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『稲盛和夫一日一言』 10月19日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月19日(木)は、「西郷隆盛と大久保利通」です。

ポイント:西郷隆盛の「志」や「誠」だけでは、経営はできない。一方、大久保利通の「合理」や「論理」だけでは、人心を掌握し、集団をまとめていくことはできない。温情と非情、大胆と細心といった両極端を合わせ持たなければ、新たに物事を成し遂げることはできない。

 2015年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第1巻 技術開発に賭ける』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)収録の「西郷隆盛と大久保利通に学ぶ経営者の理想像」と題した講演の中で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 1990年NHK放映の『翔ぶが如く』は、司馬遼太郎さん原作の同名小説をもとに、西郷隆盛と大久保利通を中心に、明治維新を成し遂げた志士たちを取り上げた大河ドラマです。

 西郷と大久保は、ともに鹿児島市の加治屋町という非常に小さな町で育っており、西郷が2歳ほど年長です。
 西郷は、維新の際に旧幕府方として抵抗した庄内藩の人たちが一瞬にして惚れ込み、後に下野した彼を慕ってその訓育を受け、『南洲翁遺訓』としてまとめたほど、スケールが大きく立派な人格を持った人物でした。
 一方大久保は、冷徹非情で、目的のためには手段を選ばない人物だったと見られています。しかし、彼は西郷が落胆して見限った新政府に敢然と踏み止まって現在の中央官庁の原型をつくり、「大久保利通があって初めて日本の新政府ができた」と言わしめるほどの人物でもあったわけです。

 私は放映開始前に受けたNHKのインタビューに次のように応えました。
 「西郷は、その哲学で周囲をまとめ率いて明治維新をやり遂げました。また大久保は、明治維新を確固たるものにすべく、緻密な論理を展開して新しい近代国家をつくるために尽力しました。
 私は子どものころから西郷のような生き方、考え方に心酔していましたが、会社を経営するようになって初めて、大久保のすばらしさにも気づかされました」

 経営者は、バランスのとれた人間性を持たなければなりません。あるときは、自らの信念に基づいて断行する。またあるときは、周囲の声に謙虚に耳を傾け、勇気を持って自分の意見を取り下げる必要もあるはずです。つまり、大胆さと慎重さの両方が必要なのです。しかし、それは中庸でいいという意味ではありません。

 経営者には、大胆さと細心さ、マクロとミクロ、情愛と冷徹、勇気と臆病、そういった両極端で相反する両方の性格が必要なのです。しかも、両方の性格を持った上で、それらをときに応じて、正常に機能させる能力が求められるのです。(要約)

 京セラフィロソフィでは、「大胆さと細心さを合わせ持つ」という項で、両極端を合わせ持ち、正常に使い分けることの大切さが説かれています。

 両極端を合わせ持つということは、ちょうど綾(あや)を織りなしている糸のような状態を言います。例えば、縦糸が大胆さなら横糸は細心さというように、相反するものが交互に出てきます。大胆さによって仕事をダイナミックに進めることができると同時に、細心さによって失敗を防ぐことができるのです。(要約)

 「自分は生まれつき小心者だから、大胆な決断などできない」と萎縮したまま生きていては、自分の人生を大きく前進させることなどできません。
 両極端を合わせ持つということは誰にでもできることではないかもしれませんが、仕事や人生を通じて、さまざまな場面で常に心がけ、意を決して修羅場に立ち向かおうと決断し続けることで、徐々にではあっても両極端を兼ね備えていくことができるようになるのではないでしょうか。

 本日の南日本新聞『鹿児島あるある』欄に、明治安田生命鹿児島支社長 植田博志さんの次のようなコラムが掲載されていましたので紹介します。

 勤務先の鹿児島市加治屋町は、半径250メートルにも満たない小さな町だ。そこから、西郷隆盛・従道兄弟をはじめ、大久保利通、東郷平八郎、山本権兵衛、大山巌、井上良馨と、きら星のごとき偉人が誕生した。
 
 世に「薩長」と言われる薩摩と長州は、明治維新で主導的な役割を果たした。山口県下関市にも居住経験があるが、輩出した偉人の数、知名度・業績、その密集度・・・いずれを取っても加治屋町が断然だと思う。
 作家司馬遼太郎も「言わば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と述べている。

 自宅から加治屋町まであちこちに点在する偉人の足跡。歴史好きの身には夢のような通勤時間だ。

 鹿児島中央駅からほど近い場所です。歴史好きの方はぜひ散策されてみてはいかがでしょうか。



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