ずっと家族中心に生きてきたのにね。

父がいる日は基本的に遊びに出かけないとか、家族揃ってご飯を食べるべし。家訓でもなんでもなかったんだけど、暗黙に敷かれたルールというかがあってね。

家族にこんなに傷つけられるとは思わなかったな。


三人兄弟の長女として生まれた。

すぐ下は妹4歳離れ、兄弟の中では自己肯定感も強そうで、勝気なほう。幼稚園4歳の時に自分が小学2年生で自分と一緒にかけ算を覚えたくらい頭も良く、運動神経も良く、いつもリレーのアンカーなどをやっていた。

弟は9年離れ、幼稚園の迎えに母の代わりに行ったりもした、オムツ替えの記憶はないけど自分みたいに幼稚園や学校で持ち物で寂しい思いしないように、服装や文房具など流行り物には一切目が行かない、至らない母に代わって気にかけてあげていました。。


父は優秀な妹に頬を緩ませ、入れあげていた。

運動会の前には妹には新しいジャージとスニーカーを買っていた。自分はリサイクルショップだったの。それでもお母さんが選んでくれて嬉しかった反面、日曜日に妹がニヤリとして父と出かけていくのが寂しかった。

ずっとズック靴だった自分が小2で初めてランニングシューズを買ってもらった時、歩きやすさなのか走りやすさなのかその快適さに感激したことを覚えている。今みたいなクッション効いた底ではなくてもっと薄かったと思うけどね。

黒と赤のマジックテープのスニーカー。(なんでもある店)というネーミングの当時ではまだ珍しかったりリサイクルショップで買ったと思います。


このズック持っていたと思う。        ※ネットからお借り


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