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chap.11 人生=サッカー 2

そして、中学校に上がり、FC BRISTOL というチームに出逢い、恩師にも出逢い最幸の3年間を過ごすことが出来ました。

中学校ではBristolに行きながら、体力をつけるために中学の陸上部にも所属しました。あぐり時代に死ぬほど走らされたので素走りは嫌いでしたが、サッカーの為と思い、入部を決めました。中体連には出ないと言って入部したのに、結局出る事になったので1年で辞めてしまいましたが、1年間はサッカーと陸上の両立をしていました。
それでも、トレーニングが無い日は家の裏でボールを蹴ったり、家の周りをずっと走ってたのを覚えています。

冒頭にも書いた通り、Bristolという最幸のチームに出逢い、恩師にも出逢うことが出来ました。長崎県で唯一、全大会で九州大会に出場し、惜しくも全国大会出場は叶いませんでしたが、今の自分のサッカー観を確立出来た3年間となりました。

中3の夏にアビスパ福岡U-18に入ることが決まっていて、たまたま高校生に上がると同時に福岡に転勤することになっていたので、家族ごと福岡に引っ越しました。
高校に入ると進路希望調査というものがあり、三者面談などで資料に使われる紙がありました。その紙にはいつも「海外」と書いていました。もちろんサッカーの為に。

ただ結局、大学に進学し、愛知へ。
そして、1年半で大学を辞め、今はドイツでプレイしています。

今年でボールを蹴り始めて20年以上が経ちます。
そんな自分をいつも応援してくれているのが、家族、友人、恩師やアビスパを離れても応援してくれているサポーターの方々、そして、僕の祖父母です。

知ってる方も居ると思いますが、祖父母は昔から毎試合のように観に来てくれていました。
写真館をしていることもあり、写真を撮ってくれたり、特に祖父は昔からスポーツをずっと続けているので、自分にアドバイス等をくれたこともありました。

ある日祖父母の家でトイレをしていると、そこにメモ帳があり、僕の名前が書いてありました。その内容は、
「あそこのシュートシーンは0.05秒打つのが遅かった。」
当時は、0.05秒打つの早くても変わらんやろ。と、あまり受け入れなかったですが、今思えば細かいところまで観てくれているんだなと嬉しく思います。
群馬で開催された全国大会にも、ドライブが好きだからと言って、長崎から車で応援に来てくれました。本当にどこにでも来てくれていました。

そして、今の夢が
祖父母の前でもう一度プレイしている姿を魅せたい。

昔から僕の1番近くで応援してくれている家族にももちろん魅せたいですが、それより祖父母に魅せたいという気持ちが今は強くなってきています。
ドイツに呼ぶ事も考えましたが、このご時世ですし、僕でも合計15時間以上のフライトは骨が折れる気持ちになるのにと考えたら、やっぱり日本でプレイする事を強く意識するようになりました。

サッカー選手になるということは、
もう自分だけの夢じゃない。

ここ数年ずっと自分に言い聞かせています。

24歳にもなり、若くないし時間が無い。
去年、一昨年はコロナで棒に振ったので、本当に今年が大事です‼︎
そんな僕の事を少しでも応援してくれたら嬉しいです‼︎


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