瞑想の上達ってなんだろう
※本記事一度間違えて消してしまい、再投稿です(;_;)
本来は2023年の3月28日に投稿しております。
瞑想時に脳波を測るデバイスを使うようになって半年ちょい経った。
脳波を比べると。。。?
あんまり変わっとらんw
この脳波だけを見ると「上達してないな」と思う。
でも「そもそも瞑想の上達ってなんだろう?」ということを考えてみたくなった。
一般的に瞑想の上達は「雑念がわかない」、「変性意識に入れるようになる」、「ガンマ波が出せるようになる」など、そういったことを指標とする(たぶんw)
けれど、瞑想は実に内的な処理を行っているため、実のところ「上達」というのは人それぞれ違うのではないのか?と最近感じている。
私が好きなプロセスワークの考え方からいくと
最終的に変性意識に入れることをゴールとしている場合でも
その過程で起こる内的な感覚の変化や移り変わり自体が、他の人にとっては凡庸なことでも、本人にとっては大きな進歩となることがあるのではないかな、と。
私自身の例で言えば
瞑想時の課題として、以下のようなことがある。
・とにかく雑念が多い
・さらに雑念が多いことを内的な自己がかなり責める
・目標にばかり気を取られて結局、現在に集中できない
・体が硬いので、長時間座っていると痛くなる
これが私のパターン。
これは瞑想中に限らず、日常の様々な場面でも見られるパターン。
自分を責めがちで、目標を追うがために「今やること」に対して没頭できず、飽きてしまったり心が折れたりすることが多い。
そして運動不足。
うん、まさに欠点だ。笑
そして、瞑想中にこのパターンに入っている自分に気づいた時のいくつかの「反応」パターンも決まっている。
・雑念が起きたときに、それを責め続けて終了する
・さらにそれを観察する上位概念を形成する
・なるべく意思を介在させずに体を自由気ままに動かしてみる
・雑念が浮かぶことを許してみる
大体こんな感じ。
私の場合、最後に挙げた「雑念が浮かぶことを許してみる」と身体や感覚パターンが変化することが多い。
この変化を「変容」と表現するならば、それが上達なのではと思う。
日常生活では、脳の反応パターンは『お決まりのパターン』を繰り返すことがほとんど。
それは、単純に忙しかったり、他人が介在していたり、スケジュールなどがあったりと、何かと「制約」が多いので、お決まりのパターンで対処しなければ脳が非常に疲れたり、時間がかかったりするからだ。
けれど、瞑想中というのは短時間でも日常を物理的に離れて行うものなので
いつものパターンを認識しやすく、それに反応するパターンも選ぶ余裕があるように思う。
私は自分を責めるパターンがあまりにも癖(固定化)しているので、
現実的に誰かに責められていない時でも「何か悪いことをしたのではないか」という妄想に駆られることがある。
このパターンを繰り返すこともできるが、その妄想に気づき、いつも責め続けてくる内的な私を観察したり、「責め番長」のような人格を瞑想中だけは停止してみて、体の反応を観察してみたりする。
そうしている間、自分は「観察者」であり、壮大な実験が行われているような気にすらなる。
結果だけ求めていた頃よりも、今日は私の内部で何が行われるのか、とワクワクして坐れるようなったのでプロセス思考は偉大だなと感じる。
みなさんにとっての瞑想の上達とはなんですか?
サポート頂いたら嬉しくてエクストリーム土下座します!!