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『稲盛和夫一日一言』 7/7(金)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7/7(金)は、「人生の縦軸と横軸」です。

ポイント:運命は、人生を貫いていく縦軸として存在する。そして、横軸には因果応報の法則が存在する。私たちの人生は、この二つの法則によってできあがっている。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「人生をつかさどる見えざる大きな二つの力」について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人生には、それをおおもとで統御している「見えざる手」が二つあると、私は考えています。
 一つは、運命。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、その運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていきます。
 
 では人は、自らの意思や思惑の届かない運命に支配され、その前ではまったく無力なのかというと、そうではないと私は思っています。なぜなら、人生を根本のところでつかさどっている、もう一つの「見えざる手」があるからです。それが「因果応報の法則」です。

 つまり、善きことをすれば善き結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。それは、善因は善果を生み悪因は悪果を生むという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟(おきて)」のことです。

 私たちに起こるすべての事柄には、必ずそうなった原因があります。それは他ならぬ自分の思いや行いであり、その思念や行為のすべてが因となって果を生んでいく。また、その結果についての対応が、再び次の事象への原因と化していく。この因果律の無限のサイクルもまた、私たちの人生を支配している摂理なのです。

 先に、「こころが呼ばないものは、決して周囲に現象として現れない」、すなわち、「人生は心が思い描いたとおりのものになる」と述べましたが、それもこの因果応報の法則によるものです。

 運命と因果律。その二つの大きな原理が、誰の人生をも支配してる。運命を縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られているわけです。
 人生が思い通りにいかないのは、そこに因果律の持つ力が働くからであり、一方、善行が必ずしもすぐに善果につながらないのは、そこに運命が干渉しているからなのです。
(要約)

 この内容から、2020年公開の映画『糸』の主題歌の歌詞を思い浮かべた方も多いでしょう。
 「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない・・・(抜粋)」(中島みゆき 作詞・作曲)

 今日の一言には、「人生を貫いていく縦軸となる運命と、善因は善果を生み悪因は悪果を生む、という因果応報の法則からなる横軸の二つによって、われわれの人生はできあがっている」とあります。

 縦糸と横糸なのか、はたまた縦軸と横軸なのかといった議論はさておき、私たちの人生をつかさどっているものについて言及されているこの話を初めて聞いた30代頃の私の納得度は50%でした。

 自らの思いや行いに左右されないものが、「運命」という形で厳然と存在していて、それは己の力では如何ともしがたいものであるということ。
 そして、持って生まれた運命というものの流れを変えることができるとすれば、その手段は善行を積むしかないということ。

 そのときに感じた「そうする以外、本当に手はないのか?」という素朴な疑問は、現在までずっと続いています。
 しかし、年齢を重ねるにつれ、因果応報の法則は存在している、いう思いは強さを増しています。それは、自分のことを筆頭に、家族や親族、仕事仲間や地域で関わりのある人たちまで含めてみると、その法則の持つ普遍性のようなものをより多く実感してきたからではないでしょうか。

 「自分の人生を生きることができるのは自分だけ」
 人間もまた、この普遍の真理のもとに生きています。善因善果という因果律の存在を信じて、残りの人生を真っ当に生きていければと思っています。

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