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『稲盛和夫一日一言』 2月1日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月1日(木)は、「動機善なりや、私心なかりしか ①」です。

ポイント:動機が善であり、私心がなければ、結果を問う必要はない。必ず成功する。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「動機善なりや、私心なかりしか」の項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 大きな夢を描き、それを実現しとうとするとき、「動機善なりや」ということを自らに問わなければなりません。自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。
 
 善とは、普遍的に良いことであり、普遍的とは誰から見てもそうだということです。自分の利益や都合、恰好などというものでなく、自他ともにその動機が受け入れられるものでなければなりません。
 また、仕事を進めていくうえでは、「私心なかりしか」という問いかけが必要です。自分の心、自己中心的な発想で仕事を進めていないかを点検しなければなりません。

 動機が善であり、私心がなければ、結果を問う必要はありません。必ず成功するのです。

 これは、大変大事なフィロソフィのひとつです。人生方程式の中にある「考え方」は、まさにこの「動機善なりや、私心なかりしか」という問いから発せられたものでなければなりません。(要約)

 2015年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第2巻 私心なき経営哲学』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)収録の旧郵政省講演「リーダーシップと判断基準」(1991年)の中で、「動機善なりや、私心なかりしか」について、名誉会長は次のように話されています。

 私たちは厳しい修行をしていませんから、単純に「本能」と「理性」という自分の回路だけで判断していれば、その結果がどうなるかは明らかです。
 ですから、一旦出した判断をもう一回魂という別の回路に入れなければなりません。そうして出てきた判断をもとに決断する。
 私も聖人君子ではありませんから、判断をするときに、「ちょっと待て。本当にそれが善きことなのか」といつも考えてから決断をしています。

 今でも鮮明に覚えていますが、私は第二電電を始めるとき「動機善なりや、私心なかりしか」と自問を繰り返しました。「その動機は善なのか。京セラという会社が若干成功したことにうぬぼれて、スタンドプレーでカッコをつけようとしているのではないか。自分の心に私心はないのか」と、一ヵ月間、心の中で自分をもう一人の自分と毎晩対決させて、厳しく問い続けたのです。

 そして、動機は不純ではなく、私心もないと何回も確認した私は、京セラの役員会にかけました。しかし全員が反対でした。たしかに、セラミック業界ではここまで成功したが、電気通信事業はまったく状況が違うと言われました。

 私は、「物事はそのリーダーが持つプリンシプルが正しければ、どんな局面であろうとうまくいくと思っています。そのことを一度試してみたい。今までの32年間で1,500億円の現預金があるので、そのうちの1,000億円を使わせてくれ。たとえその分損をしても、京セラはびくともしないはずだ」と言ってやらせてもらうことになったのです。

 また第二電電の幹部には、「電気通信料金が高いという日本の現状に鑑み、国民の負担を軽減しようという考えから参入し、政府に許可された。だから、安価な料金で通信サービスを提供するという創業の目的を、とことん追求するのがわが社の目的である。ただ成功したからといって浮かれることは許さない」と言っています。決して創業時の高潔な精神を忘れてはならないのです。

 何事も決断をする場合には、「動機善なりや、私心なかりしか」と自問し、それをかたくなに守り続けることが必要ではないかと思っています。(要約)

 「動機善なりや、私心なかりしか」「大義名分はあるか」
 京セラ在籍40年の間、事あるごとに自問し、また周囲からも問いかけられてきました。
 そしてそれは、「自分がやろうとしていることは何のためにあるのか」という事業・仕事の「目的」「意義」を明確にするという作業であったように思います。

 そこには、「自分はこの崇高な目的のために働くのだ」という大義名分をはっきりと意識できなければ、人間というものは心から一生懸命にはならないものだという、名誉会長の想いが反映されているように思います。


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