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150円のお茶とカイロウドウケツ

挙式を終えて

教会の扉が閉まり、祝福の拍手とアヴェ・マリアの音が小さくなっていく。
ヴァージンロードのお義父さんの表情、セレモニーで両親の手を握った感覚、家族の涙と万雷の拍手。
何物にも変えがたい重責と幸福を胸に、大きく深呼吸をした。

挙式直後の控え室で、「いい式だったよね」と、妻と2人で自画自賛し合った。妻の妹が泣きすぎて、妻は逆に泣けなかったエピソードもなんだか家族らしくてよかった。
この辺りから自分の中の"結婚式の意味"の変化をうっすらと感じ始めていた。

外はあいにくの雨模様。肌寒い軽井沢の空気を吸い込むと、心の中の温かさをぼんやりと感じた。


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とんぼせんせいの挨拶

化粧直しを終え、星野源の「」 にのせて披露宴入場。歩幅がぎこちなかった挙式とは違い、妻と腕を組んでしっかり歩けるようになっていた。

前日の夜に書き溜めたはずの新郎挨拶。いざ当日の朝になるとスマホのメモ帳から跡形もなく消え去っていて愕然とした。寝落ちするまでスマホとにらめっこするのは本当によくない…


続いて新郎父の乾杯の挨拶。おしゃべりが好きな父だが、短く端的なスピーチでそっと胸を撫で下ろした。(前日の食事会でスピーチのネタが尽きるほど話が盛り上がっていたからかな)

食事の歓談中、私の横に座っていた弟が、父が乾杯の挨拶に小ネタを仕込んでいたことをこっそりと教えてくれた。「挨拶が長くなるから」と、当日の朝になって頓挫したらしい。

どんなネタだったのか気になりながらも、ちょうどスープを飲み終えた頃、父が我慢できずにその小ネタを話しだした。

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父の実家の隣家には某国立大学の名誉教授が住んでいた。生物学の研究をしていて常に白衣。ボサボサの白髪に丸メガネ、口数の少ないその人を、父の家では"とんぼせんせい"と呼んでいた。(おそらくトンボの研究をしていたのだろう) そんなとんぼせんせいが、30年前、父の結婚式で挨拶をしてくれたらしい。

カイロウドウケツのようにいつまでも夫婦円満で

カイロウドウケツとは、円筒状の海綿で全体がガラス状の繊維で覆われていている海底に棲む生き物。

その円筒の中にはドウケツエビというエビが2匹棲んでいる。そのエビは幼い頃にカイロウドウケツの中に入り込み、そこで夫婦となり成長する。そのうちエビの体がカイロウドウケツの網目よりも大きくなり、2匹のエビは死ぬまで外に出られなくなる。

その習性から転じて、「生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる」という、夫婦の契りの堅い様を意味する言葉として「偕老同穴(カイロウ・ドウケツ)」と呼ばれるようになったそう。別名は「ビーナスの花かご」


そんな縁起物 カイロウドウケツの話をしてくれた父は、私に謎の紙袋を手渡してきた。
恐る恐る覗くと、中には透明な繊維で覆われたリレーのバトンのような物体。

それがカイロウドウケツなんだって

あまりに突然のご本人登場に言葉を失う。リアクション悪かっただろうなーと今になって反省する。

バキバキに割れたiPhone8を未だに使っているような父が、わざわざネットで「カイロウドウケツ 買い方」と検索し、それを取り寄せたことにもビックリした。そんなことをする人だなんて思いもよらなかった。

この一件で父にはロマンチストな一面があることを初めて知った。今度家に帰ったら母に確認してみようと思う。


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愛の挨拶

ギリギリまで調整したプロフィールムービーも無事成功。曲のタイミングもバッチリ決まった。
妻がイラストを書いてこだわったシャインマスカットのウェディングケーキも最高の仕上がりで大喜び。

メインの肉料理も程々に、5分ほど席を外していた妻がフルートを持って登場。
新婦から両親へ感謝の手紙だと湿っぽくなってしまうからと、中高6年間続けてきたフルートの演奏で感謝の気持ちを伝えるという妻のナイスアイデア。

1曲目はエルガー「愛の挨拶
エルガーが婚約記念に妻アリスへ贈った曲。優美な曲想が会場全体に行き渡る。

2曲目は入場曲でもあった星野源「
サビの部分では新郎の私が突然、恋ダンスを踊り始めるセルフフラッシュモブを採用(そんなものはない)。
両家の前でタキシード姿でキレッキレの恋ダンスを踊るため、3週間ほど前から近所の音楽室へ2人で通い、それぞれフルートとダンスの練習を積んできた。

当日は練習以上に踊れた(気がした)し、なにより家族にめっちゃウケたので安心した。

私からの愛の挨拶は、人生最初で最後のフラッシュモブだった。


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夢の外へ

結婚式なんてただの儀式だろう

正直、式の準備をする前はそう思っていた時期もあった。入籍してから2年経ってるし、コロナ禍だし、やるとしても家族だけで小ぢんまりやろうかな、くらいの軽い気持ちでいた。

しかし、様々なプロフェッショナルな方々のお力添えもあり、約3か月みっちりと準備を進め、すべての行程を終えた今、この「ただの儀式」こそ、大事なことなのだと身をもって痛感している。

そんな自分の中の"結婚式の意味"の変化に気がついたのは、タキシードを脱ぎ、私服のパーカーに着替えている時だった。

挙式の際、父や母の見たことの無い表情や涙する姿を見たとき、家族はこんなにも私たちの結婚で喜んでくれるのだと知り、「結婚式は新郎新婦のためだけのものではない。家族にとっても特別な瞬間なんだ。」と気づいた。

かつて想像していた「ただの儀式」は、誰にとってもかけがえのないシーンが連続する奇跡的なイベントだった。

そんなことを考えながら、ウェルカムスペースを飾った小物や、いただいた祝電をダンボールに詰め、片付けもひと段落した。

帰り際、もうこの式場に打ち合わせで来ることは無いのかと思うと、寂しい気持ちでいっぱいになった。

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街で喉が渇いたとき、自販機で150円のお茶を買うのをためらい、わざわざドン〇ホーテを探して70円のお茶を買いに行くような私だけれど、今回ばかりはケチらずに、二人のやりたいことを詰め込んで本当によかった。

「エンドムービーなんて要らないだろう」と思いながらも渋々追加したが、終わってみれば当初希望していた妻よりも私の方が熱心に繰り返し見ている(気がする)。その道のプロに仕事を頼むことの大切さを学んだ。

これからも150円のお茶を買うことは無いだろうけど、こんなに羽振りよく家族や自分たちのためにお金を使うこともあまり無いだろう。

28歳の私の結論
結婚式は絶対にやった方がいい


霧が立ち込めた軽井沢を抜け、新幹線であっという間に東京駅に着いてしまった。夢の外へ連れてこられたようだった。