先日ライター仲間のおーつーさんに「なぜ歴史が好きなの?」と聞かれて答えられなかった。 どこにもフックがかからない感覚。 でも、ちょっとずつ何かが出てきたので、書いてみます。 歴史の「何」が好きなのか まずは「なぜ?」の前に「何?」が好きなのかを考えてみることにした。 私が歴史で好きなのは「つながり」だ。 繋がっている感覚。 学ぶほどに点と点が繋がっていく感覚がおもしろい。 そして、全てつながって自分が今ここにいる。ことに気づく。 自分たちは現代に突如現れたわけではな
いよいよ明日は卒業式。 どうして人は、時に引きずられるんだろう…ちょっと待って、と心が叫ぶ。 でも、まてよ。卒業式は向こうからやって来ただけなのかもしれない。 私たちは川の中流にいて、目の前にある魚を必死にとりつつ、上流にある何かが流れてくるのを待っている存在なのかもしれない。 卒業式が流れてくる。 もうそこまできている。 卒業式とすれ違う瞬間、それは、感謝や感動、喜び、悲しみに溢れる瞬間。ほんのひととき。でも一生胸に刻まれる瞬間。 いつのまにか、息子と私の6年間は
先日、いただいたうれしいイラスト。 ひと妻DAOのガラシャちゃんプロジェクトで知り合った、はなみ子さんからのお祝い。 このイラストに加えて、クループチャットのみなさんからのあたたかい言葉で、心がぽかぽかになった。 固くぎゅっと閉じていた蕾みたいだった心が、ほどけていくようなそんなあたたかい感覚に。 変化が怖いこの春、我が家は、変化の春だ。 長男は小学校→中学校。次男はこども園→小学校。3男はこども園入園。 3人が一気に変化をむかえる。 あれしなきゃ、これしなきゃ。準備
迷っている。 何をまよっているかというと、「どのタスクから片付けるか」迷っている。 時間は限られているので、片っ端からというわけにはいかない。 締め切りにもよる。 そのせいで脳が疲れている。 胃のあたりがずんと重い。 迷っている時間が無駄。 わかる。この時間があれば、タスクの1つくらい進むだろう。 しかし、どれをやるか決めないと、また心の声がささやいてくるのだ。 や・か・ま・し・い… こういうとき、価値観や軸にそったひとこと、自分に問いかける言葉を持っている人は強
自分の中で、血みどろの攻防が繰り広げられていたなんて…。 極めて個人的な、心の中の話なので、興味のない方はスルーしていただきたい。 まずは、状況説明から。 朝、こども園へ次男(年長)を送る。 3男(1歳)は、いつもその帰り道で園の前で遊んでしまう。 今日は次男たちは遠足で近所の大きい公園へ行くので、園の前には黄色い園バスが待機していた。 しばらく園の前で遊んでいると、次男たちがバスに乗り込み出発。 お見送りできた〜!という、なんてことない光景。 こうした光景のあと、帰宅
昨日の鳥井弘文さんのvoicyをきいて、長年のモヤモヤに形が与えられた気がしたので書きます。(思考メモ) 鳥井さんvoicyの内容を簡単に鳥井さんのこちらのvoicy内容で、私に刺さったところを簡単にまとめると・・・ ・ユーザー行動、消費行動をしている間にも僕らは労働している。 ・NFTやFiNANCiEを盛り上げている人たちは、労働をしているのか?消費をしているのか?を考えてみると、盛り上げているうちに、価値が上がっていく、つまり結果として労働や消費をしているうちに生
この時期になると、聞こえてくるのは、卒業の歌。 それを聞くと、なんだか身構えてしまう。 「私を、泣かせにきてる?」 と思ってしまうからだ。 そして、「泣くまい」と思う。 ”校舎、笑い声、運動会、桜、旅立つ、ありがとう・・・” 「ありきたりなワードで、泣かせにくるな。」と思う。 「この子と私の日々の何が、あなたにわかるんですか?」という苛立ちなのか? 母としての矜持なのか、ただの強がりなのか、天邪鬼なだけか? それは、わからない。 私は、自分の言葉で、感動したいのだ
子どもの頃の大晦日の思い出といえば、近所にあった祖父母の家へ行き、ご馳走を食べながら、歳取りの神様をお迎えしたことだ。 仏壇のある和室に、お膳をひとりひとり並べ、歳取りの神様が入ってこれるように、障子と窓を少し開けておく。 雪国なので、マイナスの冷気が入ってくる。だけど子どもの頃の私は、そのスッとした空気が入ってくると、歳取りの神様が入ってきたような気持ちになっていた。 お膳の内容は、なまこ酢、氷頭なます、煮物、蒸し鶏、ピンクの蛸の甘酢づけ…あとは、なんだっけ?あとで母
ギブアンドテイクがずっと分からなかった。そんな私の現時点までの道のりである。 すっからかんに鎧をまとった存在はじめて『嫌われる勇気』を読んだのは、2019年の初頭だった。 その頃の私は、他人の意見や目ばかり気にして、目の前の幸せに目をつぶりつつ、子育てのおかげで(母親というアイデンティティのおかげで)かろうじてそこに立っているような状態だった。 『嫌われる勇気』を読んで雷にうたれた私は、他人の人生ではなく、自分の人生を歩こうと決めた。 それまでは本当に自分がすっからかん
わたしは片付けが苦手。 断捨離もときめく片付けも試したけど、挫折。 片付けできるようにはなりたくても、どうでもいいやって思ってた。 だけど、今日しめ縄とかしめ飾りの片付けについて記事を書いていたら、すごい発見してしまった。 お正月のしめ飾りは、松の内を過ぎたら、どんど焼きでお焚き上げしてもらう。 お正月飾りは、神様の宿る依代だから、丁寧に、片付ける。 片付けという言葉は、文字通り「片をつける」区切りをつけて、次に進む。 お札やお守りも、一年経ってお役目が終わったら、感謝
フリーランスの学校(通称フリ校)は、インフルエンサーのしゅうへいさんが始めたコミュニティ。 無料の動画講義で学べる初級コースを終了すると、審査ののちに、クローズドコミュニティ(有料)へステップアップできる。 そんなフリ校クローズドコミュニティの扉を叩き、まるでピンポンダッシュのように去ってしまったわたしの嘘と後悔のにゃらティブを語らせてもらいます。 ※なにかをディスる内容ではありません。ただの主婦の自分語りですのでご容赦ください。 フリ校に申し込む2022年5月の終わ
NFTは煩悩の世界。 未来への希望や、文化、つながりなど素敵な側面もたくさんある一方で、 人間、自分自身の欲深さが分かりやすい形で見せつけられる世界だ。 私はLLACは「お守り」であり、「未来へのチケット」であると捉えているし、どう考えても猫ちゃんをガチホする方が、LLACにとっても自分にとっても良いので、もともと売る気はなかった。 だから自然に無理なく座禅はできている感覚。 また、幸いなのか何なのか、数字に弱いので、自分の猫ちゃんが日本円でいくらなのかはあまりピンと来な
「人間だって動物だ!」 これは「動物戦隊ジュウオウジャー」の第1話で、風切ヤマトがはじめて”ジュウオウイーグル”に変身する前に発した言葉だ。 我が家の長男がハマっていたので覚えていたが、 この「人間だって動物だ」ということが、まさに!と感じられて非常におもしろく、 なにより世界の見え方が変わる衝撃を受けた本を、私の気づきも絡めながら紹介したい。 日高敏隆・著『動物と人間の世界認識ーイリュージョンなしに世界は見えないー』 動物たちは世界をどう認識しているか 本書は、ま
限りある時間オリバー・バークマンの『限りある時間の使い方』という本が話題をよんでいる。 実際に、わたしも今年読んだ本のなかで個人的にNO.1だと思っている一冊だ。 わたしは臨月に入ってから、この本を読んだ。 そして、赤ちゃんや子どもたちとのかけがえのない日々を楽しもう、と強く思ったのだ。 それでも、日々のさまざまなことで決意を忘れてしまうことがある。 その度に、教えてくれるのが 赤ちゃんだ。 赤ちゃんは尊いへその緒がとれた。 目を開けている時間が増えた。 笑ってくれるよ
わたしは形無しだった。 その事実にうすうす気づいていながらも、気づかないふりをしてきた、という話。 ひとは見たくないものは見ないものだ。 「守・破・離」という言葉がある。 これは、千利休の『利休道歌』に「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」からくるものだそう。 つまり、師匠から教わった型を徹底的に「守る」。 そして、師匠の型と他流派の型などを研究し既存の型を「破る」。 それができてはじめて、既存の型から「離れ」て自在になれる。 というような意味だそう
先日、人生初のNFTをmintした。 わたしがNFTに興味を持ったのは、LLACがきっかけだった。 以前からイケハヤさんなどのvoicyで知ってはいたものの、難しそう・・お金がかかりそう・・と、聞き流していた程度だった。 なんだかおもしろそう!とLLACのDiscordには入っていたものの、とくにこれといった行動はしなかった。 Webライターの仕事に夢中だったというのもあるけれど。 変化がおきたのは秋。10月末に出産を控えていたので、Webライターの仕事を減らしていき余