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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (4)スカイハイ

「ルーチャ・リブレ、このスペイン語で「自由な戦い」を、単にプロレスのメキシコ版、ヒスパニック版と簡単に片付けちゃだめなんだよ。もっと奥が深くて、歴史もある」シンイチが、ソカロ近くの食堂でワラチェを頬張りながら、力説する。
 
ワラチェとは、楕円形のトルティージャに肉や豆やチーズや野菜をトッピングしたスナック。形がワラチェ(サンダル)に似ているのでそう呼ばれる。ここの店のは、トルティージャにフリホーレス(ビーンズ)が練り込んであってとくに美味い。

「覆面レスラーが多いんでしょ。それがスペイン侵略前のアステカ文化の戦士の装飾を模しているとか?」と、麻里はタマレスの周りのトウモロコシの皮を剥きながら聞く。

タマレスは、トウモロコシ生地をラードで固めて、肉野菜を加えてトウモロコシの皮に包んで蒸した料理。東南アジアにも似たようなオタという魚のすり身の蒸したものがあるが、タマレスは皮をあけるとトウモロコシの香りが香ばしい。

「それもあるね。たぶんルーチャが生まれた20世紀初頭とか、侵略者スペインに対するマヤ・アステカの戦いという形でナショナリスティックなところも大衆文化としての人気の背景としてあったと思う。今はもっとメキシコ対米国という構図かな。この構図、絶対今日も試合ででてくるから、お楽しみに」

「でもやっぱり、このソカロの辺りって、うろつくには治安悪そうね。怪しげな男が沢山いるわ。こうやって店の中で食事しているのはいいけれど。それで、チケット持ってるお友達はいつ来るの?」とエリカが聞く。
エリカはダイエット中なのか、エローテというトウモロコシを茹でたの串刺しにしたのを齧っている。茹でてあるが、マヨネーズやチリパウダーが塗りたくってあるので、ダイエットになっているのか疑問だが。

「ラファたちもこの店に来るということだったがな。車止めるのにてこずっているのかな」
 
まもなく、ラファエルとピラールが店にはいってくる。
「オーラ、ルチャドーレス・ハポネセス!(日本人レスラーさんたち、元気?)」そう言うと、レスラーの仮面(マスク)を3つ、レジ袋から出してくる。

「(君はエリカだね。初めまして。君は、メヒカーナでいけるな)」

ピラールが補足解説する。「(このマスク。やっぱり、ルーチャはかなりガラ悪いから、いかにも日本人観光客っていうと狙われてスリにあったりしちゃいけないからって、シンに、そしてよかったらあなたたちにも、会場ではこのマスクをかぶって観戦したらどうかってラファが言うの。へんでしょ?)」

「(それ、いい、いい。僕はこのテクニコ、つまり善玉のエル・サントのがいいな。エル・サントはもう亡くなったが国民的英雄)」と言うと、シンイチはマスクの一つをとってかぶる。

意外に麻里も乗り気で、「(私はこのアステカの戦士みたいな頭飾りがあるのがいいな。これもテクニコ?それともルード(悪役)?)」
「(もちろん、テクニコ!善玉中の善玉)」ラファが答える。エリカも笑って、残りの黒熊みたいな動物のマスクを手に取る。
 
「(よし、腹ごしらえしたら、いざ、アリーナ・コリセオへ行こう。ここから歩いて5分くらい。シンの言う通り、今日、水曜日の夜の試合には、伝説のルチャドール、ミル・マスカラスが顔見せすると書いてあった。もう50すぎて現役引退してるから戦わないと思うけれど。チケットは前の方のいい席とれたよ)」
 
会場のコリセオの周辺は、道にいろんな屋台が立ち並んで、お祭りのようだった。

シンイチは留学中にもっと大きい武道館みたいなアリーナ・メヒコに行ったことがあるが、このソカロ広場近くの建物の一角にあるコリセオは初めてだった。

チケットをみせて、入り口で、男性は男性、女性は女性の警備員の身体チェックを越えるとすぐ会場の中になる。
会場はある意味シンプルで、かなり質素なプロレスのリングを囲んで折りたたみイスの席があって、さらに2階席がみえる。
ちょっと異様なのは、その2階席が金網で囲まれていること。あたかも2階が動物園の猛獣の檻みたいになっている。

「(あれね、興奮してビール瓶投げたり、椅子投げたり、いろいろ投げるやつがいるから、ああして檻つけて2階席からリングを守っている)」ラファエルが説明する。
 
アナウンスがあって、なにかが始まろうとしていた。

音楽とともに観客席を通り抜けてリングにあがってきたのは、身長1mほどの小人症らしきレスラーたち。2人が仮面マスクを、2人がマスクなしである。腕と足こそ短いものの、鍛えた筋肉が体にも腕にもモリモリしている。ちょっと大柄、といっても1.2mくらいのルード(悪役)たちが、さらに小柄なテクニコ(善玉)を痛めつけ始める。

「(これ、ルーチャの伝統、エナニートス、小人のプロレス)」とラファが解説する。「(前座でやるんだけど、馬鹿にしちゃいけない、彼らは真剣に鍛えて戦っている。ちょっとコミカルなシーンもあるけどね)」
 
リングでは、ブロンドのルードのひとりが善玉のシルバーの仮面にジャーマン・スープレックスを決めて、さらに倒れたところに強い蹴りをいれている。観客は怒ってブーイングを始める。ルードたちは、痛がって床にころがるテクニコたちをみて、あざ笑い、見ろ、こいつらを、と観客に挑む。
ルードたちはこれでもかと、いじめっこが弱いものいじめするように、善玉をいたぶり、殴りつける。邪悪な仮面をつけた悪役が善良そうなメキシコ人顔の善玉のひとりをはがいじめにしたところへ、もうひとりの悪役が往復ビンタをくらわす。

善玉、万事休す、「(おまえらやめろ!)」と観客はルードたちに罵声を浴びせている。すると、どこからともなく、というか場内放送で威勢のいいテーマソングがかかってくる。

と、善玉二人がすっくと立ち上がり、というか腹筋でひょいと立ち、すばやい動きで悪役の顔に空中必殺蹴りをくらわして、えいやと足をはらってやつらを倒すと、上からまたドロップキック。すべてが、とてもとても素早い。体が小さい二人がいかにも大柄の(小人にしては)いじめっ子に巧みな技で反撃始める。観客は、やんや、やんやの喝采を浴びせる。脳天を打ってくらくらしている悪役の周りを、はやぶさのように舞って、どんどんすばやく技をくらわす。

「そういえば、昔、オルミギータ・アトミカという蟻のような仮面をかぶったすばしっこいルチャドールのビデオをみたな」とシンイチは思い出していた。あの速さに匹敵するすばやさだった。
そんな手に汗にぎる試合を、シルバー仮面の男と、アステカ戦士の仮面の後ろからポニーテールを出した女性と、黒クマみたいな動物系仮面の女性が、観戦していた。叫んだり、立ち上がったりしながら。
それをみて、メキシコ人カップルのふたりは満足そうに笑っていた。
 
「次はルチャドーラ、女性レスラーの登場かな」とシンイチは期待したが、意外にその日は女性レスラーの登場はなく、1時間ほどするとメインのルーチャのセッションになる。
 
こちらは筋肉隆々の本ちゃんレスラーたちが、基本的には小人レスラーたちがやっていたことと同じような筋書きで試合を展開していくのだが、1対1あり、先程のような2対2あり、延々といろいろなバリエーションをつけながらいくつかの試合が展開していく。
30分ほどして、図体のでかい金髪のレスラーがでてきたが、英語で観客を罵り始める。本物のアメリカ人レスラーのようである。あきらかにルード、悪役。観客を煽っている。

仮面のメキシコ人レスラーがでてきて、1対1で試合を展開すると思ったら、すぐにリング脇からアメリカ人の相棒のようなもうひとりのアメリカ人が出てきて背後から仮面レスラーを攻撃する。

観客は、「後ろ!後ろにもいるぞ、気をつけろ!」とか「グリンゴ(ヤンキー、アメリカ人の蔑称)卑怯ものめ!1人で戦えー!」というようなことを(多分)怒鳴っている。

金髪の1人が隠し持っていた凶器みたいなものをわざわざ観客にみせて、薄ら笑いをうかべながら、仮面レスラーの脳天に凶器をつけた手で殴りかかる。「(卑怯者ー!)」「イホ・デ・プータ!(卑猥な言葉)」という怒号にもかかわらず悪者たちはさらに悪行をエスカレートさせようとして、痛みに苦しむ善玉仮面のマスクをふたりで剥がそうとする、その時、あの懐かしのテーマが流れる。
 
スカイ・ハイのテーマ。そう、伝説のルチャドール、ミル・マスカラスのテーマ曲、登場ソング。

照明が一瞬おちて暗くなったリングに、明かりがふたたび灯ると、さっそうとミル・マスカラスが登場する。
観客は総立ち、わけがわからない三人の仮面日本人も立って歓声をあげる。「マスカラス!マスカラス!」アリーナ中が合唱する。

ミル・マスカラスは、茫然とする二人のアメリカ人レスラーひとりに素早いスープレックスをかまして倒す。もうひとりもよろめいたところへ、ロープをつかって、フライング・クロス・チョップ。苦しみのたうち回っていた善玉仮面も元気を急に取り戻して、いっしょに反撃する。やいや、やいやの総立ち喝采の中、善は悪を成敗し、ゴングが鳴る。

ミル・マスカラスはマイクを持つと演説する。音が割れて音響が悪いのと、喋っている内容がまったく想像できないので、シンイチにはほとんどわからないが、なにやらルーチャを応援してくれてありがとうというようなことを言っているらしい。
 
興奮冷めやらぬまま、アリーナを去り、ラファエルの運転するワーゲンのビートルに5人でぎゅうぎゅうになって乗って、コヨアカンの酒場(カンティーナ)をめざす。観戦余韻を楽しむ飲み会。
まずはビール。ローカルビールのドス・エキスの瓶をかちんとぶつけて乾杯する。
 
「(こんなバカバカしくて楽しいの久しぶり!)」とエリカが興奮ぎみに言う。エリカも麻里も、じつはけっこう飲む。

「(麻里はどうだった?)」とピラールが聞く。

麻里はいつもとかわらずのんびりした口調で、「(アステカのマスクがよかった。これもらっていい?記念に)」と聞く。「(もちろん。でも大学にはかぶっていかないように)」とラファ。
 
興奮を語り、杯を重ねる。

「(でもね、あれは問題よ)」とエリカ。もう3杯目、バカルディのクーバ・リブレを一口飲んで言う。

「(エナニートス。小人ルーチャ。この国には人権という発想はないの?身体的な特徴を見世物的におもしろおかしく見せるなんてどうかしてるわ。マイノリティへの配慮があってしかるべきよ。私、あれを見てて、全然おもしろくなかった。仮面の下でかわいそうで泣いていたわよ。ひどいなって)」

「(でも、彼らはプロフェッショナル!プロ中のプロ。あれは凄いと思う)」とシンイチが反論する。

「(あの筋肉みたかい?そしてあの俊敏さ。決してお笑いとか見世物であのレベルの動きはできないよ。日頃の訓練があって、あれができる。そういう意味では僕はあれは凄いことで、そういう場を提供しているエナニートのルーチャには全然抵抗ない、というか大好きだな)」

「(それはかなり一方的な見方)」エリカが睨む。

「(自分で選んであの体に生まれてきたわけじゃないのに、ルーチャだけしか生きてく方法がないとしたら、それは悲劇だと思う。他の職業につきたかったかもしれないし。ごく普通の人のような人生を送りたかったのかもしれないし)」

「(でも自己肯定的になるのが、大事だと思うよ)」シンイチはひさしぶりにレアもののメキシコでしか飲めない地酒のメスカルのストレートにスイッチして反論する。

「親からもらった体、自分で日々管理する体、それを肯定的にとらえて生きていく。小人症だからこそ、あのルーチャに出れる。それは差別でもないし、自信を持って鍛えて臨めば、観客だって馬鹿にするばかりではなくて、あの生き様に感動すらすると思う。僕は感動した)」

「(シン、かなり酔ってる)」麻里が口を挟む。

「(エナーノスはちょっとショッキングだったわ。サーカスの見世物かと思った。興味本位で見ちゃいけないと思った。自分が人と違うっていうことを受け入れるのって、そんなに簡単ではないのよ。すごい葛藤があるのよ」
シンイチが、麻里のその言葉に、なんて反応したらいいのか酔った頭で考えているうちに、ラファが話題を変えようと、口を挟む。

「(あのミル・マスカラスのテーマのスカイハイって、たしかイギリスのバンドの曲。なんか、空高く飛んでいこう!みたいな痛快な曲調だけど、よく歌詞を呼んでみると、実は失恋の唄って知ってた?
君に惚れてスカイ・ハイに飛んできたと思ったら、騙されてて、どーんと墜落、みたいな話)」
 
「スカイハイ」歌詞部分抜粋訳
「風に飛ばされ
舞い落ちて
僕は君に愛を与えた
行き着くとこまで行けたと思った
君にすべて与えた
何故、あの愛は終わらなきゃいけなかった?
君は空高く、スカイハイに僕を吹き上げて
僕に嘘をつくことで
これといった理由もなく
君はすべてをスカイハイに吹き上げちまった」

(続く)

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