見出し画像

【キャリア開発】わらしべ長者理論

わらしべ長者理論をご存じですか?
・・という書き出しで記事を書こうと思ったけれど、誰でも知る物語、もはやそのあらすじを書く必要はありませんね。イメージはこちら。↓

わらしべ長者物語のイメージ

キャリア開発に例えると

このわらしべ長者物語の主人公の行動を、キャリア開発、もしくはキャリアアップという観点で読み替えると、深い学びが潜んでいます。

1. 動かなければ幸運に巡り合えない

この男は、通りかかった観音様に、自分の命と引き換えでもいいから「運を授けてほしい」と願掛けをします。その後、一つ一つ、幸運な出会いが続きました。道端で転んだ拍子に手に掴んだワラから、最後には大きな屋敷を手にすることになります。はっきり言って、幸運です。
運がいいだけ、のように見えます。

が、最も大事なことは、前に向かって歩き続けたこと。
運はつかむもの、ただ待っていては出会えませんでした。

泣き止まない赤ちゃんに困るお母さんと出会い、アブ付きワラとの交換でミカンを得ます。ここでそのミカンに満足して、その場に留まっていたら、その先で、喉が渇いて困っていたお嬢さんと出会って、反物と交換するというイベントには出会えていませんでした。

2. 何かを捨てて、別の何かを得た

ミカンを手にした男が次に出会ったのは、喉が渇いて困っていたお嬢さん。水が欲しい、と願うお嬢さんに、快く、持っていたミカンを差し上げます。もしここで、自分も喉が渇いているんだ、もったいない。一口だけあげる、という態度だったら、反物をいただくことはなかったかもしれません。

あるモノを手放したことで、別のより良いモノを手にすることができたのです。

3. モノの価値は、時と場合で変わる

更に先へと旅を続けた男は、死にかけた愛馬を家来に始末させようとしている侍に出会います。その家来と交渉して、高級な反物と死にかけた馬とを交換します。必死に介抱した結果、その馬は回復します。その後、最終的にはその馬と、大屋敷とを交換する機会に恵まれるのです。
最初のアブ付きワラも、ミカンも、この馬も、ある人にとっては価値が無くても、また、価値が無くなっても、ある人にとっては、今この瞬間、最も必要としているものだったりします。
モノの価値は、時と場合によって異なる、変わるのです。

これを仕事に例えると、求められる仕事、役割の価値は変わるのです。

自身のキャリアの振り返り

さて、GenZeeは自分自身のキャリアをふと振り返った時、このタイミングでこの話?こんなチャンスある?あそこであぁだったから今こうなった、といような機会が多々ありました。
そして、ある時から「この縁はわらしべ長者のようだな」と思うようになりました。少し長いですが、そんな”運”や”縁”を列挙してみます。

グルグルと会社と職種を変えてきた
  1. システムエンジニア職で社会人スタートをしてGenZee、KDDI(当時のDDI)の情報システム部に応募して合格します。が、パソコンが使える営業が欲しいということで、営業部にスカウトされてしまい、本人の意思とは関係なく、営業としてのキャリアを積むことになってしまいます。

  2. でも、そのおかげでインターネット業界に出会うことができました。当時の副社長に直談判して、一人インターネット営業企画担当となり、全国のプロバイダーに営業をかけました。その時に、当時、”ユーガットメール”という映画で有名となったAOLとも取引をしました。

  3. 元は技術者だという思いから、本業の営業とは関係なく、技術者にとっても難関の資格を取りました。そのおかげで、当時、その資格保有者を探していたAOLに、滑り込みのような形で転職できたのです。

  4. 入社直後に受けたTOEICのスコアは580点。もしこのスコアを面接時に伝えていたら、確実に落ちたでしょう。TOEICを知らなかったことがむしろ幸いしました。必死の勉強のおかげで、半年後には870点を取り、会議で発言できるまでに、英語力を身に付けることができました。

  5. そのAOLがある日突然、eAccessに買収されてしまいます。まさに青天の霹靂。多くの人が辞めたり、辞めさせられたりしました。ところが、私は、AOLでeAccessとの取引を開始した張本人。AOLのこともeAccessの課題も知る者として、残留を求められたのでした。

  6. その後、本部長としてコンテンツ事業を見ることになり、インフラからコンテンツの世界に移りました。Napsterという外資系の音楽サブスクの会社に興味を持ち、転職をするのですが、AOLでの仕事のおかげで、英語が使えるようになっていたことが幸いしました。

  7. そこでは、アプリバンドル(パソコンや携帯にあらかじめ埋め込む)の交渉という特殊な業務を担いました。数年後、当時のGoogle日本法人で、その特殊業務の専門家を探していることを知ったヘッドハンターに運良く出会い、彼の勧めで応募して、ほぼその一点で転職に成功しました。

  8. Googleでは9年近く勤め、日本における検索シェアを伸ばす役割などを担いました。その中の成果の一つに、カカクコム社との業務提携がありました。1年がかりの交渉と半年がかりの契約作業と、大変なディールだったこともあり、相手方の社長以下キーマンらと仲良くなりました。

  9. その縁があって、Googleを辞めようと決めた時に、他のGAFA系企業のオファーを辞退して、縁があったカカクコム社に転職することにしました。そこで、初めて経営企画という役割を経験し、今までやってことのない、M&Aや、アジアのスタートアップへの投資などを経験できました。

・・・こうして振り返ると、冒頭で記した3点のまとめが当てはまります。コツコツと働き(歩き)続けた。職種が変わろうとも(それを一旦捨てて)、新しい役割に挑戦した。たまたまニッチな役割を探していた企業に出会い、自分が持っている資格や経験がうまくはまって転職できた、その繰り返しでした。

わらしべ長者のごとく、一つ一つの出会いやきっかけを、”キャリアアップ”に繋げてきたのでした。これらのイベントを意識して獲得する、そのための努力をする、という積み重ねが、”キャリア開発”の手法とも言えるのです。

自慢話のような文をだらだら書いてしまい恐縮ですが、誰でも似たような経験があると思います。わらしべ長者物語をイメージして、日々コツコツと歩き続け、経験と能力と技術(資格等)を身に付け、もしチャンスが到来したら、勇気をもって、何かを捨てて、新しい何かを掴みましょう。


以上、長い記事をお読みいただきありがとうございました。

キャリアアップに関連するこちらの記事もご参照下さい。↓↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?