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ただあなたの優しさが怖かった

昭和の名曲、神田川 (1973)
作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:木田高介。

南国で17年育った愚娘が、自分のルーツの日本で学びたいと昨年から東京の大学にいて、仕事のついでに訪問中、近くの神田川を歩いてふとこの曲を思い出して作ったリールがこれ。

曲(インスタ・ライブラリーから)に、神田川の映像と、石鹸かたかた鳴ったのところを拙訳で英語にキャプションいれてみた。ほぼ直訳。

(2行目に I was の was が抜けてた(汗))


ふと、思う。

「若かったあの頃、なにも怖くなかった、ただあなたの優しさが怖かった」

この女性、優しさが何故怖いんだ?

男が優しいあとに豹変して殴るDVなのか?

いや、優しさが愛おしくて、それがいつの日かに喪失してしまうことが怖い?

わからないのでググってみる。

するといろいろな説が出てくる。

ちょっと脱線するが、やはりあたりまえのことながら、インターネットによって人類の「知」が共有されシンクロしているとつくづく思う。ちょっと端末をいじると、すぐに世の雑多な知見にアクセスできる。

イギリスのSF作家大家のアーサー・C・クラークが1952年に書いた「幼年期の終わり」に進化した人類の将来として、脳が繋がってシンクロして動く姿が描かれているが、インターネットがそれを実現したなとつくづく思う。これ、詳しくは拙筆:

彼は同じころのBBCのインタビューで、2001年頃には家庭にコンピューターの端末があって、それで銀行残高やホテル予約とか操作できるようになるだろうといっている。 リモート仕事、ノマドライフも予測。あたってる。すごいな。


さて、話はもどって、石鹸かたかた鳴ったの神田川。

優しさが怖かったの解説として、やはり女性がその神田川のぼろアパートのささやかな同棲生活の幸せがいつか終わってしまうのが怖いというのや、幸せすぎて怖い、つまり、こんなに幸せでいいのか、これは本当なのかという怖さではないかなどの説がでてくる。

まあ、歌なので解釈はいろいろあってしかり、むしろ、それぞれが多様な受け止め方をするのが素晴らしいなあと思うが、ついに、作詞者が表明したのにで出くわす。

曰く、「この最後のところで主語が変わるんだ」という点。

「あなたはもう忘れたかしら?」と女性が問うことで始まる歌詞で主語は女性だったが、最後のところは、当時、神田川近くのぼろアパートで学生運動に参加する早大生だった作詞家の男性の語った部分だと表明したとのこと。

何も恐れず、学生運動で日本を世界を変えるんだと、夢や理想に燃えていた若かったあの頃。なにも怖くなかった、と男性が振り返る詞を書いて、対のように、怖かったことを並べようと考えたら、「愛する女性の優しさ」が浮かんできたと。

「若かったあの頃、なにも怖くなかった、ただあなたの優しさが怖かった」

この対比、なんともいい。

世界を変えるんだという、若さ、バカさでいっぱいの男性、理想にくらべたら身近な些細な事なんて気にしてない、ともすれば自分の命も顧みず、将来の不安なんていうのも、考えたこと無い。

でも、同棲している、同級生の髪の長い女性のちょっとした優しさを思い出すと、愛おしく、それが自分の怖いもの知らずの情熱を現実に引き戻してしまうのが怖いということだったか。


しかし、70年代の昭和の歌謡曲には、ふざけすぎた季節の後に(「なごり雪」)、就職が決まって髪を切ってきた時もう若くないさと君に言い訳したね(「いちご白書をもう一度」)なんていう、学生運動から社会人へ、青春の喪失みたいなテーマの曲でいい曲がありますね。 ■


おまけ。この該当部分の英訳試み(歌える語数で):

「若かったあの頃、なにも怖くなかった、ただあなたの優しさが怖かった」

In those days when I was young
I was fearless about everything
Your tenderness was the only thing
that made me fear

(韻踏めなかった…)


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