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「叶え組」のその先

桜林直子さんのnote『世界は「夢組」と「叶え組」でできている』を読んで、長い間もやもやしていた気持ちが解けたのでそのことについて書いてみる。

そのことを知ったときブラックコーヒーにそっとミルクが注がれたように、目の前の景色がゆっくりと螺旋を描きながら柔らかな色に変わっていった。

そうか。わたしはもうずっと長いこと「叶え組」だったのだ。



昔からやりたいことがなかった。したいことも欲しいものも特になかったし、将来の夢も一度声に出したものをとりあえずそのまま言い続けていた。一途にその夢に向かっていて偉いね、なんて言われて。

流されるままに歩いて辿り着いた場所が自分の居場所だったし、そこに疑問は持たなかった。
きっとわたしは諦めるのが早くて、受け入れることに慣れていて、良く言えばポジティブな人間なんだとずっと思っていた。


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「勉強はできないけれど、仕事はできる。」

自分をこう思うようになったのは大学生のとき、部活で副部長を務めたときからだ。

同時期に部長を務めた彼は、偏差値でいうとわたしより10も20も高いような学部にいた。
今の部はこんなところがダメだ、だからこんな風に変えたい、などと大きなビジョンを掲げるのに口先ばかりで全く行動が伴っておらず、実際に仕事をこなし部員に指示を出すのは全てわたしだった。

勉強ができる人=仕事ができる人 ではないのだと初めて知った。
また、勉強ができない人≠仕事ができない人 だということも。

そのうちにわたしは副部長という肩書きから裏部長、真の部長などど言われるようになった。
当時はそのことに違和感を覚えなかったし、実際に仕事をしているのはわたしだという自負があったので認められて嬉しい気持ちもあった。

しかし何故だか不思議なことに、部員のみんなが副部長は部長よりも仕事をしていると言っても、わたしの中で部長はやっぱり部長だった。例えいくら仕事ができなくても。

きっとそれは、具体的な夢や目標を明確に口にできるところを尊敬していたからだと後になって気付いた。彼が得意なそのことは、わたしにとって一番苦手なことだったから。

わたしがやったことは、彼のビジョンを現実にしていくために案を出し準備をし実行したにすぎなくて、それが周りから褒められるに値することだと到底思えなかった。

こんな部活にしたいと言い出し、小さな革命を仕掛けたのはわたしではなくて部長の彼なのだと。



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彼があまりにも仕事をしないせいで幾度となくいらいらをぶつけることになったが、何故だか彼を嫌いにはなれなかった。

彼が「夢組」で、わたしが「叶え組」。

部員の全員がわたしたちの相性は悪いと思っていた、しかしそれは真逆だったのだ。



自分が「叶え組」だとわかってから、少し自分に自信が持てるようになった気がしている。

やりたいことがない人は実は世の中にたくさんいるということ。
明確にやりたいことがある人が偉いという世の中で、やりたいことがない自分は良くないのだともう思わないでいいのかもしれないということ。

もしかしたら誰かのやりたいことを叶えるお手伝いができるかもしれないということ。



だってわたしはもう叶えたのだ。
こんな部活にしたいとただただ大きく語る部長の夢を、少なからず叶えたのだ。




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