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死なないように生きる - 臆病でも弱くても優柔不断でも前に進んでいくために

まもなく40歳という人生の折り返し地点を迎えるわたしですが、なかなか順風満帆に生きてこれずに、おかげさまで「コスい生き方」が染み付いてしまいました。われながら残念に思うのですが、最近の行動原理は「どちらかに迷ったときは、退屈な方を選ぶ」という極めて地味なものです。

自分は、逃げるのは役に立つからと割り切れるほど気高い人間でもないし、だからと言って、佐賀藩のお侍さんのように「早く死ぬ方を選ぶ」のもご無体に思えます。恥じらいを持ちつつも、持続可能に生きていくには「江戸の仇は、長崎で討つ」よろしく、判断を保留するなどの創意工夫が助けになるという考えを持っています。

「死なないように生きる」というのは、平たく言うと「サスティナブルに生きる」ということです。肉体的に死なないのはもちろんのことですが、今日はその点を脇に置いて、精神的、社会的に死なないために大事にしてきたことを記していきます。

勝つことよりも、暮らせる生き方。儲かるよりも、潰れない経営がしたいですそれは、面白みがなく、つまらないことに思えますが、もしどこか自分の取り巻く環境に現実味がなく、地に足をつけて生きていきたいと願う方がいましたら、ケーススタディとして活用していただけたらありがたいです。

それでは、はじめていこうと思います。


1. 逃げ道をつくる


20代の終わりに起業、30代の終わりに市長選挙を経験しました。そのプロフィールを見て「よく大胆な決断ができるよね」と言われることが多いのですが、自分はもとより極度に臆病で優柔不断な人間です。父親からは「◯◯◯の腐ったようなオトコ」と言われて育ちましたし、自分から他者に声をかけることもできず、なかなか注文するメニューも決められません。ただ、退路という出口戦略があるから決断できる。そんな、単純なテクニックなんです。そんなわたしが、この10年来活用してきた逃げ道はこれ。

「失敗しても、それをネタにして本にすればいいじゃない」です。

ケース①|出版社を起業する
29歳のときに、NPO法人北海道冒険芸術出版という法人を設立して『北海道裏観光ガイド』という本を出版しました(書店さんに本を置いていただくため「原付全国行商の旅」をしていた頃が、この記事のカバー写真です)。3人の元・同僚とはじめたのですが、他の2人には会社を辞めないでもらいました。自分自身も、発売して落ち着いたら本屋さんアルバイトをし、経験のない出版流通を肌で感じながら生活を成り立たせて、その模様を『だれでもできる小さな出版社のつくりかた』として出版しようとしていました。結果としては、アルバイトをするほど閑古鳥ではないが、本の売上だけでは生活できず、おじさんたちに助けられて生きていくことになります(後述)。ちなみに、この本は、初版2000部+第二版3000部=計5000部を発行して絶版しました。

ケース②|限界集落で起業する
幼馴染(妻子持ち)が北海道じゃ有名な会社を辞めて、取材でお世話になった限界集落で起業すると言い出したので、おいおい待て待てと、代わりに会社を設立したこともあります。どこからどう見ても事業は失敗に終わりましたが、わたしも『田舎を編集する』という本を考えていたので、その体験潜入取材と考えれば、経費相当とも思えます。他のテーマで本がつくりたくなり、結局は完成しませんでしたが…

ケース③|市議会議員になる
そのつくりたくなった本というのが、地方政治をテーマにしたものでした。『民主主義ってどうなんですか?』というタイトルで、実際にこんなことをのたまっております。市議会議員に当選させていただいたため、負けても本にすればいいじゃないという逃げ道を使う必要はなくなりましたが、ほどなくして元気のよい若者たちから近しいタイトルの本が出版されたり、想像以上に市議会議員という仕事に没頭してしまいまして、こちらも完成しませんでした。ちなみに、こうしたのめり込みが結果として、逃げ道を考えないで決断する(後述)という珍しい行動をするに至ったりもしています。

ケース④|ゲストハウスを開業する
ゲストハウスを社会課題解決の手段とするとして(過去記事)、議員の任期中から進めていました。3人ではじめて、途中で1人が抜けて、5人が加入するというバンドのような変遷を遂げていますが、営利法人(合同会社)で経営しているゲストハウスです。「儲かるより潰れない経営」を掲げて、「持ち物件でやる」「人を雇わない(役員が無報酬で回し、利益が出たら配当)」を成立要件とし、資本主義と共産主義の良いとこ取りを目指すなんて言ってみたりしていますが、ともあれキャッシュがなくなれば、経営は継続しないため、その苦肉の策でもあります。この実験は、COVID-19によって休止状態ですが、少なくても潰れてはいないです。現在は、助成金を活用して住居を喪失された方の受入(この話はいずれ書きます)をしています。

ケース⑤|週3日分のお給料をいただく
市長選挙に負けて途方に暮れているときに、NPO法人北海道NPOサポートセンターを紹介していただき(後述)、週24時間分の業務(COVID-19の感染拡大以降は在宅勤務)をしています。契約形態は業務委託なので、この自由な働き方は自分はとてもありがたいです。起業と就業のあいだに、多様な働き方があると思っていて、起業1本でやっている人はかっこいいのですが、わたしは「最低限の暮らせるだけのお金を自由度の高い職場からお給料としていただく」という、起業と就業のベストミックス(=複業)がオススメです。社会的な死の多くは、経済的な破綻ですからね。

以上、5つの「常に退路を考えて生きる事例」を挙げましたが、まったく出口戦略を持たず決断してしまったのが、あの2019年4月21日執行の江別市長選挙です。

幸いにも、うちのまちには怪文書を撒いたり、身の危険を感じることをする人はいませんでしたが、それでも人に会いたくないとか、無一文になってしまったとか、精神的/社会的に死にかけました。その瀕死の状態から、どのように生還をしたかについて、次は記していきます。


2. 自分さえ良ければいいと思わない人と仲良くする


自分は、生活実践として2つのことが重要なのでないかと思ってます。1つ目は「困っていることは、困っていると言う」こと、2つ目は「身近な人を見捨てない」ことです。だれひとり取り残さない(けれど不充分な環境整備)は、行政や政治の仕事。身近な支え合いでなんとかする生活実践を成立させるうえで、自分が仲良くしようと思っているのは、こういう人たちです。

ケース⑥|いまだ人類が成しえていないことをしようとする人
わたしたちが運営しているゲストハウスは、江別市の大麻銀座商店街にあります。大麻銀座商店街を説明するときに、「うちの商店街には、世界平和にしたい人がいるんで(笑」みたいな感じでいつもネタにして申し訳ないんですけども、「無一文だし、でも起業とかもコリゴリだし、もうどうしようぱおん」みたくなっているときに、前述の職場を紹介してもらうなど助けられました。こうして日々、彼は世界を平和にするために、てんてこ舞いです。こうした状態を仲間のひとりが、「裏山ではなくヒマラヤに登ろうとして、課題ぴえん状態になる」と表しました。高い山に登ろうとすると遭難しそうになりますし、遭難した仲間がいると「なんとかしなきゃだ」となります。若者がメルカリで物を売って暮らしているなんて話になれば、おじさんたちは「何事ぞ!」と奮起して、なんとか仕事をつくろうとしてしまいます(笑

ケース⑦|おもしろいことが好きで、おせっかいな人
時間軸は前後するのですが、わたしがNPO法人を立ち上げて、一緒にはじめた2人が脱退してから(自分が代表じゃなかったのに〜〜)役員になってくれたおじさんたちが、まさにそうでした。なんといっても、おもしろいことが好き。休日であれば、選挙を手伝いに来てくれます。そして、お酒が好き(笑。自分はおじさんたちの飲み会から、「お酒だけは裏切らない」という信念を持ちました。なにより、おせっかいです。わたしがお金がなくて困っていたら、なぜかやけに月給のいい短期の仕事を紹介してくれて、その稼ぎで1年は凌ぐみたいに生きていました。

ケース⑧|惚れ込んだ才能を持つ人
2冊目に出版した『n次創作観光』は、岡本健という観光社会学者さんが著者です。いまでこそ多くの本を執筆し、近畿大学で准教授を務めていますが、出会った頃は北海道大学の院生でした。わたしもそうでしたが、岡本さんも本を出したことがない、全く無名の2人。しかし、彼の研究の話を聞いて、わたしが本にするのは使命だと思いました。そのあと、無事に岡本さん大学教員になることができましたが、一時期は大変なときがあって、自分は全く役に立てませんでした。しかし後になって聞くと、「いざとなったら、北海道に戻って、堀さんに相談しようと考えたら、楽になった」と思ってくれていたとのことでした。それは、わたしにとって、とても誉なことです。その後も事あるごと声をかけてくれて、岡本さんの勤務大学に行けるのは、とても楽しい仕事です。ちなみに、この本は、初版3000部+第二版3000部=計6000部を発行して、現在は改訂して増刷を計画しております。

ケース⑨|義理人情に厚い人
議員時代の先輩がまさになんですけど、市長選挙に負けたあとも、何度も電話をかけて、飲みに連れて行ってくださいました。リアルタイムのことなので、まだ気持ちの整理がついていないことも多いですが、しかしそのことが自分にとって、どんなに励みになったでしょうか。長くなるので、眠いときは着信を見なかったことにすることもありますけどね(笑

こう書いていて思うのですが、ほんと周りに助けられて生きてきたなと思います。改めて、いままで出会ってきた人たちには感謝し切れません。


3. すべて解釈でマルにする


解釈というのは、いわば魔法だと思います。インターネットや本に書いてある2次情報はもちろん、自分の外部で起きた1次情報ですら最新ではありませんが、自分の内部で生み出されたものの意味は、自分のなかにおいていつも最新の0次情報です。

仮に、10円が落ちていたとします。それを1万円が良かったと思うか、ラッキーと思うかは、その人の解釈次第です。その10円を交番に届けて、交番相談員の方に邪険に扱われて腹立たしく思うか、あくまで自分の行為として誇らしく思うかも、その人の解釈次第です。現象に対して、常に全肯定する態度は、自分を助ける感情的な型です。

ケース|飛行機が取れない事案
別府研修の帰り、感染症の影響で福岡から帰る飛行機が取れず、高速はかた号に乗って成田から帰ろうとしたものの、はかた号さんの予約をし損ねていて、経費オーバーにより鈍行列車で成田空港まで行きました。ああ、成田の予約もし損なっていれば、神戸空港からスカイマークで帰るのに…と思いながら、通り過ぎるマイ・フェバレト温泉のある六甲道駅。これを過酷な移動と捉えるか、別府の研修先で買った本が読めた時間と捉えるかは、自分次第。江別に戻れば、ゆっくりと本を読む時間を取れないでしょう。わたしは「あなたはいまこの本を読むべき」と、その時間を与えてくださったと解釈しました。結果的に、あのときこの本を読んだことが、この後の仕事に大きな影響を与えることになりました。

ケース|市長選挙で負ける事案
勝ち負けにも興味がなく、権力にも興味がなかったわたしが、はじめて勝ちたいと思い、力が欲しいと思ったのが、2019年4月21日の江別市長選挙でした。はじめて、自分のためではなく戦ったんだと思います。でも、負けてしまいました。人生にifはありませんから、もし市長選挙に勝っていたら、あるいは、市長選挙に出ていなかったら、自分がどうなったかはわかりません。わかりませんけども、いまともにいるみんなと仲間にはなれなかったと思います。彼ら彼女らと仲間になれなかった人生なんて、心底ゾッとします。負けてから2年間で出会えた人たちが、どうしても勝ちたかった選挙に勝るの意味を与えてくれたのです。高い山を登ろうとする仲間たちが、それぞれの山の頂にたどり着いて欲しい。もちろん、わたしもです。

解釈でマルにするというのは、「何が起きても、未来において結果的に良かったと思うため、現在を悔いのないよう全力で生きて、辛い過去を変える」ということでないかと思うのです。いまこの瞬間に全力を尽くし、悔しかったことも、申し訳なかったことも、未来において必ずマルにする。そのためにも、死なないで生き残ることが大事なのです。

4. 幸せかどうか決めるのは、いつも自分


ケース|2021年3月14日
40年近くを生きてきて、本当に自分は幸せ者だなと思います。人によれば、愚か者だと思うかもしれません。人によれば、みすぼらしいと思うかもしれません。だけど、だれがなんと言おうとも、自分は幸せです。むかしのわたしは、自分が幸せになれるなんて思っていませんでしたけども、いつ劇的に人生が変わるかなんてわからないんです。だから、好機に備えて、努力と感謝を忘れないようにしたいと、改めて感ずるところです。

最後に、記しておきたいことがあります。

自分は29歳のとき、小さくても前に足を踏み出すことで、人生の暗がりから抜け出すことができました。だから今回は、たとえ臆病でも、弱くても、優柔不断でも前に踏み出した実例を記しました。

前に足を踏み出すまで、本当に不幸だと思っていました。過酷な家庭、劣悪な労働、出口のなんてないように思える日々を過ごしていました。ほんのちょっと歯車が狂えば、犯罪者になっていたかもしれません。だけど、あのときは想像できませんでしたが、いまは本当に幸せです。

だからもし、いまがとても苦しくて、どうしたらいいかわからない人も、その先には幸せがあるかもしれないと思うんです。

いま、うちのゲストハウスで、住居をなくした若者を受け入れる活動をしています。若くして住居を失うという壮絶な境遇を持つ若者と面談をしていて、20代に苦労したおかげで、少なくても意味を交換できる言葉を持つことができました。20年ごしのいま、あのときの自分にあの環境を与えてくださったことに、本当に感謝をしております。

できることなら、いま困難のなかにある若者にも、その経験が役立つ未来が訪れることを願っております。

それには、いまの地点で耐え続けるのではなく、前に進まなければ脱出できません。もちろん、全ての人がそのまま前に進んでも結果が出ないこともあります。人間には、向き不向きがあるからです。そして、その道が正しいのか、俯瞰で見なければわかりません。わたしも20代のとき、そこを抜け出す道がわからず、迷い、苦しい思いをしました。

だからこそ、いま暗闇にいる若者が、死なない道を歩んでいける一助となる仕事をしていきたいです。

#自分にとって大切なこと

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