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『むらさきのスカートの女』

「むらさきのスカートの女」
今村夏子著


物語を文字通り読むと、
権藤チーフ(わたし:黄色いカーディガンの女) が、むらさきのスカートの女(日野まゆ子)を追い回して、最終的には追い出してしまう話。

物語を語る「わたし」(=権藤チーフ)というのが、かなり、コミュ力、生活能力のない、いわゆる欠陥人間なのだけど、どうやら、自由気ままな人生を送っている「むらさきスカートの女」に自分と同じコミュニケーション能力の欠如、人間としての欠陥性を感じた「わたし」は、ある計画を立てた。

「むらさきスカートの女」を同じ職場に引き寄せて、職場の不条理を体感させて、彼女に「わたし」が、犯してしまった犯罪を被せようというもの。

ところが、いざ、働いてみると、思いの外、「むらさきスカートの女」は、評判が良い。同僚どころか、上司にも気に入られ、上司とは、不倫関係になる。「わたし」は、「むらさきスカートの女」の不倫を少しずつリークして、彼女の評判を下げる。

一方、職場では、物品の横領が、議題に上がってしまい、「わたし」は、失踪する計画を急ぐ。

最終的には、「わたし」の代わりに「むらさきスカートの女」を失踪させて、「わたし」は、職場に留まる。

全てのものには、二面性がある。
いわゆる、表の顔と裏の顔。
素直な人間は、表と裏がないので、迷うのだと思う。

「わたし」という存在は、案外素直な人間なのかもしれないと思った。素直な人間が、生きにくい社会にあって、「むらさきスカートの女」という、自分と同じように素直な人間が自由に生きている姿を見つけて、喜んだのだと思う。

「わたし」は、「むらさきスカートの女」と自分を対比させながら、彼女の生き方を学んでいったのではないか?そして、「わたし」は、「むらさきスカートの女」になりたいと思ったのだと思う。

ひとの評判に振り回されない生き方。軸のある生き方、それこそが、神様から与えられた使命だったり、その人の存在意義だったりするのだろうけど、そういう、ぶれない価値観をベースに生きていくことが、大事なのだろうと思わされた。

表紙の絵が、何故、むらさきスカートではないのか?謎だけどね。
4本足だからね、「わたし」の二面性ってことかな?

AIに上記のレビューを読み込ませて、以下の問いかけをした。

「むらさきのスカートの女」を映画化する場合、キャストの候補を教えてください。また、物語に合った歌の候補を挙げてください。

回答

映画化キャスト候補:
* 権藤チーフ: 綾瀬はるか or 有村架純
* 日野まゆ子: 新垣結衣 or 橋本環奈
物語に合った歌の候補:
* 「糸」by 中島みゆき
* 「夜に駆ける」(YOASOBI)


個人的には
赤ずきん(水曜日のカンパネラ)
だったのだけどね。

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