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命を知るってどんなことですか ?

自分に備わった生命の素晴らしさと、それが限りあるものだということに気づくことじゃ。
そして、絶対的な安心の中に自分が生かされているということに気づくことでもあるんじゃ。
自分の意志とは関係なく、呼吸が自分を生かしてくれている。
舌で味を感じ、耳で風の音や自然の音を聞き分け、目で綺麗な世界を見ることができ、鼻で匂いを嗅ぎ分けることができる。
何かが足りないと思っていたのは、自分だけじゃった。
たくさんの大自然と同じものが、自分の中にはあったのじゃ。
もちろん生活していくには、そのほかにたくさん必要なものがあるじゃろうが、生きている命ということを考えたときに、まずは十分な気持ちにならんか。
ちょっと幻想的じゃが、目を閉じて想像してほしい。
自分の中には暖かい光があって水の流れがある。
とうとうと流れる源流があり、優しく柔らかに照らす光がある。
光が優しく照らし、水がすべてを流し、空気が呼吸を整える。
自分がどうしようもなく生きづらさを感じていても、それとは関係なく、こんな自分を一生懸命に生かそうといつもと変りなく自分を支えてくれている大自然の生命があるんじゃ。
この大自然の中に自分のちっぽけな心がある。
この大自然を自覚できずに外ばかりを見ている心がある。
心は絶えずキョロキョロと興味と不安から外ばかりを見ている。
外はいつも変化に富み、そこに安定はない。
安定、安心は自分の内にしかないんじゃ。忘れるでない。
心のなかに水の流れが有ることを知り、心が柔らかな光を浴びるとき、ひとは安心して穏やかな気持ちにもどれるのじゃ。
自分の足で歩いて好きなところに行ける、おいしく物を食べられる、暖かい布団で痛みを感じずに眠れる。
病気になると、それだけでも十分だと、幸せだと気づかされるじゃろう。
最大のひとの不幸は、それに気づかないことなんじゃ。
歩いてさえいればいろいろ気づくじゃろう。
何でもできると思って歩いていると、できないことが見えてくるじゃろう。
何もできないと思って歩いていると、できることが見えてくるじゃろう。
自分なりの生き方を探して歩いているうちに、あなたにしか見えない景色が見えてくる。
いつもそんな自分を陰ながら支えてくれている大自然が命というものじゃ。
それだけで十分ありがたいと思わんか。