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大江戸探訪録~新井薬師~

〝新井薬師〟の名で親しまれ、御府内八十八箇所にも数えられる真言宗豊山派の寺院『新井山 梅照院 薬王寺』。

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〝子育薬師〟〝治眼薬師〟とも呼ばれ親しまれてきたこの寺院は、一体どのような場所なのでしょうか?今回はそんな、中野区新井の『新井薬師』を歩きます。


1.新井薬師について

・由緒(諸説あり)

開山は新井の地に本拠地を置いた新田義貞の家臣・窪寺氏と伝わります。伝承によれば、薬師如来と如意輪観音菩薩が二仏一体となった御本尊は、新田氏代々の守護仏でしたが、新田義興の代に安置していた新井の地の持仏堂から突然消えてしまったといいます。

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永らく時を経た安土桃山時代、後北条氏の家臣・梅原将監(法号・行春)が出家して新井の地に入り、草庵を結んで修行の場とします。ある時、夜毎光る梅の古木の話を耳にした行春は不思議に思い、地元の者と共に調べてみると、古木の中から薬師如来と如意輪観音菩薩が二仏一体になった仏像が出てきたといいます。1586年、行春はそれを祀るためにお堂を建立し、新井薬師の開基となりました。

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・〝子育薬師〟の由来

1617年、当時の住職・玄鏡の夢に御本尊の薬師如来が現れ、薬の製法に関する啓示を与えました。その啓示の通りに作られた薬『小児薬夢想丸』は子供のあらゆる難病に効くと評判となり、〝子育薬師〟として信仰を集めたといいます。

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・〝治眼薬師〟の由来

1624年、江戸幕府二代将軍・秀忠の子で、後に後水尾天皇の中宮となる和子の方(後の東福門院)が重篤な眼病を患った際、あらゆる手を尽くすも効果がなく、すがる思いで新井薬師の御本尊に祈願したところ治癒したという逸話が残り、いつしか〝治眼薬師〟と呼ばれ信仰を集めるようになったといいます。

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2.新井薬師を歩く

・本堂再建供養塔

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一度焼失した新井薬師の再建に尽力した住職・運樹の業績と、信徒らの信仰心に応えるため、後継者の英俊が高野山延命院の引導地蔵尊を模して1779年に建立した供養塔です。境内に現存するものの中では特に古く、中野区登録有形文化財に指定されています。山門の手前にあります。

・山門

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新井薬師の正面玄関となる山門です。質素な造りがまたいいですね。

・お願い地蔵尊

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身体の具合の悪いところと同じところを水で洗うと、そこを治してくれるといわれているお地蔵さまです。長年信仰を集めているためか、所々削れているのがわかります。不動堂の前にあります。

・不動堂

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不動明王と地蔵菩薩を祀るお堂です。ここの不動明王は元々裏手にある新井薬師公園の瓢箪池に安置されており、昭和35年に現在の不動堂を建立して迎えたそうです。山門を入って右手にあります。

・薬師霊堂

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阿弥陀如来と閻魔大王を祀る多宝塔の形をしたんお堂です。鮮やかな朱塗りとその造りが一際目をひきます。山門を入って左手にあります。

・本堂(瑠璃殿)

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御本尊の薬師如来・如意輪観音菩薩を祀る、新井薬師の本堂です。瑠璃(ラピスラズリ)と縁の深い薬師如来を祀る場所故か、〝瑠璃殿〟ともいいます。本堂は1764年の火事と、第二次世界大戦の空襲で焼け落ちており、現在の本堂は戦後に再建されたものです。

真言宗の開祖・空海自らの作と伝わる秘仏『薬師如来・如意輪観音菩薩像』は、裏表で別々の仏を象った二仏一体の珍しいもので、12年に1度寅年にのみ開帳されます。堂内には、2013年に145年ぶりに復活を遂げた十二神将の像が並び、薬師如来を守護しています。

・鐘楼堂

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手水舎の裏手にある鐘楼です。毎年除夜の鐘で打つことができます。108回までは御守り付¥1,000、それ以降は¥500になるんだとか。

・白龍権現水屋

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大悲殿の前にある〝白龍権現水〟の湧き出る井戸です。

古来、新井の地は随所に水が湧き出ていることで知られ、古文書にも

「名水沸き出でたる故に村名を新井と名づく」──────────『新井埜草別調』

とあるように、〝新井〟という地名が湧水に由来していることもわかります。境内の裏手にある新井薬師公園内の瓢箪池もその一つで、かつては水垢離場(参拝前に身を清める場所)として使われ、そこ安置された不動明王の傍らにはいつも白蛇がいたといいます。

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しかし、公園を整備する工事の最中にこの湧水は絶え、不動明王は現在の不動堂に移されることになりました。その際に白蛇の霊を〝明王の使い白龍権現〟として祀ったところ、大悲殿の建設の際に地下2mほどの場所から御影石に保護された井戸が見つかり、これは白龍権現の導きであるとされました。

また、住職の夢に現れた不動明王より

「大悲殿に観音菩薩を迎えて、井戸の冷泉を閼伽水として衆生に施さば、即ち利益増長、抜苦与楽せん。」

とのお告げがあり、それに従って大悲殿には観音菩薩を祀り、見つかった井戸は現在の『白龍権現水屋』として整備したといいます。

・大悲殿

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観音菩薩を祀るお堂で、葬儀場としても使われています。ここの観音菩薩は、住職の夢に現れた不動明王のお告げに従って祀られたといいます。また、ここの建設に伴う工事の最中に白龍権現水の井戸が見つかりました。

・聖徳太子像

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大悲殿の向かいにある〝16歳の聖徳太子〟を象った銅像です。これを建立したのは中野区の左官業組合で、技術の向上を祈願するために設置したといいます。聖徳太子は大工道具として欠かせない物差しを広めたとされ、そこから建築に関わる人々からの信仰を集めるようになったといいます。

3.まとめ

今回は〝新井薬師〟こと、『新井山 梅照院 薬王寺』を歩いてみました。有名な寺院のわりに、現在の伽藍がいつ建立されたものなのかに関する情報が少なく疑問に思っていたのですが、よくよく調べてみると境内は第二次世界大戦の空襲によって焼け野原になってしまっており、そのほとんどが戦後に再建されたものだということがわかってきました。

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また、新井薬師を調べていく中で、〝新井〟という地名の由来にも触れ、数々の逸話も相まってここがどれほど霊験あらたかな地であるのかよくわかりました。どれほどの時を経て、多くの災禍に見舞われながらも、今なお多くの人々から信仰を集める新井薬師。中野からも程近いので、門前の商店街を歩きながらふらっと参拝してみては如何でしょうか?

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※余談ですが、新井薬師で授与している『甘茶香』、とても落ち着くいい香りがするのでオススメです(¥500)

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