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「SFの世界じゃあるまいし」が死語になる日

ネトフリなどで「 #三体 」を観た方は多いと思うが、その反応、解釈、は様々だ。大昔から、この手の映像作品は絶え間なく登場してきた。いわゆる、近未来を描いたSF作品。鉄腕アトムやドラえもんがその最たる例で、「こんな未来になるとは本気では思ってないけど、なんとなくお話として魅入っちゃう」感じで、子供の頃から観てきた。

鉄腕アトムでの近未来

子供を対象にしていることもあって、大人から見れば「そんなのはSFの世界の話。現実には不可能だよ」って反応が大半だった印象がある。これは昭和40年代から平成に入っても同じ感じだったような。世の中が進化するにつれて、徐々にその「SFの世界」もジワジワと現実味を帯び始める。あくまでもジワジワ。
ところが、この10年ほどにおいては、テクノロジーの進化が(様々な要因で)半端じゃなくなってきている。その最たる例の1つがchatGPTを皮切りに始まった #生成AI であり、スマホであり、インターネットであり。今後はVRであり、NFTであり。とてつもないスピードで進化して、(たかだか数千年の人類の歴史においても)あっという間に人々の生活をガラッと変えている。

ドラえもんでの近未来

テクノロジーの進化が人々の生活に行き渡り、最初は稀有な1サンプルでしか無いが、気付けば、生活のあらゆる場面で「ツール」として浸透している。もはや、スマホの例をいちいち挙げる必要も無いだろう。かつて、スマホの存在を人々がどう言っていたか。「あんなの使ってるのは奇特なバカ」が「無いと生きていけない」にまで、あっという間に変化した。あっという間だ。

本題に戻ると、そんな激しいスピード感での進化が続き、上に書いたような「SFの世界」って言葉がそろそろ意味を持たなくなるんじゃないかと思っている。SFとは科学に基づいたフィクション。つまり、もっともらしい作り話てことだ。そこに人々の日常での欲求を重ね合わせると、ドラえもんのような国民的な大人気作品が完成する。科学的に“できそうな気がする”技術によって、あり得ない「ツール」を登場させていた。フィクション、つまり作り話だと分かっていながら、「あったらいいな」と欲求を掻き立てる。だから、子供はそこに夢を見て、大人は「SFの世界じゃあるまいし」と捨て去る。それがSFの常識感だった。それが、今や、実際のテクノロジー(の進化)が早すぎて、SFで描いていることが、夢を見るような世界観ではなく、「そろそろできそうだね」となってしまう。それによって、SFと言うジャンルが大きく変わった。それが「三体」に繋がる。

私は原作を読んでいたわけではなく、昨今のブームで知って観たレベルなのだけれど、解釈は昔のSFとは全く異なる。「こんなこと、ホントにあったらマジで怖い~(けど、現実には起こるわけ無い)」がこれまでの一般的なSFに対する態度。ところが、三体で見せられていることは、目の前に数年先には現実となっていてもおかしくないことばかり。もしかしたら、今この瞬間にも世界の何処かで起こっていても全く不思議ではない。そんな風に感じてしまう人がネット上でも少なくない。私のこの辺の感覚は極めて一般的なので、日頃から肌で感じる部分だ。科学者でも技術者でもない、超俗人的な私はめちゃくちゃワクワクした。少しだけVRやメタバースを仕事でかじった程度のレベルだからこそ、ワクワクが止まらなかった。あのゲーム機、観た人の多くが「Apple Vision Pro」の後継機を想像しただろうし、(これは想像だけど)年末に予想されているVisionProの日本発売にも影響してくるんじゃないだろうか(興味を持てない高価なだけの端末⇒具体的な未来をイメージさせる端末)。

弊社MATRIXの社名はもちろん、あの映画「MATRIX」に起因している。脳みそに直接、電気信号をぶち込んで、現実世界と違う異世界へダイブするっていうあの映画を「SFの世界の話」と言い捨ててたのが公開当初。今や、あの世界線を現実のものとすることが全くもって不可能な話じゃないことを強く感じているのが弊社(詳しくはグループのミッション第1章~第4章をご参照下さい)。「三体」に出てくる話は、更に近い話。もはやSFとは言えないんじゃないかと思ってる。現実ではないからSFには違いないけれど、大昔に言ってた「SFの世界じゃあるまいし」で使っていた「SF」とは明らかに違うなと感じた、ドラマ「三体」でした。

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