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京都エッセイ(18)夜の京都を歩く

 楽しかったイベントが終わり、電車に乗ったは良いものの、イベント後の飲み会が楽し過ぎて終電を過ぎてしまった。

 そのため兄の家に泊まることにしたのだが、なんと兄も同じく終電を過ぎていて、河原町から歩いて帰ると言う。

 というわけで今回は夜の京都を二時間半かけて歩いて帰ったお話です。

 兄と合流するために、大宮駅まで歩く。京都の風は冷たく、秋というよりは冬がもう顔を出していた。厚めの生地の服を着ていても少し肌寒い。

 それこそが京都だったなと思いながら、冷えた空気の中に京都での思い出を浮かべながら歩いていると、やっぱり京都に帰りたいなと思う。

 今住んでいるのは名古屋なのに、地元は高知のど田舎なのに、どうして京都にこんなに『帰ろう』と思えるのか不思議だった。不思議だったけど、肌感覚でそう感じてしまうのだ。そういうものだと納得するほかない。

 胸がキュッと締めつけられるような思いすら、京都で初めて味わったみたいに体に馴染んでいて、色々な思い出が蘇る。

 僕が生まれた土地でも、今住んでいる街でもない、強いていうなら僕を形作ってくれた居場所とでも言おうか。などと考えながら歩いた。

 すでに店々が閉まっていたが、お昼のときの様子をすぐに思い出せるほど、京都で過ごしてきた。大宮へ向かう道はよく仕事で通っていた。不動産やライブハウス京都MOJO、ポケモンセンターに、友人が個展をやったギャラリー、それぞれに思い出たちが潜んでいて、目に入るたびにバッと飛び出してくる。そのたびにうれしくなり、次に過ぎ去っていった事実に悲しくなる。

 夜の京都を照らす24時間営業スーパーフレスコの灯りに涙が出てきて、たくさん写真を撮っていたら数少ない歩く人々に見られてしまった。

 僕同様、夜の京都にはちょっと変な人が複数いた。叫ぶ人、スケボーする人、誰かを待っているパーカー姿の女の子、夜にも関わらずバカでかい音を出して走る車やバイクに、EDMを流しながら歩く男ら、彼彼女らは他人なんてまるで存在しないみたいに夜の京都を闊歩していた。

 大宮に行く前に、四条大橋と、MOVIX京都のあたり河原町OPAの裏の寺が立ち並ぶ裏寺町、新京極なども立ち寄ったが、人っこ一人いない健全なシャッター商店街なのに、にぎわいの余韻がありありと残っていて、つい普段なら歩かない商店街の道の真ん中をスキップしながら、時々惜しむように立ちどまりながら夜の京都を練り歩いた。

 兄と合流し、四条河原町から北上してまずは京都ビブレまで歩いた。京都市役所駅前の閉まった後の地下街への入り口を見て、そこにあるふたば書房やモーニングをいただいたカフェなどを思い浮かべる。そういえば一人でモーニングを食べたのはここが初めてだった。

 御所のあたりまで歩くと、同志社生だろうか、人の気配が戻ってくる。やはりそれぞれの集団で、思い思いに他人のことなど考えずに振る舞っている。彼彼女らは京都の夜の妖気に当てられたせいで狂っているかのようで、なんだか面白かった。

 いや二時間半も歩いて帰ろうなどと考えている僕たち兄弟の方が狂っているのかもしれない。それほどに御所のあたりの夜の空気は澄んでいながら独特な印象があった。

 鞍馬口を上り、次にはほぼ毎日仕事で来ていた北大路駅周辺。相変わらず夜遅くまで空いている店がなか卯か、ローソンくらいしかない。ビブレの敷地内にあるマクドナルドは光っていたが、開いていない。夜遅くにやっていないマクドナルドというのも不思議だ。

 本当は最も多く時間を過ごした高野や北白川にも行きたいところだが、あいにく兄の家は岩倉にある。寄り道をしている余裕は兄弟二人の足にはなかった。

 北大路の橋を闇の中にちらほらいる人々を横目に渡り切る。闇の中に隠れるみたく、風に揺れる木々みたいにゴソゴソと動いている彼彼女らは普通だったら怖いはずが、夜の京都にはそれが許されているような空気感があり、いるなぁ、としか思わない。

 先輩によく連れて行ってもらったうどん屋、一人で意味もなく行き、欲しくもないのに色々買った雑貨屋、空気入れを借りてばっかで一円も落とさなかった自転車屋などを通り過ぎ、吉野家やケンタッキーCoCo壱が四方に立ち並ぶ通りに出る。その中で吉野家だけが光っていたが、人はまばらだった。

 さらに北上して、車の教習所の近くにある警察署を通り過ぎて、宝ヶ池公園の近くを通る。

 ここまで来ると、もう家だ。正しくは兄貴のであり、僕のではないのだが、それでも帰ってきた安心感がある。トンネルを抜けると、数ヶ月しか過ごしていないのに、少し泣きそうになって、兄に無遠慮に色々を話しかけて誤魔化した。

 夜の京都は本当に不思議だ。美しさの中にどこか狂おしさみたいなものが張り付いている気がする。

 その妖艶さに当てられた人々の生活の一部が目に飛び込んできても、嫌悪感どころか、良いなぁと思う。

 それはきっと京都で暮らした多くの人々がかかる、京都にまた住みたいという呪いのような欲求のせいなのだろう。

 動物にしか、異性にしか、友達にしか、趣味でしか癒せない心があるのと同じように、京都にしか癒せない心が確かにあるのが本当にうれしい。

 翌日、何度目かもわからない短いただいまと少し長いさようならをして京都を経った。

 余談ですが、夜の京都を歩くっていうタイトルめっちゃアジカン感ある。夜の京都はある種の荒野だ。スケボーに乗ってる人もいたし。まぁやろうだったけど。

 荒野を歩け。

四条大橋。鴨川には草木みたいに揺れるカップルが夜にも関わらず数人いた。きっと彼らは猛者。
川に光が反射してぶれているみたいなのが面白い。
フレスコの明かりは京都の帰りたい呪いをうずかせる一つだと思うんだ。

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