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ここが解せない!ハリポタ映画改変!

ハリーポッターの原作厨を名乗って、YouTubeなどのメディアでデカい口を叩いているものです。

みなさまハリーポッターは好きですか。わたしは大好きです。
小説を全て読み、映画もファンタビ含め全て視聴しております。
原作が2008年に「ハリー・ポッターと死の秘宝」で完結して、16年。現在でも日本で大人気のコンテンツであるハリーポッターシリーズ。
ハリーポッター原作厨を名乗っていますが、そもそもハリーポッター原作厨とは?とお思いの方も多いでしょう。ハリーポッターファンには序列があります。
明確に誰が言い始めたのかは分かりませんが、たしかに序列があるのです。我々は生活に追われる中で差別や貧困、環境汚染などの諸問題を見て見ぬフリをして過ごしている。それと同じように、見て見ぬフリされてきたハリポタヒエラルキーがたしかに存在するのです。

これが本当のハリポタヒエラルキーだ!!

汚い図でごめんね(^人^)


このように作者、J・K・ローリング先生を頂点とした序列が存在します。原書勢はイギリス英語版の方が偉いとされる風潮があり、ここでは分けさせていただきました。
おそらくネット上で言われていたもので、メディアで言い出したのはわたしが初めてなのではないかと思われます。
わたしは真ん中の原作勢というところに当たります。
原書で読んでないのに、はしゃいでんじゃねぇよという手厳しいコメントをいただくことも多々あります。それもそのはず。ハリポタファンの中での序列では真ん中あたりの身分なのです。
相撲の番付で言えば良くて十両、サバンナの食物連鎖ならインパラといった辺り。
ヒエラルキー上位の原書勢(イギリス英語版)はもはやライオン。噛みつかれたら原作勢インパラのわたしなどすぐに生き絶え、首ぶらんぶらんで荒野を引き摺られてしまうのです。

原書で読むのと、日本語訳で読むのはどちらが良いのですか?と聞かれたら、わたしはどちらでも良いだろうと答えることにしています。
原書を読むのであれば、英語という単純な語学の壁のみならず英語圏の文化やしきたりというさらに大きな壁が存在します。
映画でも登場する場面の一つに、必要の部屋でハリーがキスをする直前、頭上にヤドリギが生えるというシーンがあります。
これはヨーロッパの文化圏における、いわばあるあるのようなものだと思うのですが、日本人には完全には理解できない描写です。そういった細かな文化の違いは語学力では簡単には埋まらない。だから日本語訳で読んだって良いはずだ。

この程度の理論武装は原書勢の前では歯が立たない。インパラが頭に生やす申し訳程度の角みたいなものです。ライオンと戦う武器にはなり得ない。


ヒエラルキーの説明はこれくらいにしておいて、本題。
わたしはYouTubeや取材などで"映画は小説のダイジェスト"とよく発言しています。
これは誇張ない表現で、映画はかなりの部分を端折って作られています。
映画版を批判していると捉えられることも多いのですが、あくまで小説にある要素がたくさん抜け落ちているという事実を述べているだけであって、映画自体は面白いと思いますし大好きです。
そもそも二時間半の中でテンポよく、テーマを見やすく分かりやすく作られているのが映画であって、その方が面白くなるという判断であるはず。
たしかに小説を全て読んだ方が、各登場人物のキャラクターや、カタルシスがより身近に感じられるとは思います。それでも映画は映画で素晴らしいことには変わりない。

なので小説の要素の抜け落ちは良いのです。
しかし、小説からの映画オリジナルの改変。これが解せないことが多い。
時間の都合上仕方ないことなのかもしれない。そうは分かっていても解せない。
わたしがよくYouTubeなどで言うのはドビー出てこなさすぎ問題なのですが、それ以上に解せない箇所がいくつかあります。
なのでここに書いて、いろんな人にそうだよね、分かる分かると言ってほしい。そのためにここまで書きました。

人によってここが許せないというところは多種多様だと思いますが、わたし目線で嫌だったところを二つほどあげたいと思います。ネタバレを含みます。ネタバレが嫌な方は逃げてください。




①死の秘宝、ハリーとハーマイオニーの謎の社交ダンス

これ、なんで二人が踊ってるのか理解出来る人います?日本人の感覚では分からないだけ?
ヨーロッパの若い男女はあんな意味分かんないタイミングで社交ダンスするものなの?

軽く説明すると、死の秘宝ではハリー、ロン、ハーマイオニーは学校に通わず、ヴォルデモート絶対ぶっ殺そうと意気込んで、分霊箱を探す旅に出ます。
そこでロンがメンヘラ大爆発。ロンは旅から離脱。ちなみに、ロンは作中結構な頻度でメンヘラを爆発させ、三人の輪を乱します。
恋人であったハーマイオニーの前でブチギレ。メンヘラ&モラハラをぶちかまし、逃亡。ハリーはブチギレ、ハーマイオニーは大困惑。致し方ない理由があるのは承知の上でも、確実に友情が決裂するであろう大事件です。
二人で旅を続けていくしかなくなり、意気消沈するハリーとハーマイオニー。映画ではこのタイミングでハリーが急にハーマイオニーを社交ダンスに誘い、踊り出すのです。
意味分かんなくない?なんで踊るの?
ロンは基本的に選ばれし子であるハリーに対する劣等感、恋人ハーマイオニーに対するジェラシーでヘラり続けているのですが、もし二人のダンス中にロンが戻ってきたら、ジェラシーに狂って確実にアバダケダブラ。
視聴者からすればハリー、本当はハーマイオニーのこと好きなんじゃねと思ってしまいます。
大学生の頃、全然友達だよねみたいな雰囲気の仲良い男女が宅飲み中に軽ペッティングをし始め、見せつけられたのを思い出してしまいます。
あの軽ペッティングと同じくらい、このダンスの意味が分からない。詳しい人いたら、なんでなのか教えて。


②不死鳥の騎士団、マリエッタ・エッジコムの身代わりになったチョウ・チャン

これも解せない。チョウ・チャン可哀想。
不死鳥の騎士団映画版では、学生組織を全面禁止される中でハリーが"ダンブルドア軍団"という学生武闘派組織を結成。「マジすか学園」でいうところの"ラッパッパ"のようなものだと思ってください。
アンブリッジという魔法省から来たピンクのおばちゃんがとにかく規制をしまくり、魔法の実践を授業ではさせないという暴挙。それによって仕方なくという感じで発足したダンブルドア軍団には多くの学生が集まって、実戦で使える魔法を特訓していました。
その軍団員の一人、マリエッタがアンブリッジにダンブルドア軍団やってますよと密告するのです。これが小説のお話。
映画ではこの役目をチョウ・チャンが果たすことになります。
チョウ・チャンは作中でハリーとキッスなんかもしたりして、お付き合いしているのですが、ダンブルドア軍団の存在を密告したことでハリーと破局します。
これは原作のままで言って欲しかったところです。映画版ではその後チョウチャンは自白剤を飲まされゲロってしまったと分かるのですが、そうなるとハリーがめちゃ冷たいやつに見えてきます。謝罪するところも描かれないので、薬を盛られて自白させられた彼女に対しての対応としては0点。「キスマイBUSAIKU」だったら画面中が一般女性からの非難のコメントで埋め尽くされてしまいます。
ちなみに原作では、母親が魔法省に勤めているマリエッタが母の身を案じて密告。ダンブルドア軍団結成の際に全員で署名した紙にハーマイオニーによって呪いが掛けられていたため、マリエッタの顔に密告者という文字の吹き出物が出来てしまいます。マリエッタとチョウ・チャンは大親友という間柄。ハリーがチョウ・チャンの前でマリエッタの悪口を言って喧嘩になり破局します。
まぁ、どちらにしろハリーがゴミカスなことには変わりないのですが、ゴミカスに変わりないのならよりゴミカス感の強い小説版の方がわたしは好きです。



細かい部分をあげつらうと、たくさんありますがこの二つは特に解せない部分です。ニワトコの杖を折るところは我慢します。
映画脚本にはJ・K・ローリング先生がかなり口を出したらしいので、そういう意味では納得せざるを得ません。でも原作の方が好きだったなぁと想いは募るばかりです。

こんな重箱の隅ばかりつついてキモいことばかり言う奴にハリーポッター関連の仕事が来ていること自体が奇跡的です。あんまり言わないよう今後気を付けるつもりです。
今後もお仕事ください。


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