見出し画像

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (6)シナモンの肌


ベラクルス小旅行の朝。まだちょっと肌寒く暗い午前6時に、ラファエルから借りたフォルクスワーゲンの緑のビートルでグアダルーペ寺院近くの麻里の下宿で麻里をピックアップする。

前のボンネットを開けて、麻里のボストンバッグを入れる。念の為、車の後ろを開けてエンジンにエンジンオイルを追加しておく。そう、ビートルはトランクが前に、エンジンが後ろにある。

「この車年季はいっててさ、300キロくらい走るごとにエンジンオイルいれないといけないんだって」

後部座席になにやらオニギリやら食べ物がぎっしりはいっている籠を入れている麻里に声をかける。

「排気量1000cc弱、日本でいったら軽、馬力不足で山道がちょっと不安だが、まあどうにかなるでしょ」

「この緑ビートルくん、きらいじゃないわよ。車体が緑だと、カブトムシっていうよりもカエルよね」
麻里が助手席に乗り込みながら言う。
 
既に平日朝の通勤渋滞が出始めているメキシコ市内を、グアダルーペ寺院のあるテペヤック丘からさらに北東へと車を走らせる。

信号で停車すると、車内がちょっと冷え込む。そう、ビートルの暖房にはファンが付いていない。ヒーターをオンにできるのだが、送風は走行中の外からはいってくる風というかなり原始的な構造で、車が止まると温風も止まる。

熱帯の緯度だが標高2200mの高地なので、朝、太陽が顔をみせるまではちょっと寒い。麻里はフランス留学時に買った厚手の手編みのエスニックなセーターを着込んで、両手をこすって暖を取ろうとしている。麻里は、でもなんだかニコニコしている。
 
しばらくすると、三車線の環状道路はだんだん山道っぽくなってくる。都会のビル群をあとにして、街道は白樺のような針葉樹林の林にかわっている。メキシコ盆地の東側で囲んでいる山岳部を、緩やかな登り坂で越えていく。
すれ違う車も、長距離輸送トラックが多くなる。朝日が差してきて、空には青空が広がっていく。
 
「シエリート・リンド、きれいな青空!排気ガスのメヒコ・シティ、しばしさようなら!」
麻里が笑顔で言う。
「アイ・アイ・アアイ♪、カンタ・ノ・ヨレ~♪」と、
シンイチはシエリート・リンドの唄を歌おうとするが、ハンドルを握りながら口いっぱい頬張っているオニギリのせいで、「モゴモゴモゴ~♪」にしか聞こえない。
麻里に冷たい緑茶のはいったコップを渡されて飲んでオニギリを流し込むと、「ツナマヨ、最高。海外でのオニギリの具の王様だね」と唄とは違うことを言う。

麻里は着ていた厚めのセーターを、ゆっくりと脱ぎながら、答える。車内もちょっと暖かくなってきた。「そうそう、メキシコ貧乏学生暮らしだと、おかかも塩昆布もシャケも梅干しもないのよ。オニギリはいつもこれかシンプル塩むすび」。セーターに、ポニーテールと化粧した顔をうまく接触させずに脱いでいる。あれ、今日は珍しく化粧している、とシンイチは思うが口にはださない。
 
ラファエルのビートルにはオーディオはAMラジオしかないので、持ってきてあった小型のラジカセで、シンイチが日本で作ってきたカセットテープの音楽をかける。そう、90年代にはまだドライブ・デート用にレコードやCDから曲をダビングするのがドライバーの役割だった。
 
「もう、ちょっと古いけど、メキシコのロマンティック歌謡メドレーでいいかな?」
「コモ・ノー!コンドゥクトール(もちろん、運転手さん)」と麻里が言う。
 
ジャズ歌手としても有名なアメリカ人のエディ・ゴーメがトリオ・ロス・パンチョスと唄う、「ピエル・カネラ」


 「ピエル・カネラ」、シナモンのような肌(歌詞部分抜粋訳)
「君の黒い瞳、シナモンの肌が
僕を夢中にさせる
大事なのは、君、君、君
好きなのは、君、君、君
他の誰でもない君」
 
ラテン・メドレーとともに2時間、3時間がすぎ、時計は午前10時をすぎていた。


車窓の外は、針葉樹林から、だんだんともっと力強い濃い緑色の熱帯の植生に変わってきていた。山道を高原から低地のジャングルへとの下りに変わり始めていた。

ふと見ると麻里は寝入っていた。論文締め切りの連続徹夜の疲労がどっとでたのかとても深そうな眠りだったので、シンイチは魔法瓶からブラック・コーヒーを一口飲むと、運転を続けた。

正午、ちょうど街道のドライブインのようなレストランがみえたので、車を駐車場へと進める。麻里が目を覚ます。

「ごめんなさい。運転手ほっといて寝ちゃった。ここは誰?わたしはどこ?」
「それを言うなら、ここはどこ?私は誰?だけど、その古い記憶喪失ジョークは誰のネタだったっけ?という感じ」シンイチは珍しい麻里のボケを面白がるが、「ランチブレーク。ちょうど、目的地パパントラまであと2時間、行程3分の2のあたり」と答える。
 
地元の食堂のようなそのレストランで、麻里はモレ・ポブラーノのチキン、シンイチはカルネ・アサダを頼む。

モレは、カカオとチリといろいろなスパイスがはいっている濃厚なソースで、甘くないココアに辛いチリをいれてバターをたっぷりいれたような味。そう、チョコレートがグリル・チキンにかかっている、メキシコの名物料理。味は重たく胃への負担が大きいからか、下宿のおばさんたちはモレは毎日はダメよね、せいぜい週末にたべるご馳走、と言っていた。

シンイチのカルネはシンプルなステーキ。肉をたたいて伸ばしているのか、薄くて平たくて大きい。それにサルサ・メヒカーナをたっぷりかけて食べる。もちろん、主食として、香ばしいとうもろこしの香りがする温かいトルティーヤが布にくるまれてテーブルに置いてある。
 
ステーキには山ほどのフライドポテトが添えられてきていた。
「あのさ、ケチャップって、英語のKetsupをメキシコ人がスペルから発音しようとするからケチャップじゃ通じなくて、けっつちゅっぷとか言わないと通じないんだよね。これ、留学中に覚えた。発音が難しい」とシンイチがうんちくをたれて、ウェイターに手を挙げる。
「けっつちゅっぷ、ポルファボール」そうシンイチが言うと、インディオ系の真面目そうな濃い顔をしたウェイターは「シー、セニョール」とうなずく。
「ほら、ケチャップじゃなくて、けっつちゅっぷ。アクセントは後ろね」と説明する。
すると、3分ほどすると、神妙な顔をしたウェイターがなにやらもって現れる。ケチャップではないなにかを持って。
それを見て、麻里は大笑いする。訳のわからないウェイターもそれにつられてニコッとする。
ちょっと気まずかったが、シンイチは「グラシアス」といってその、紙ナプキンにつつまれたフォークとナイフを受け取る。フォークとナイフは既にあったし、それを使ってステーキを食べていたのだが。
「ノアイ・ケッチャップ?ラ・サルサ・デ・トマテ?(ケチャップありますか?トマトのサルサの)」と麻里が言うと、「シー・セニョーラ!」と状況を理解したウェイターは再びキッチンへと戻っていった。

「ああ、おかしかった」と麻里は笑う。「でも、私、もうセニョリータじゃなくてセニョーラ(既婚女性の尊称)にみえちゃうか。お互い、三十路だしね」とちょっとため息をつく。そのため息がかわいい、とシンイチは思うが、口にはしない。
 
「まだ1時か。これならあと2時間で空中飛行マヤの戦士の舞い、パパントラの3時の部に間に合いそうだ。順調順調、天気もいいし」

ふたたび、緑のビートルはもはや亜熱帯というより熱帯雨林という感じの大自然のなかの街道を東へと走っていく。
真っ青な空から、北緯20度の亜熱帯の強い太陽の日差しが降り注いでいる。
 
「で、グアダルーペのマリアは、やっぱり、植民地統治政策のひとつとしてスペイン人の植民地政府とカトリック教会がつくりだしたものだったの?」
シンイチが運転しながら聞く。

「カトリックの布教の過程で、土着の信仰とマリア崇拝がかぶって一体化したのは世界でも多々あったの。白人でないマリア像、アフリカでみられる黒いマリア像は日本でも東北地方にあったし、じつはメキシコのグアダルーペのマリアは、スペインのエストレマドゥーラ州のグアダルーペ村での奇跡からきているの。

グアダという言葉からわかると思うけど、アラブ語源で、グアダルーペは隠れた川という意味。スペインは700年もアラブの支配下の時代があったので、ヨーロッパでもそこが異質よね。そのスペインのグアダルーペ村で、1300年頃に羊飼いがマリア様を幻視してそこに木彫りの聖母像を発見して、そこに礼拝堂が建てられたことに起源するの。

メキシコでは、1531年12月、フアン・ディエゴ君がカトリック教徒になって数日しかたってないんだけど、病気の親類の助けを求めようとしたときに、このテペヤックの丘を通った。すると、マリア様が現れて、司教にこの丘に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えてと言うの。

ディエゴ君は、すみません、親戚が死にそうなので先急ぎますからとマリア様を無視しようとすると、マリア様は、ディエゴの親類の病気はもう大丈夫、と言う。たしかに、その頃には病気だった親類は癒されていたの。

それで、マリア様は司教へこれを持っていきなさいと花を渡してくれるのだけど、それはその時期にそこでは咲かない花で、ディエゴは、その花をマントに包んで司教に届けた。すると、その花をくるんでたディエゴのマントに、聖母の姿が映し出されていたというのが伝えられている奇跡。そのマリア像が映ったマントは寺院に今でも飾られているの」
 
「このマリア出現のテペヤックの丘は、もともとアステカのトナンツィン女神の信仰の中心地だったの。そうそう、アステカというのもドイツの学者フンボルトがこのメキシコ盆地にいたいくつかの部族の総称として付けたので、彼らは自分たちはそれぞれ違う名称を持つ部族であって、アステカだという認識はなかったんだけど。スペイン侵略で、いろいろなものが外から定義付けられて改変されたの。植民地にありがちな悲劇。嫌よね、外から定義付けられて押し付けられるの。

それでね、植民地時代初期に、教会はインディオ達がキリスト教を受け入れやすくするために、土着の宗教のキリスト教と共存をある程度許したの。本当はテペヤック丘のトナンツィン女神だったんだけど、それが、同じ褐色の肌のマリアの伝説があったスペインのグアダルーペ村の名前をとって地名も改名されて、グアダルーペのマリアになったの。

そして、その後、グアダルーペではマリア様によって重病人が回復する奇蹟がたびたび起こったとされていて、ますますその人気が高まった。優しい女性の神様で、病気を直してくれるマリア様。ほんとはキリスト教ではイエスの母ではあるけれどマリア本人にはなにも神性はないのにね。それで、この「褐色の肌のマリア」は植民地時代の支配層のスペイン人も含めて、メキシコのあらゆる階層の人々の信仰を集めていくの。毎年、12月には巡礼の大イベント。ね、おもしろいでしょう」
 
運転しながら聞いていたシンイチが言う。

「なるほど。この曲のシナモン色の肌っていうのも、褐色のマリア様の比喩でもあるのかな?」

「それ連想しすぎ。ないない。この曲は褐色の女性モレーナ(混血)崇拝の単なるラブソング」と麻里は笑う。

「そうか。スペイン人とインディオの混血の国メキシコ。インディオももとをただせば、3万年前の氷河期に北アジアのアジア人がベーリング海峡を渡ってアラスカからずっと北米南米へと移り住んだ人たちだから、白人とアジア人の混血とも言えるか。そうだと、ハーフのエリカそのものだね」

「私は色白いほうだから、たしかにシナモン肌はエリカね。私なんか日焼け気をつけないとまっ赤になるけど、エリカはつるつるした弾力のある力強い褐色の肌、シナモン肌のモレーナ(混血女性)ちゃんよ」

「そういえば、エリカの女子高時代の大恋愛の話。相手の女性の自殺のこと。ちょっとショック。いや、すごく衝撃だった」

「あまり、人にはぺらぺらしゃべらないでね。
エリカは100%レスビアンということではないの。本人も時々よくわからなくなるといってたけど。パリの大学時代は同級生のボーイフレンドがいた。だからバイ・セクシュアルということなのかもしれない。好きになった人がたまたま女性だったり男性だったりするのと言ってたけど」

「へーえ、それも知らなかった」

「ボーイフレンドもギタリストでね。テープを聞かせてもらったことがあったけれど、すごく上手い。エリカの演奏も情熱的ですごいけれど、あの彼は天才肌」

「芸術家同士、ぶつかりあってしまって破局したか」

「ううん。エリカはむしろ彼の才能を理解して愛して崇拝していた。ひたすら尽くしていたみたい。それが破局の原因だって本人は言ってた。彼は日本に帰らず引き続きパリで活動を続けているけど」

「天才変人芸術家とそれを愛して尽くす人か。たいへんだろうな。神様と付き合うようなもんだよな。
なにか心理学用語があったなあ、そういう人の苦悩。なんていったかな、ギリシャ神話の神様アポロと結婚した人間の女性で予言ができちゃう・・・」

「王女カサンドラ。将来の大惨事を予言できる能力を授けられたけど、皆がそれを信じない呪いもかけられた王女。天才を理解できるのだけど、それがゆえに周りに自分が理解されなくなっていく、かわいそうなカサンドラ」

「ああ、あの悲劇。あのサザエさんが追っかけていった」

「?」

「くわえた魚は子猫のためだったいう、なみだなみだの、かあさんドラ猫、かあさんどらの悲劇」

「フフフ。よくそんな馬鹿なことすぐ思いつくわよね。ある意味、才能、尊敬しちゃうかも。

そんな馬鹿を毎日言っている人と過ごす人生って、毎日、笑笑、ゆるゆるの、平和な一生、かもね」
・・・・・
 
外には、見渡す限りずっとずっと遠くまで、強烈な緑の広葉樹やらヤシの木やら、ひたすら熱帯の生命力に満ち溢れたジャングルが広がっていた。

(続く)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?