「私を好きでよかった」そう思ってもらえれば、それも自分の生きる価値


2020年6月の日記をここに転用。
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自分の生きる価値、自分は人や社会に対して、どう貢献できるのか、なんてことをよく考えてしまう。

私は、自分の存在意義を感じることができない時、すごく辛くなる。生きているだけでいいんだよ。って言われても、何か人の役に立ててないと、存在意義を感じることができない。また、人との繋がりの中で、ここにいていい、って思えないと、存在意義を感じることができない。

でも、いつでもどこでも、わかりやすく、目に見える形で人の役に立てるかと言われれば、そんなことはない。それでも、存在意義は感じたい。では、これから人としてどうあるべきか。

人が求めていることに合わせて、無理して頑張って、相手のニーズを満たそうとすることはよくある。

でも、そんなことをしなくてもいいのかもしれない。最近、そう思わせてくれる言葉に出会った。

また、前回の記事と同じく、私が好きなアーティストのスンヨンの話になるけど、スンヨンに対するファンからのコメントにこんな言葉が。

>スンヨンって、つくづくファンでよかったと思わせてくれる

>スンヨンを好きでいることで自分の視野がすごく広がる気がする

>スンヨンに出会ってから、自分の考え方や他人に対する見方がガラッと変わった

>たくさんの経験をしたからこそ今のスンヨンがあるんだな、スンヨンの世界観を知れてよかった

>私も変わりたいと思わせてくれたインタビュー内容だった、尊敬

>スンヨンだったらこんな時、どうするかなって考えられるようになって、無意識に行動が改まる

>今まで努力してこなかったけど、スンヨンを見て、辛いことも乗り越えられた

…こうやってみると、なんだか、自分の哲学を持って行動するだけで、人を救えるんだな、と。「だけ」なんて言っちゃったけど、それは長い年月と経験と熟慮の積み重ねで、すぐに真似できるものではないんだけど。

人に無理やり合わせるのではなくても、人の役に立てるんだな、人を救えるんだなということを知った。自分の思った通りに生きること、胸を張って生きることが誰かを救い、自分の生きる意味、価値にもなるんだ。その人と一緒にいるだけで、好きなだけで、自分も幸せになる、なんて最高じゃん。

無理して何かをしよう、と思わなくてもいいのかもしれない。