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『稲盛和夫一日一言』 1月6日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 1月6日(土)は、「心の手入れ」です。

ポイント:立派な経営をするうえで大切なのは、心の手入れを怠らないこと。経営者自身が、悪しき思いを打ち払い、人徳を高めていけば、「因果応報の法則」に従って、物事はよい方向へ運び、大輪の花を咲かせるに違いない。

 2003年発刊の『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン著 坂本貢一訳 サンマーク出版)には、心を手入れすることの大切さについて、次のように記されています。

 人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合も必ず何かが生えてきます。

 もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
 すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりません。

 あなたがその作業をつづけたならば、やがて必ず「自分は自分の心の園芸家主任であり、自分の人生の総責任者である」という事実に気づくことになります。自分の人格、環境、および運命の形成に、自分の思いがどのような影響を与えているのかを、日を追うごとに、より明確に理解していくことになるでしょう。

 思いと人格はひとつです。そして、人格は環境を通じて、それ自身を表現しています。よって、私たちの環境は、私たちの内側の状態とつねに調和しています。

 私たち人間は、私たちを存在させている法則でもある「原因と結果の法則」にしたがい、つねにいるべき場所にいます。私たちが自分の人格のなかに組み込んできた思いの数々が、私たちをここに運んできたのです。
 よって、人生には、偶然という要素はまったく存在しません。私たちの人生を構成しているあらゆる要素が、けっして誤ることを知らない法則が正確に機能した結果なのです。環境に不満を感じていようと、満足していようと、同じことです。

 私たちは、進歩し、進化する生き物であり、どんなときにも自分が学び、成長を遂げるために最適な場所にいます。そして、もし私たちが、ある環境で必要な学習を積んだならば、その環境は間もなく、次の新しい環境に取って代わられることになります。

 自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、「環境は思いから生まれ出るものである」ということを熟知しています。なぜならば、すでにかれらは、環境の変化と心の状態が、常に連動していることに気づいているからです。
 人間は、自分自身の人格的な欠陥を意欲的に正し、素早い、目に見えた進歩を遂げたとき、それに見合った速やかな環境の変化を体験することになります。

 心は、それ自身が密かに抱いているものを引き寄せます。それは、それ自身がほんとうに愛してるもの、あるいは恐れているものを引き寄せるのです。心は、清らかな熱望の高みにいたりもすれば、けがれた欲望の底にまで落ちもします。
 そして環境は、心がそれ自身と同種のものを受け取るための媒体です。
(要約)

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「善き思いは、よき結果をもたらす」の項で、上記の冒頭部分を引用して、稲盛名誉会長は次のように説かれています。

 あなたがすばらしい人生を生きていきたいなら、自分の心を掘り起こして、そこから不純な誤った思いを一掃し、その後に清らかな正しい思いを植えつけ、それを育くみ続けなくてはならないのです。
 もし、自分の心の庭の手入れをしなければ、我々の心の中は生まれながらに持っている本能、煩悩で全部占められてしまい、欲望と怒りと愚痴、不平不満で反応するようになっていきます。

 
 それがジェームズ・アレンが言っている雑草です。放っておけば、欲望は募り、なにかあればすぐ怒り、何か足らなければ不平不満を言う、というように雑草が生い茂ってしまいます。それら心の雑草が生えないように、心の庭を耕して手入れをし、そこに自分が植えたい美しい草花を咲かせる。
 そのために、我々は今フィロソフィを、つまり人間として正しい考え方を勉強しているのです。
(要約)

 自分の心の庭に、正しい考え方、正しい思いを植え育てていく。人生も経営も、そうした営々とした日々の心がけを積み重ねることでしかよい方向に向かっていかないのだと信じ、今後ともフィロソフィを学び深めていきたいと思っています。


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