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「ドバイから飛びりし先」フィクションあるいはデフォルメした実話 (2)

アクシデンタル・ツーリスト
意図せず成り行きで旅行をしてしまうこと。ゆえに下調べもない、行き当たりばったりの旅。

ひょんなことから旧ソ連のジョージアで2週間ほど過ごすことになった森晋一だったが(顛末はこのポスト末尾リンクの (1)ご参照)、5時間時差のある日本時間でオンラインで仕事をしながらの日々だったので平日は早朝4時前から午前11時まで宿でPC相手にZoomしたり資料作ったりしていた。トビリシ・ノマドでぐぐると、WIFIサクサクのカフェとかでてくるのだが、早朝だったし、ホテルの小さな机での作業で十分だった。

そして毎日のように、午後に遅い昼食をとってからひとりのんびり街を探索するのが結構楽しかった。もうその日は十分仕事したと、昼食からワインかビールを飲んで。

ワインについては、正直、普通の店でグラスででてくるのはことごとく甘くて、アルコールの好みに関してはハードボイルドを自称する(というか糖尿病予備軍で血糖値が心配な)晋一には合わなかったので一通り試した後はビールにしていた。後述するが 、こじんまりした素敵なワイン宿のオーナー夫婦にひょんなことから会えてご馳走になった彼らの醸造所の赤もアンバー(日本ではオレンジワインと呼ぶ?)は変な甘さがなく素晴らしい味だったので、現地ワインも選べば好みに合う美味しいのがあるというのが結論であったが。

そして、どういうしきたりなのかわからないが、ブドウのカストリみたいなイタリアのグラッパみたいなチャチャというアルコール50度くらいの地酒を数回ただでふるまわれた。ホテルのオーナーが作った地酒ですとか、レストランでも食事頼めばチャチャ一杯無料とか。それは上品な焼酎のようで美味しかった。脂っこいラードたっぷりの肉料理にぴったり、まさに九州の豚料理に芋焼酎みたいに、チャチャのアルコールがこってりした脂を流してくれた。

まったく無知識で来たのだが、現地人と話したり、博物館行ったりするたびに少しづつ断片的な知識が積み重なって、なぞ解きをしているようで面白かったし、なにより、地名とか食べ物をジョージア語をカタカナで書くと母音が日本語チックで、駄洒落を趣味としている晋一にとってインスパイアされる日々でもあった。


ジョージアという国についての謎解き

晋一にはほとんど知識がなかった国ジョージア。

たしか元ソ連の外相シュワルナゼだったかが大統領やってたことあったから、なんとなくイメージがロシアや多くの東欧の国同様に、スラブ系の民族の国だと思っていた。たしかスターリンがグルジア出身だったかの話をどこかで読んだことがあったが。レーニン同様にスターリンにもアジアの血がはいっているとかいう話で。あ、ということは単なるスラブの国ではないのか。シュワル何故?

来てみて少しづつわかっていったこと。

飛行機がドバイから3時間、首都トビリシに着陸態勢になると、窓から、雪で白くなった山というか山脈がみえた。あ、これがコーカサス山脈かと、フライトマップの地図をみる。

そしてあることを悟る。この国はロシアと隣接しているが、その国境は5000m級の険しい山脈だ。スペインがピレネー山脈で北の欧州大陸と分断されているように、日本列島が山脈で本州を大雪の日本海側とからっ風の太平洋側とに分断されているように。となると、ここは北のロシア圏からはある程度隔離された歴史?むしろ、南で隣接しているトルコ、アゼルバイジャン、アルメニアあたりに近いのか?そっちも山があるっぽいが。ギリシャ正教でムスリムではないから、トルコ系というよりアルメニアのほうに似ている?

たしかに人間は見た目は知り合いのトルコ人とかに似ている気がする。金髪碧眼のロシア人でなく。まあ、近年、美容技術進歩でどこへいっても女性は茶色やブロンドの髪の人が増えたし、化粧で人種がよくわからなくなってきている気もする。子供たちあるいはおっさんたちをみたら、特徴がわかるかなとも思う。

そして、空港に降り立って、無知だったなあと痛感したのが、現地語、ジョージア語がかなり独自で、ロシアのキリル文字でも使ってるんだろうと思っていたら、まん丸の可愛い感じの独自の文字が使われていたこと。

タイ語かミャンマー語みたいに、日本のコギャル文字みたいにまん丸い。いろいろ聞くと、ジョージア語は独自の言語で語彙では他の言語からの影響あるが言語としては独自だという。日本語やバスク語みたいだなと思う。


丸い文字

英語でどうにかなるかなと思っていたが、やはり1991年までソ連だった国、ジョージア語の次にロシア語、そしてここ30年くらいは英語学習が進んできたが、街角では英語はあまり通じないという印象。なので、現地人といろいろ話をするには、英語ができる人に出会わないとだめだった。

幸い、三番目の宿がこじんまりしたところでフロントに暇そうにしている30代くらいのジョージア人のシフト二人がきちんとした英語を喋れたのでフロント兼バーになっているのにたむろしてビールを飲んでいたら、いろいろと話ができて疑問解決に役立った。2月はシーズンオフで混むのは春といっていた。いまは、外人は来てもスキーしに山に行くと。

そして、不思議な過去の体験との再会というか、そういえばという気づきは、街角でジョージアが誇る放浪画家ニコ・ピロスマニの看板をみて、そしてその絵を美術館でみて、はたと気づいた。80年代に、岩波ホールでたしか「ピロスマニ」という映画をやっていて、学生時代の晋一は観に行ったことがあったのであった。

西アジアの自然豊かな国グルジア、頑固な放浪画家の話。その記憶がどどっと一気に蘇ってきた。とはいっても、実はストーリーはまったく覚えておらず、退屈な映画、コーカサスの豊かな自然とグルジア人という地味な素朴な人々がいるんだなと思った記憶だけだった。ソ連だし、自分はここグルジアへ行くことはないなとも思ったという記憶だった。


ピロスマニの代表作・釣り人


着いて二日目の夜に会った在住フランス人がジョージアについて晋一におもしろい洞察を与えてくれたことは前回書いたが、2週間滞在した中で、ジョージア理解のヒントを与えてくれた偶然の出会いが2つあった。

まあ、国を理解したければ、ガイドブック買って読んだり、いまどきググればいろんな情報があふれているわけだが、こっちはその謎をひとつひとつ自分で見聞して解くのがおもしろいと思っているので、あせらず、自然体でなぞ解きを進めていた。

出会いの1つは、滞在最後の3日になって、古いロシア人の知り合いでもう国籍もカナダにしてしまったDが晋一のトビリシの写真のポストをみてメッセージしてくる。VというホテルにいってオーナーのTにあうべし、おれの名前をだして知り合いなんだと言えばよい、と。

なんだ、知り合いならメールで相互紹介でもしてくれりゃ楽なんだがと思うが、逆にスパイ映画みたいで面白いので、ふらりとそのホテルに行ってみる。後述するがそして会ってその夫婦が夕食に誘ってくれる。その時に聞けたのがこの説明:

ジョージアについてさっと歴史を説明するわね。博物館いったなら見たと思うけど、アフリカ以外で最も古い180万年前の人骨が見つかったのがここ。コーカサス山脈からの豊かな雪解け水で農業が古くから盛んだったこの地域に私たちはずっといた。何度も外からの侵略にあったけど完全には取り込められずにずっと独自性を保ってきた。印欧系がきたけどはねのけた。なので私たちの言葉はほかのヨーロッパの言葉と違う。ムスリムも私たちを変えられなかった。イランというかペルシャが力を伸ばしてきた時期もあった。ロシアは何度もこの暖かくて食事が美味しい地域を支配しようとして、帝政ロシア、ソ連の時代もあったけれど、私たちは独自性を貫いた。でも、日本もそうでしょ?侵略されそうになっても、戦ったり、歴史の幸運があって、独自性を保ってきた。私たちはスラブ系でもないし、トルコ系でもない、ジョージア人なのよ。

へえ、なるほど、知らなかったと言って、晋一はジョージア料理の梅のソース、ツケマリをグリル・チキンにつけてほおばる。ツケマリはつけるからツケマリか、なんちゃって、と思うが、駄洒落を言う相手がいなかった。アジカ・ソースという唐辛子のソースもあるそうで、味の素ならぬ「味加」かと覚える。

「しかし、国の在り方って、いろいろだな」と晋一は思う。

ちょうど、NotesというSNSで、KFCというペンネームで近未来SF連載小説を書いている変なオヤジをたまたまフォローしていたのだが、スペインや英国の地方が独立国になってしまうみたいなハチャメチャで支離滅裂な設定が変だけどおもろいなと読んでいたが、3話で更新が止まっている。「たぶん、国の在り方と言う大きすぎるテーマを暗喩のようなSFだとしても語るのが難しくて頭抱えてんだろう」と思う。「カタルーニャとかバスクみたいに統一されて言語を禁止された歴史があると大変だよなあ。その点、日本もジョージアも、自分の言語で自分の文字で文化をはぐくめたことは幸せなんだなあ」なんて思ったりもした。

もう一つの出会いもひょんなことから。

日本人経営のバー。2番目のホテルがあった古いおしゃれな通りにそれはあった。急に仕事で署名した原本を東京まで送れと依頼あり、できればあさってまでという無茶ぶり。ジョージアのピザみたいなのは、カチャブリといって普通に美味しいのだが、ムチャブリは困るなと文句をいいながら晋一はFEDEXかDHLをさがすと、ホテルと同じ通りにあることがわかる。夜7時まであいているということでさっそくサインした書類をそこへ送りに行った後、その道を歩いていると日本語の名前のバーを発見。


カチャプリ

まあ、日本のITノマド若者たちが最近ジョージアで増えているというのを聞いていたので、どっかで自然に出くわすかなくらいに思っていた。もちろんググって探し当てればいいのだろうけど、年寄りビジネスマンがそんな若きノマドたちのところへいっても浮くだろうな、というか酔って変に昔話の自慢話とか説教始めちゃうといかんので敢えていくのはよそうと思っていた。

夕方で腹もすいて喉も乾いていたのでそのバーにはいってみる。すると、いい感じで、日本人数人、見かけが日本人ぽくない人数人が集ってがやがやに日本語や英語で盛り上がっている。カウンターが空いていたのでそこでひとりビールを飲む。そして彼らの会話に耳を傾ける。

そこで、バーのオーナーのひとりで在トビリシ10年以上の人からいくつかおもしろい、ジョージアとはこんなところという「まとめ」的な話がきけた。現地愛を感じるも、へんに美化せず、醒めた見方も織り込んだ、なかなかいい解説だった。そのそうかと思った洞察というか tipsのいくつかは:

・ジョージア料理は美味いが、けっこう重たく胃にもたれるので毎日食えない。油も多用するし、スペインやイタリア料理のオリーブオイルがラードみたいな料理もある。
・店でグラスででてくるワインはそんなに美味しくない。さがせば美味いのはありますが。
・酒が手に入りやすいからか文化なのか、夕方以降は現地のおっちゃんたちは結構酔っぱらっている。いい酔っ払いもいるが、たちが悪い奴らもいるので要注意。
・放し飼い?の犬たちは右耳に丸いのをつけてれば狂犬病の注射をしたということだがいつしたのか不明だったりするので、噛まれたらすぐに病院へ。


黄色い耳タグ


おっと、4000字越えたので、続きは(3)へ(たぶん)。


この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とはこれぽっちも関係ありません








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