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コロナ禍の日本の、個人の倫理観に判断を委ねてくるところがしんどい

2019年の末に新型コロナウイルスが流行し始め、今はすでに2022年。コロナ禍になって2年以上が経過している。
自粛、自粛、自粛、不要不急、人と会うな。
みんな、そう言われ続けることにさすがに疲れてくる頃である。
流行がおさまったと思ったら今度は第n波だなんだの、もういいじゃん、いつまで言ってんの、スペイン風邪は4年で収束したとかって聞いたけど、技術が進歩してワクチンや薬がもう出来てる現代に、同じくらいの期間渦中だって言い続けるわけ?
なんて思ってしまっている私は、間違ってるんだろうか。

日本のコロナ対策は、最初から一貫して「要請」スタイルだ。
「行くな」「会うな」ではなく全部「控えて」「避けて」。
禁止ではなくお願い。罰則もなし。それだけでみんなある程度守っているのは、日本の国民性なんだろう。
私は最近、この国民性がしんどい。
これ以上はダメっていう明確な基準がないから、全部自己判断するしかないのが辛い。
ある人にとっては、全く人と会わないことや仕事や買い出し以外で外出しないことが基準でも、別のある人にとっては、最低限の手洗いうがいマスクだけが基準になる。
でもそれが良しとされている(結果的にそうなっている?)のが今の日本だと思う。

不要不急ってことば、早く死語になってくれないかなと思う。
それこそどんなことが不要なのか、不急なのかは人によって基準が違うし、人生には余剰が絶対必要で、必要最低限のことだけで人生を送るなんて死んだも同然だ。
大切な人に会うことも、行きたい場所に行くことも、もう相当我慢してきてて、不急なんかじゃない、今すぐ欲しい。

新しい生活様式ってことばも、「新しい」じゃなく「今だけの」って言ってほしいし、マスクを日常になんかしたくない。
そんなふうにムキになってしまう私は、ダメなんだろうか。

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