上京日記1 心境変化

今日は家族のことを少し書いていこうと思います。

昨日は寂しくて寂しくて、家族が恋しくて、泣きながらベッドに入りました。そして朝起きると目が2つあるのかというくらい二重のところが腫れてしまい、慌てて蒸気のアイマスクやら氷やらを当てました。それでも治りませんでしたが、美容室を予約していたので、なんとかメイクをして、服を選んで出かけました。

実はこの「美容室」「メイク」「服を選ぶ」というのが私が実家を離れた理由なのです。(もちろん大学は学問をする為に選びましたが。)

私は自分と母親の関係を「不健全」と心の中で表現しています。幼少期は"父親"と呼ぶ存在が二人いて、母親の精神や身体の健康状態が理由で、その3人の誰とも離れて外国で親戚と暮らしていました。母と父(その2)と暮らしはじめたのは小学生のときでした。初めは母とはいえ幼心に遠慮していたのでしょう、何かをお願いすることが苦手だったのです。おもちゃが欲しいとは滅多に口に出さなかったし、それ以外にも食べ物も着るものも自分から欲しいとはなかなか言えませんでした。成長するにつれて私と母の仲は深まり、一緒に買い物に行ったり、他愛もないおしゃべりをしたり、普通の仲の良い親子になりました。実際仲は良いですし、もし本当に本当になにか困ったことがあったら母が味方になってくれるという絶対的な自信があります。しかし、やはり「欲しい」と言えないのです。スーパーにお惣菜を買いに行って、「夕飯のおかずはこれがいい」と言えるようになったのは今年のことでした。お化粧とかかわいい服とかそういったことはどうしても言えませんでした。今までは母に「あんたにはまだ早い」「似合わない」といつも言われるからだ、と思っていましたが、最近は自分が勝手に壁を作っていたのかなとも思います。ともかく、私はこのちょっと歪な過去と欠点をもった母娘関係を不健全と呼んでいます。

今日の朝起きたとき、天井をみて途方もない孤独感に襲われました。家族がとにかく恋しかった。でも服を選ぶとき、メイクをするとき、初めて親と離れて一人で街を歩くとき、これが自分の手に入れたかったものなのだと思いました。毒親と一刻も早く離れたいとかそういうことではなく、あの"不健全"な関係から離れて、"不健全"な自分から離れて、本当の自分を探すために私は独立したのだとそう思いました。4時間近くかかった美容室からの帰り道、洋服屋さんに寄ったり、駅の周りを歩いたりしました。母の車と同じ色の車を見たとき、一瞬自分がどこにいるかも忘れて「ママに見つかる!怒られる!」と思ってしまいました。しかし、そのすぐあとに感じた開放感は今も忘れられません。マスクの下で満面の笑みを浮かべながら駅に向かって歩いていました。そのときに寂しさも一緒に感じました。迷子の幼い子どもが「ママー!」と泣き叫ぶような寂しさではなく、こうしては自分は成長していくのだなという寂しさです。これから自分はこの街で生活するんだ、今までの実家での生活が過去のものになったんだという寂しさです。同時に自分はなんて未熟なんだろうとも思いました。

長いのでここで終わりにします。精神的な部分というのはなかなか言葉にしにくく、だからこそ長くなってしまうものですね...この中途半端で右往左往している言葉こそが私の今の心です。

自分語りも楽しいけど、東京体験記とかも書きたい!でもコロナ怖い!

雑談:実は、感情に任せて書いた初めてのnote「上京日記0」にいいねを頂きました。SNSでこの内容を呟くのは恥ずかしいし、身バレもしたくないし、本当にただの日記(全世界に晒してますが)のつもりで書いていたのですごく驚きました。お礼も兼ねてその方の投稿も読ませて頂いたのですが、「三日坊主」というテーマを見つけて、思わず神妙な気持ちになりました。日記なんて3日以上続けたことありませんが、課題の締め切りがやばいときと体調が悪いとき以外は、必ず寝る前に書こうと改めて決意しました。

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