Pieces ~余りあること
「余白」は僕にとって重要な価値観の一つだ。
「余白」というのは元々、手紙や絵が書かれた紙面上の何も記されていない真っ白な部分を指す。
だから「価値観」というのとは違うかもしれないが、何か物事を判断する時に、特にスケジュールや仕事量を考える時の判断基準として「余白があるかどうか」を大事にしている。
「余白」の必要性
おそらくこれは、自分の2つの性質に基づいている。
1つは「頭痛持ち」であること。
小学生の時から、気づけば自分は重度の片頭痛持ちだった。
特に暑い季節や激しい運動がダメで、バスケやバレーボールなど体を動かすのが好きなのに、激しい運動をすると、決まって激しい頭痛に見舞われ、少なくとも半日は何もできない状態になってしまう。
寝不足やアルコールも同じく誘発因子である。
とはいえ、上のモノを気を付けていれば頭痛が出ないわけでもなく、結構万全にしているつもりでも「頭いたァー」となることがある。
だから、常に「頭痛くなるかも」という可能性を見据えて、事前に「余白」を作る癖がついた。
もう1つはHSS型HSPという特性。※リンク参照
HSPは「繊細さん」という名前で知られつつあるが、HSS型というのは「High Sensation Seeking」の略で、日本語では「刺激探究型」と訳される。
繊細で傷つきやすい癖に、刺激は欲しいという、なんとも厄介な性質だ。
現状維持は嫌で(ストレングスファインダーも2位が最上志向)、成長や新たな環境、出会いを求める。一見すると行動的だったり好奇心旺盛で大胆なのに、実は1人になるとめっちゃ疲れているという矛盾をあわせ持つ。
この言葉を知ったのは最近だけど、知った時に「これ俺じゃん」と腑に落ち、同じような人が他にもいるらしいということに少し安心した。
(僕にとっては、性質の一つであって障害や病気だとは感じていない)
だから、意識的に緩急の"緩"である「余白」を設けないと、心が疲れ切って「なんもやりたくない」「人に会いたくない」と思ってしまうのである。
(実は教師をやめたのにも関係する。教師の仕事は刺激が強すぎた)
この2つの、言うなれば「自分にはきっとどうしようもない、受け入れるしかない性質」のために、「余白」は必要不可欠なものであった。
毎日、あるいは1日中予定を詰め詰めにし、がむしゃらに動き回っている、いわゆる「バイタリティー強め系」な人に憧れたこともあった。
でも今は僕を受け入れているし、むしろこの時代において「余白」を大事にできたことで得られたメリットもあったなと感じている。
「余白」を作らないとどうなるか
「余白」は「余裕」の源になる。
「余白」があれば、何か緊急で対応しないといけないことができたり、取りかかっていることにもっと時間をかけたいと思った場合でも、臨機応変に対応できる。
元々「余白」を作っておけば、気持ちにも余裕が生まれる。
「もし○○になったらどうしよう」から、「もし○○になっても大丈夫」という安心感が生まれる。
逆に「余白」がないと、緊急対応を要した場合に、他のことに支障が出る。
例えば、スケジュールをみっちり埋めている場合、1つの仕事が押したら、別のところに必ずしわ寄せが行く。すると、それに対して断りの連絡を入れたり日程を再調整したりと、2次発生的な仕事が増えるし、それなりの精神的負担もかかる。
いわばドミノ倒しだ。
「余白」と人間関係
「余白」があると「余裕」が生まれる。
僕はこの「余裕」が、人間関係において重要だと最近考えるようになった。
人は余裕がなくなると、往々にして感情的になりやすくなる。
余裕があれば「さらっ」と見過ごせることでも、余裕がないとすぐに「はっ?」とイライラしてしまう。
これはまさに僕が教員時代に陥っていたことだった。
それによって、自分としてはいつになっても許せないことをしてしまい、トラウマのように残ってしまった。
それで失うものは、きっと計り知れない。
あるいは、余裕があれば、周りの細微な変化にも気付けるかもしれない。
チームや組織に生まれる、小さな小さなヒビ。
小さなヒビはよく観察しないと見つけることはできない。
小さなヒビのうちに修復しておけば何とかなるものも、それが見過ごされて大きな裂け目となり、割れてしまったら、元の形に戻すのは難しい。
小さなヒビは、毎日毎時間、ありとあらゆる場所で生まれているだろう。
ヒビの発生を避ける方法は、おそらくない。人それぞれ背景も個性も価値観も、考えも想いも違うのだから、どこかで必ず小さなズレは生じる。
そう考えると、チームで(複数人数で)物事を前に進めたいと考えるのであれば、そこに余裕は必要不可欠だ。
余裕を失ったチームは、残念ながら分裂という前途を回避するのは難しいだろう。誰かがいなくなったり壊れたり辞めたりして初めて、一瞬だけ繕おうとするだけだ。そして同じことが繰り返される。
日本の幸福度の低さは、この余裕のなさと、それによって生まれる人間関係の軋みが原因の一つかもしれない。
「余白」を作ろう
やる気のある人ほど、行動的な人ほど「余白」を作るが苦手だ。
何かをしていないと、自らの成長の機会を失っている気になるのかもしれない。
だけど、そのやる気の向く先を、その行動の成果を最大化させるためにも「余白」を作ろう。
その方が、結果的にきっとうまくいく。
僕は洗練された人間になるために、「余白」を大事にしていきたい。
余裕のない洗練なんて、きっとないから。
「余白」は「無駄」じゃない。
誰も悲しませないための「余白」。
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