見出し画像

比較はきりがないこと

いつもご覧くださる皆様、

本当にありがとうございます。

心から感謝致します。


皆様にとって良い事がたくさんありますように!

これは、2021年4月12日に

「ローザのこの世をまるごと楽しむブログ」に書いた記事です。

https://ameblo.jp/rozaroza-s/entry-12671282997.html

1 急に思い出したこと

 昔、恩師が言っていた事を急に思い出しました。

「例えば、1000人から100人の優秀な人を選ぶ。

また100人から10人の優秀な人を選ぶ。

10人から優秀な人を1人選ぶ。

そうやって人を比較して選んでいったらきりがない。

まして基準がはっきりしないのに、

やみくもに人を選ぶ事は愚かな事である」

誰かそういった事を書いている人はいないかと探していたところ、

思想家のOSHOが「比較」に関しての文を遺していたので紹介します。

2 OSHOの言葉

「比較」

比較は病気だ、最も重大な病気のひとつだ。

まさに最初から私たちは、比較するように教えられる。

あなたの母親があなたを、他の子どもたちと比べはじめる。

あなたの父親が比較する。

先生が言う、

「ジョニーを見なさい、彼はなんて上手なんだ、君は全然だめだね!」

まさに最初からあなたは、自分を他人と比較するように告げられている。

これは最も重大な病気だ。

あなたの魂そのものを破壊し続ける癌のようだ。

ひとりひとりがユニークで、比較は不可能だ。

私はただ私自身であり、あなたはただあなた自身だ。

比較すべき人は、世界中に誰もいない。

あなたはマリーゴールドと薔薇を比較するかね? 比較しない。

あなたはマンゴーとりんごを比較するかね? 比較しない。

あなたはそれらが異なっていることを知っている――比較は不可能だ。

人間は共通の特徴を持つ種ではない。

ひとりひとりがユニークだ。

これまであなたのような個人はひとりもいなかったし、決して再び現れることもないだろう。

あなたは完全にユニークだ。

これがあなたの栄誉であり、あなたの特権であり、あなたをユニークなものにした、生の祝福なのだ。

出典:https://www.osho.com/ja/read/osho/osho-on-topics/comparison

 結局、やみくもに比較できない者同士を比較する事自体、大変愚かなことです。

 人というものは何でも比べたがります。

 特に今のように情報過多な世の中では、比べても仕方がないことまで比べます。

 本当に比較や選ぶという行為が必要であるならば、同じ人間の中での過去と現在のような過程として比較を行うか、他者との比較の末に選ぶ場合は基準を明確にしないと、はっきり言って意味がない事です。

 しかし、よくよくこの世を見てみると基準がはっきりしないものが、たくさんあるものです。

 多くの人や物がある世界ですから、業界によって、何かと何かを比べることは、ある程度は仕方がないのですが、本質や価値のレベルには比較や優劣はつけたくないものです。

 AさんとBさんをCというものさしで比べて、Aさんの方ができていないので、Bさんよりも人間として劣っている・ダメ人間であるというように、人間性の否定まではしてほしくないと思います。生きていく上でやってはいけないことがいくつかあるとしたら、人間性の否定はそのうちの1つです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?