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『稲盛和夫一日一言』 5月4日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月4日(土)は、「大切な価値観」です。

ポイント:どのような状況に置かれようとも、「人間として正しいことを追求する」ということを最も大切な価値観として尊重し、それに基づいて行動しようとすることが大事。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「心の中に規範を持つ」の項で、心の規範となるべきものについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私は、心の規範となるべきものが「フィロソフィ」だと言っています。また、「その規範とは決して難しいものではなく、公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実などの言葉で表されるものです」と列挙していますが、実はこれだけでは足りません。
 
 規範というのは、これらの言葉で表されるものだけではなく、フィロソフィのすべてが規範となるべきものなのです。つまり、『京セラフィロソフィ手帳』にある全項目を心の規範として持つことが大切です。

 公正、公平、正義、努力といった短い字句で表現すると実践しにくいわけですが、フィロソフィの各項目は、事例つきで、どういう考え方、どういう行動をとるべきかということを説いています。
 つまり、フィロソフィすべてが、心の中の規範となるべきものだということです。
(要約)

 2022年発刊の『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(稲盛和夫述 稲盛ライブラリー編 PHP研究所)「正しい判断をする思考プロセス」の項で、物事を判断するときに「ある考え方」を習慣づけることが大切であるとして、名誉会長は次のように説かれています。

 物事を考えるとき、「いいな」と思った瞬間、「ちょっと待て」と自分を抑える。そして、「相手にとってどうだろうか」と考え、「いいことだ」と確信できたら、Go!の結論を出す習慣をつける。
 すべてを「利他の心」で判断することは難しくても、自分の思考のプロセスにそうした回路を入れておくといいと思います。

 京セラフィロソフィでは、「自分を犠牲にしてでも他の人を助けてあげようとする心が利他の心だ」といっていますが、利他の心をもって判断基準にすべきは経営者だけではありません。政治家でも、学校の先生でも、リーダーにとって利他の心は最高の判断基準となるものです。

 とはいえ、本当に利他の心で判断できるのは、悟りをひらいた聖者、聖人だけです。ですから私は、「利他の心で」と言ってはいますけれども、実際は私自身、まだまだナマクラで中途半端であることを承知で言っているわけです。

 利他の心の究極は、悟りの境地です。ですから、「利他の心」に基づいた判断というのは、悟りの境地をひらくような修行をしてこられた人だけが持ち得る判断基準なのです。

 ですから、修行をしていない我々凡人にしてみれば、「利他の心で判断せよ」と言われてもチンプンカンプンで、何を基準にすればいいのか分かりません。そこですぐに「損か、得か」といった本能で判断してしまいます。

 そうならないためには、何か判断をしようとしたとき、「よし、これでいこう」と思っても、それは本能から出てきた欲求ですから、最初に出てきたその思いを行動に移す前に、ひと呼吸入れるのです。
 その思いを一度横に置いて、「ちょっと待てよ。相手にとっていいか悪いかでもう一度考えてみよう」と、ワンクッション入れてみる。そして、「自分にもいいけれど、これは相手にとっても悪くない。相手もきっと喜んでくれるはずだ」と思えたならGo!の判断を下す。そうしないと、どうしても自分に都合がいい話にポンと乗ってしまって、相手にたいへん不利益を被らせかねません。

 思考のプロセスにそういう回路を入れておくことがたいへん大事だと思います。いくら人間ができていなくても、そうした習慣を身につけてさえいれば、悟りをひらいていなくても「人間として正しいことを正しいままに貫く」ことができるはずです。(要約)

 どのような価値観を尊重して生きていくかは、各自の自由です。しかし、「人間として正しいこと」は普遍なるものの最大公約数ではないかと、私は思っています。
 そうした判断基準が日々有効に活用していけるよう、何とか習慣化していきたいものです。


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