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『稲盛和夫一日一言』 3月12日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3月12日(火)は、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」です。

ポイント:新しいことを成し遂げるには、夢と希望を持って楽観的に目標設定し、計画段階では悲観的に構想を見つめ直し、実行段階においては、自信を持って楽観的に実行していかなければならない。

 2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行することの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 新しいことを始めて、それを成功させていく人というのは、自分の未来を明るく描く楽天的な人間であることが多いものです。

 「こういうことをひらめいた。今のままでは実現できる可能性は低いが、必死に努力すれば、必ず成功することができるはずだ。よし、やってみるか・・・」こうした楽天家のほうが、得てして成功に近いものなのです。

 ですから、私は困難が予想される新しい事業を進めるにあたって、あえて「おっちょこちょいな人間」を起用することがよくありました。
 少しばかり単細胞でおっちょこちょいではあっても、「それはおもしろい、ぜひやりましょう」と無邪気に賛意を示して、その場ですぐに腕まくりでもしてくれるような人間に、新しいリーダー役を任せることが多くありました。

 それは、頭がいい人には悲観論者が多いからです。なまじ鋭敏な頭脳を持っているがゆえに、よく先が見えて、実行する前から物事の成否がおおよそ判断できてしまいます。
 したがって新しいアイデアについても、「それは無理だ」とか「実現の可能性は低い」といったネガティブな判断を下すことも少なくありません。
 つまり、悲観論者は先は見えるが、そのことがともすれば実行力や推進力を抑制することにつながりがちなのです。

 一方、楽観論者はその反対で、先の見通しには暗いのですが、先へ進もうとする馬力があります。だから、プロジェクトの構想段階や立ち上げの時期には、楽観論者のその物事を前に進める力を買って、牽引役を任せるのです。ただし、その構想を具体的に計画に移すときは、そのまま任せることは危険です。楽観論者はその馬力ゆえに、ときに暴走したり、道を誤ったりしがちだからです。
 そこで、慎重で熟慮型のものがよく見える人間を副官につけて、あらゆるリスクを想定し、慎重かつ細心の注意を払って、実際の行動計画を立てていくのです。

 しかし、そのままでもいけません。それでは、予想される困難や障害を前に、実行しようという勇気が湧いてきません。
 計画をいざ実行する段になったら、再び楽観論に戻って、思い切って行動できるようにしなければならないのです。

 「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」
 これが新しいテーマに挑戦していく最良の方法だと、私は考えています。
(要約)

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」の項で、名誉会長は次のような例を示して解説されています。

 「大企業からは真に創造的なものは生まれてこない」とよく言われます。
 優秀な技術者がたくさんいて、資金力もあるわけですから、何か新しいことをやろうと思えば、大企業の方が断然有利なはずなのですが、得てしてベンチャー企業の後手に回ってしまったりするのは、そこに頭がいいだけの人間しかいないからです。

 そのような人間がいくら集まったところで、それがどれだけ難しいことか、どれほど無謀なことかといった冷静な見解ばかり出てきて、どうしたらそれを実現できるのか、どうやったら障害を克服できるのかといったところまで議論が及びません。結局、「できない、不可能だ」という結論に至ってしまうのです。

 ですから、新しいことを成し遂げようとすれば、それが実現するに至るまでのさまざまなプロセスごとに、それに見合った人材を配していかなければならないのです。(要約)

 ここでは、適正な人材配置のあり方について言及されています。
 「一人でできることは限られていて、その人生・能力は有限である」と考えるのが一般的です。
 しかし京セラフィロソフィには、『人間の無限の可能性を追求する』という項目があります。「仕事において新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性を信じることのできる人です」という内容です。

 一人の人間が、場面ごとプロセスごとに楽観的になったり悲観的になったりと変幻自在に対応することができる、それが究極のあり方なのかもしれません。


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