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京都エッセイ閑話休題 恋しい京都というまち

 京都と聞くと、誰しもが和な雰囲気を想像する。間違っていない。けれどそれはほんの一部だ。実際に住んでみると、誰もが想像する清水寺や金閣寺などの観光地はあまりにも生活からかけ離れている。
 実際の生活は、なぜか24時間営業のスーパーフレスコで、ただでさえ安いのに安くなったコロッケを買って帰って、家で温めすぎてベロを火傷する。そんな日常だ。金曜の朝だけしかやっていないパン屋に何度も何度も間に合わなくて、結局六年間で数回しか行けなかったり、夜に何を食べるか考えて、結局コンビニ弁当で済ませる。そんなどこにでもある日常に他ならない。
 でも京都というまちは不思議だ。今名古屋で暮らしていて余計にそう思う。多分どこにでもある日常なのに、流れている時間、過ごす場所、息づいている人々の雰囲気が他のどのまちとも違っている。それを具体的に説明することは難しいのだけど、僕の京都エッセイの節々でそれが垣間見えると思う。それらが積み重なって少しでも、京都というまちの本当の魅力を、雑誌に載っていないリアルな京都を知ってもらえたらうれしい。
 京都で僕がどんなことをして過ごしたか。それも多分どこにでもあることだ。大学に行き、本屋で働き、休みの日は後輩や先輩とカラオケしたりカフェで本を読んだり、他愛もない話をした。ほらどこにでも誰にでもある特別でない日々。それが僕には特別な意味を持っている。それをきっと細胞レベルで理解できるのは僕。それを薄めたものを文章で抽出してもなお濃い京都の日々。
 京都が恋しいからエッセイを書いているのに、より京都が恋しくなっている。
 閑話休題。

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