「もう降参」と言った叔父の最期2

母との電話で叔父のまさかの末期がんを知ったわけですが、

「どうして?

抗がん剤してたよね?

叔父さんの今の状況は?」


と聞いても


「わからない、わからない ・・・」

と答える母にしびれを切らした私は、叔父さんの入院先に電話をし、看護師さんにお話を伺いました。

遠方に住んでいるので、直接お話を聞きに伺えない旨をお伝えすると、特別ということで状況を説明してくださいました。

「田中さんは肺がんなのですが、間質性肺炎がありまして、抗がん剤がよく効いて癌がかなり小さくなりました。でもそれと同時に間質性肺炎のほうが悪化しまして・・・。これ以上は治療はできませんとご本人にも伝えました。」


??? かんしつなになに? なんだそれは? なんで抗がん剤ができない?

私 「それで・・・。もう治療はできないんでしょうか?」

看護師さん 「はい、できません。来週から緩和のある病院に転院になります。」


私 「余命はどれくらいですか?」


看護師さん 「2~3か月です。よくて半年くらいです。」

おかん~   何が短くて半年じゃ!

人の命ってそんなにあっさりとお終いにしちゃうの・・・?

かんしつなんだって?

抗がん剤したけどかんしつなんとか悪くなっちゃったね!

はい!おしまい!  チャンチャン!  てか!?

いみがわからない (頭が悪いから)


叔父さんを想ってボロボロ泣きました。

近くで娘がびっくりしていました。

鬼ババアでもこんなに泣くんだ・・・


その後、母からの電話での報告で

2020年3月  緩和病棟に行かず自宅に戻った叔父はまたあっけらカーンとすこぶる元気だったらしい。

酸素ボンベはしょっていましたが。

2020年4月   急激に体調が悪くなり、緩和のある病院に入院。

危篤の電話で母と兄と兄嫁が病院に行くと、酸素マスクと管だらけの叔父さんが真っ青な血の気のない皮膚でハアハアと息苦しそうににしていたらしい。

母が声をかけると叔父さんは

「もう無理!こーさん!」

といっていたらしい。

看護師さんが「少し眠りますか?」
と言って薬を投与してくださり、そのまま永眠したそうです。

その一年後の3月に

父の間質性肺炎合併肺がん

が判明しました








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