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自然時間と餓鬼道、編集道

今年もお盆の室礼に「水の子」使いました。
賽の目に切ったなす、きゅうりと米をあわせて盛ります。
お盆といえば、亡くなった人が”この世”に帰ってくるとされる日。
おがらを焚いて「ここですよー」と目印となる火を作り、
その煙にのって、先祖は家の中に入れるのだとされています。
燈籠や提灯を使うところもありますね。
そして、たくさんの供え物でもてなします。
 
お盆は盂蘭盆(烏藍婆拏)の略で、語源はサンスクリット語の“ullambana”。漢訳だと「倒懸」(とうけん)、逆さ吊りの苦痛を意味します。
盂蘭盆経は、お釈迦さまの十大弟子の一人、目連尊者が、
餓鬼道に落ちたお母さんを助ける話になっていますが、
盆器に飯や棗、梨、石榴などの食べ物、沐浴の道具、
身体に塗る 香油、灯明、敷物、寝具を用意し供養するとあります。
 
一方で、すべてが極楽浄土へと向かう、我が家の浄土真宗では、
提灯のお供えすらありません。そもそも供養という概念がない。
亡くなった人は、そんなことを本当に願っているでしょうか?
果たして、いっときのお供えによって喜ばせたり、
苦しみから救済したりすることができるのでしょうか?
と問うくらいですから。
亡くなった人は、喜怒哀楽の無い静かな浄土にいらっしゃる。
亡くなった人をどうにかしなければならないと考える前に、
生きている自分自身が、日々歓びと感謝をもつこと、
平和であることの大切さを説きます。
まぁ、それもありです。笑 

「逆さ吊り」で思い浮かべるのが
イギリスで生まれたオーラソーマボトル、
12番 PeaceintheNewAeon 新しい時代の平和
クリア/ブルーに対応するタロット「吊された人」ですが
足は縛られてはいますが、苦しむ様子はなく、後光まで射しています。
浄土真宗っぽい!と思います。
さらに・・・

吊された人のリターン、拡張レベルでは、頭位が上になっています。
おまけに足を縛り付けるものは消えています。
宇宙空間、上も下も右も左もないから、吊されるという感覚もなくて、
この人は、自遊に遊泳しているのでしょうか。

いずれにしても、いかなる状況が起きようとも
誰もが持ち合わせている奥深いところにある「自然時間」
静かで穏やかで自由で創造的である
「自然時間」に立ち戻る感覚を養うことが大切ですが、
自然時間を刻む『ハレ暦』は、思わぬ状況に陥ったとき
「知らない」「わからない」が引き金となって入り込む
不安や恐れの呪縛から離れる「方法」として役立ちます。

偶然にやってきた「コト」をきっかけにして
ものごとを冷静に観て、捉えて、既成概念にとらわれることなく、
発想、思想、表現を自由にする時間編集が起こります。
イシス編集学校の「編集道」みたいですね。

『ハレ暦』お盆の室礼は、宗派に囚われることなく、
「想いを盛る」ことを大切にしますから、
ぜひ、「わたしの室礼」に向かっていただきたいと思います。

そして、あの世の餓鬼道のみならず、私たちは、
フードバランスが狂っている「この世」に生きていますから、
「水の子」は、この世、あの世、すべての人たちが飢えることなく
満たされていくようにという祈りを込めた「寄物陳謝」です。




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