札を購入して、手渡しました。

すると、不思議なことが
次から次へと起こりました。
意地悪していた数人は、
ある人は認知症になって施設に行き、
ある人はご家族と同居のため離れたり、
ある人は、病気になって、
まったく音信不通となり、
ある人は何かに騙され、何もかも失ったり。とにかく、手渡した半年以内に、
すべての人たちはいなくなりました。
その奥さんは、
庚申さまのお蔭だ、と、
移設されたところへ行っては、
お供えし、感謝を申してくるそうです。

庚申さまは、石碑といえども、
大切に扱ってくださった方が、
なにかあれば、
すぐにでも助けに行くという。
それほどの御力があるそうなんです。

日本全国、庚申さまの石碑はございます。
もし、見かけましたら、
手を合わせてくださいね。

庚申さま
ありがとうございます。


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