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書評 「超」言葉狩り論争 絓秀実

著者は、今は亡き専門学校時代にお世話になった講師で、文芸批評家である。文学のみならず、さまざまなフィールドで活動し、本が出版された95年の前年には、当時「ゴーマニズム宣言」を「SPA!」で連載していた小林よしのりと差別問題で、論争を巻き起こしたことで知られている。同書では、これをはじめ、著者がさまざまなメディアで提起した問題をまとめたものだが、いま読んでも面白いのが、当時発生したオウム真理教をめぐるメディアのあり方についてである。奇しくもきのうは地下鉄サリン事件から27年を迎えたが、翌々日にはオウムへの強制捜査が行われ、そこから連日メディアはオウム報道一色になった。そして、その過程の中でメディアがいるなかでの当時のオウム幹部刺殺事件が起きたり、新宿駅に不審物が置かれたり、さらに教祖逮捕当日の朝からの生中継と、大騒ぎだったのだ。当時、私はライターの手伝いをしていて、その人も嫌々現場に駆り出されていた。その時の話は、以前書いたので、下記を参照いただきたい。

著者が批判していたのは、こうしたメディアの空気もさることながら、これまで政権批判などをしてきたいわゆる「左翼」と思しき人たちが、「推定無罪の原則」を守ることなく、これらの報道に加担してきた点である。特に当時の村山首相でさえ、認めていた信者の「微罪」逮捕に対しても、何も言わなかった点である。著者が批判してきた人物のなかには、オウム事件を経てコメンテーターとして、その後ワイドショーで目にすることも多くなった有田芳生や江川紹子、また幹部との対談番組にも出ていた猪瀬直樹などがやり玉にあがる。これらの人たちはかつては共産党にいたり、学生運動に投じていたり、あるいはどちらかといえば左翼系のメディアで取材活動をしてきた人たちが多かったからである。

それから27年経ち、有田は国会議員、猪瀬は都知事を務めた。江川もコメンテーターやライターで活動きしている。しかし、Twitterなどで得意分野でない領域のことを、知ったふりしてつぶやくとあっという間にその無知を指摘するツイートが流される光景をちょくちょく目にする。当時のオウム特需というべき空気が、こういう人たちを政治家や相応のステージに押し上げたことは、あの事件のもう1つの教訓かもしれない。

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