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よくしたか よくなったか

こんにちは、理学療法士のおかむーです。

今回は、「よくしたか よくなったか」について、お話したいと思います。

ただ、これは私見ですので、参考までに。

セラピストの指導に病院等に行くと、若手のセラピストに
「患者さんがよくなったのは、自分がそうしたのか、それとも勝手によくなったのか? わからなくて」
と言われることがあります。

すると、私は、「患者さんを捉えられるようになれば、よくしたかどうか、わかるようになるよ」と言います。

では、それは何を根拠に言っているか?ですが

歩行などの動作では、動作中の筋の活動を捉えられるかにかかってきます。

では、動作中の筋の活動を捉えるには

動作時の動きの方向とアライメント、重心と支持期底面、そして、動作のウラに隠された防御反応を見出せるかです。

それがわかれば、勝手に良くなるか、アプローチしないと良くならないかがわかります。

痛みでは、捉えることは基本ですが、そこに知識が加わります。

「そうかー」と思っても、そう簡単にはいきません。

知識、正確な評価、洞察ある動作分析、それらを統合して解釈する力

これらは、日々、患者さんを見て、結果を出していく積み重ねの中で育まれます。

それがセラピストの専門職と言われる部分かと思います。

(その一助として、私の‘リアル臨床’がありますので、是非、ご覧下さい。)

その意味で、痛みを見ることは自身の力につながります。

痛みを見るためには、上記のすべての要素を含みます。

ですから、学校では、症例の痛みをネタに授業展開していました。

学生には、早すぎる、荷が重い、と思われるかも知れませんが、それは、やり方次第です。

事実、学生は理解して、ついてきてくれました!?

当然、テスト前に友達と、何度も復習して理解しようとしてましたが。

そのため、私のテストは、学生達に ‘やばい試験’ と恐れられていました。

そして、学生達が卒業して、何かの機会に会うと、「今、先生の授業を聞きたい」と言われることがあります。

「確かに、臨床像がない学生には酷だよなー」と思いましたが、止めることはありませんでした。

学生達がどう成長しているか、よくわかりませんが、私が狙ったように成長してくれていることを願っています。


最後までお読み頂きましてありがとうございます。

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