見出し画像

人生の半分をかけた鬼ごっこ。11/1 ELLEGARDEN LOST SONGS TOUR2022@YOKOHAMA

※この記事にはネタバレを含みます。


さてこの記事は、ライブレポなどという高尚なものではない。

ELLEGARDENという伝説のバンドの14年ぶり?のワンマンライブを見た帰りの電車で、エモい気分のまま、ビールで酔っ払った頭で書き殴った自分語りだ。
誰にも読まれなくて構わない。ただ、この感動を、余韻が残っているうちにただ書き残しておきたかっただけだ。

2022年10月初旬、このライブのチケットが当たった時、私は歓喜した。

ELLEGARDENのワンマンに行ける。
その言葉以上の重みがこのチケットにはあった。
ELLEGARDENは私にとって人生を変えたバンドだ。

話を16年前の2006年、私が高校1年生だった頃に戻そう。
当時の私はある病気で運動部で活動が出来ず、帰宅部として日々を過ごしていた。
千葉県市川市本八幡(これ重要)にあるそこそこ頭の良い中高一貫校に入ったはいいものの、勉強など全くせず、成績は学年最下位、自己肯定感も低く、それが故に彼女はおろか、休日に遊ぶような友達も出来ず、部活に打ち込もうにも病気でテニス部にも入れず、学内最底辺の人間として毎週月曜日に発売される週刊少年ジャンプの続きだけを気にして生きてるような状態だった。

ある土曜日、ガラケーに数少ない女友達(カナ)から一通のメールが届いた。その内容は今でもハッキリと覚えている。

「やぁやぁ、元気?バンドやろうぜ!」

どうやら、高校から軽音楽部に入った彼女達は女3人でELLEGARDENのコピーをメインにするバンドを結成したものの、ドラムがいないという話だったようだ。

ドラム無しで半年ほど活動していたものの、いい加減にドラムがいないと話にならない、ということで「暇そうで」「太鼓の達人が無駄にうまい」という理由で私に声をかけたのだそうだ。

これがELLEGARDENとの出会いだった。
そこからの私は一日の大半をELLEGARDEN聞きながら過ごすことになる。それまで音楽に大して触れてこなかった自分にとっては、ELLEGARDENを聴き込むことでしか軽音楽部で生きていく術がなかったのだ。

「俺は音楽のことはわからんが、エルレなら全曲わかるよ。」

思えば、彼女達と過ごした時間が僕の人生の全てをひっくり返した。
女子についてもなんとなくわかったし、頭が良かった彼女達に勉強も教わった。バンドを通じて本当の色んなことを語り合った。
エルレ好きの先輩や同級生、後輩たちとも仲良くさせてもらった。音楽を通じて世界が一気に広がった。

そして文化祭のライブで、自分達の演奏にノッて暴れ狂う数百人の観客達、ステージを降りた後の称賛、他校の女子にアドレスを聞かれまくる、mixiのマイミク申請が飛んでくるなどの経験。
ずっと日陰で過ごしてきた私にとってはおそらく人生で初めて日が当たったような気分だった。

歌詞にあわせて人差し指を立てる観客たち

もし、この世にELLEGARDENがいなかったら、もしあの時バンドに誘ってもらえなかったら。私の今は無かったと断言できる。

そして迎えた2007年、高2の10月。進学校だった市川市本八幡の学校は早くも部活の引退を迎える。一気に受験モードへ切り替わっていく学内の空気を感じながら、私は2つの目標を立てて受験に挑むことになった。

1.合格したらELLEGARDENのライブに行く。
2.合格したら本八幡3rd Stage(ライブハウス)で卒業ライブを行う

何故、僕らは青春をELLEGARDENに懸けたのか。
それは、この学校の軽音楽部員にとって、エルレは地元の先輩のようなもので、その思い入れは半端なものではないからだ。
伝統的に軽音楽部員は本八幡3rd Stageで卒業ライブなどを行う。そしてこのライブハウスは若き日のELLEGARDENを輩出したライブハウスでもある。

実際、ELLEGARDENは売れてからも本八幡にいることも多かった。
先輩が細美さん達と一緒に写ってる写メを見せてくれたこともあったし、僕自身もスタジオで高橋さんと話したことがある。

さて、偏差値75の高校に通いながらも、自分自身は40くらいしか偏差値がなかった私はELLEGARDENが過去に発売した全ての楽曲の歌詞を和訳するところから受験勉強をスタートした。全てはELLEGARDENに会いに行くためだ。

しかし2008年5月、高校3年生になった私を衝撃のニュースが襲う。

「ELLEGARDEN、活動休止を発表」

高校時代の全てだったと言っても良いELLEGARDENが活動休止をする。私はまた人生の目標を失った。大げさでなくそんな気分だった。

「活動休止ライブには行こう。」

そう願ったものの、チケット抽選に落選。
活動休止後、メンバーから発せられるは言葉少な。私は本当に彼らに会える日は来るのだろうか。当時の私には全くわからなかった。

活動休止前の最後のライブのMCで細美さんはこう言ったそうだ。

「なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね」

17歳の僕が縋れるのはこの言葉だけだった。

そして迎えた大学時代、the HIATUSやNothing's Carved In Stoneなども聴いていたが、僕の心は癒えなかった。

無情にも月日は過ぎ、9月9日にNo.13を聴くことだけは欠かさず、僕は社会人になってしまった。2014年当時のFacebookにもこう書いてあった。

さらに数年後(2018)、あの活動休止発表から10年経った時のツイート。 細美さん、俺おっさんになっちゃったよ。
この頃には復活をだいぶ諦めかけていた。笑

しかしながら遂にこの年にはELLEGARDEN復活の一報が音楽業界を駆け巡る。私は当然歓喜したが・・・彼らが出るライブには、ことごとく落選した。笑

そして数ヶ月前、突如16年ぶりの新曲「Mountain Top」が発表される。そのサウンドは、私が待ち続けていたELLEGARDENそのものだった。

そして人生の半分を費やしたELLEGARDENへの片思いと鬼ごっこについに勝利することになり、冒頭の通り今日の横浜を迎えることとなったわけである。

ファンの多くは私と同じようにこの日を待ち望んだ30代前後

その中身は、とんでもなく素晴らしいとしか言い表しようがないものであった。

My Favorite Songから始まったこのライブは衝撃的だった。いかんせん初期の楽曲だ。フェスでは到底あり得ない選曲だ。数曲を終えて細美さんは今回のツアーについて語る。

「新曲がさ、自分で言うのもなんだけどすげぇいいのね。これから先、たぶん昔の曲を演ることは減ってくると思う。だから今日はもう聞けないかもしれない古い曲を沢山聴いてもらうよ。」

そして始まる2ndシングルの指輪。会場のボルテージが一気に高まる。そんな曲を聴かせてくれるのか!

その後も、ELLEGARDEN初期の名曲「Lonesome」をはじめ、A Thousand Smile、Sliding Door、Cakes and Ale and Everlasting Laughなど、正直二度とナマでは聞けないと思っていたレアな名曲たちが次々と放たれる。
なんて有り難いことなんだろう、このライブに来て良かった、と心から思った。

加えてスターフィッシュからのThe Autumn Songの流れなどは、まさに私の人生に大きな影響を与えた高校生時代の文化祭ライブでやった流れそのものだった。
あのライブでやった4曲は全てやってくれたので当時の光景がフラッシュバックし、懐かしさに思わず涙してしまうほどだった。

何より嬉しかったのは、細美さんが12/21にニューアルバムをリリースすると発表し、しきりに「来年のライブでは〜」と話していたことだった。

あれほど待ち望み、一度はもう二度と見れないとまで覚悟したELLEGARDENが、私にとって青春時代のヒーローである、そしてもうすぐ50歳になろうかという細美さんが、まだまだそのパフォーマンスを見せてくれるというのだ。これほど嬉しいことがあるだろうか。

筋肉痛になった手足に妙な心地よさを感じながら、私は14年前の自分に教えてやりたい。

お前の夢、ちゃんと叶うぞ。良かったな。ELLEGARDENは最高だぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?