ドアだけは見える話。

チュニジアのナブールという街で暮らしていたころの生活な話。
いえ、
初期のケルケナという島に暮らしていたころの話です。

私は眼科に行って目の検査をうけることになっていました。

視野に1点の黒いものがあって、念のために検査をしようとなりました。

指定された病院にいくと、待合室の皆さんが私を珍しそうに見て話し掛けてきます。

私はまだちっともアラビア語がわからないころだったのでガチガチに緊張していました。
手に指さし会話帳を握りしめていました。
この本はとても便利で良い本です。
本当にお世話になった本です。

待合室で隣になった、男性が本に気がついて指さしで、話しかけてくれました。
ちょっとホッとできてありがたかったのを覚えてです。

さて、自分の番がきて、手の甲から目の中を黄色く染める液体を注射されました。
目は眼底検査のために瞳孔を開く目薬。
両眼いっぺんに瞳孔を開いてしまったので、まぶしくてまぶしくてまぶしくてたまりません。

検査がおわって待合席でまっていると、だんだん気分が悪くなってきてしまいました。
目が見えない、アラビア語も聞きとれない、目がまぶしくて本が見えないから話せないということに気がついてしまったのです。 

日本人男性のA君が迎えに来てくれる予定になっていましたが、時計もみえないし、まだ携帯ももっていなかったので待つのみ。
時間の流れが遅くて、もし、迎えに来てくれなかったらどうしよう…と不安がこみあげてきて正直動悸がして怖くて怖くて発狂しそうになりました。

今現在の私なら我慢できなくて暴れ回ってしまったかもしれませんが、当時は気が狂いそうになるのをなんとかこらえられました。若さなのでしょうか。

歯を食いしばって我慢していると
なぜかドアだけは見えるんです。なぜか。
もうそのドアを開けて走って出て行きたい!という衝動がすごいのですが、そんなことしたらダメ!と脳が全力ブレーキをかけます。
もう気絶してしまいたいぐらい辛い。怖い。独りぼっちの気分がすごくて吐きそう…。
アラビア語なんて一文字もわからない聞きとれない!!パニックが爆発寸前でした。

時間がながれて

1人勝手にワタワタしているとA君が
「おー」なんて手をふりながら病院に来てくれました。私は人生初の泣きながら「もう迎えに来てくれないかと思ったぁ」とかけよりました。

外にでると地中海晴れ。ただでさえ明るい光は瞳孔の開いている私には強烈でした。
疲弊して何も食べられない…。なんて行っていたのに、タクシー運転手のおすすめレストランに入るとお腹がすいてきてモリモリ食べて元気になりました。

そしてケルケナ島に帰るためにルアージュという乗り合いタクシーにのったのですが、
眩しいのに話しかけられすぎてへとへとになって
アラブのおじさんの肩によりかかってぐーぐー寝てしまいました。
イスラムの国であまりよくないことですよね。
日本人の私は幼い顔つきなので
子どもだと思われていたのでセーフということで…。

…。
帰国してから、私は知的障害者施設のスタッフとして働いていました。
ある利用者さんはパニックになると丁寧にドアを開けて走っていきます。
スタッフたちが利用者さんはどうしてあんなに冷静にドアをあけられるんだろう?と不思議がっていましたが、私にはわかります。

ドアだけはなぜか見えるんです。
なぜか。

チュニジアでの生活体験を書いていきます。 どうぞよろしく!