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【推察】浅岡雄也さん13thアルバム「世界の果てで逢いましょう」

浅岡雄也氏のソロデビュー20周年記念となる13thアルバム「世界の果てで逢いましょう」を勝手に「推察」する。

客観的に考察するには好きな時点で主観が勝り過ぎており、独断と偏見に満ちた推察を行う事とする。

「浅岡雄也」氏と言えば「FIELD OF VIEW」

「FIELD OF VIEW」と言えば「浅岡雄也」氏

その存在はご本人のみならず多くの人々により構築されている様に思う。
人々の想いや願い。
年月は歴史となり、その全てを受けとめ「FIELD OF VIEW 浅岡雄也」氏は存在しているのではないだろうか。

FIELD OF VIEWの曲、浅岡雄也氏の歌声を聞き、その当時の記憶や想いが甦る人も多いはずだ。

斉田才氏がいつかのツイッターで仰っておられた。
「浅岡雄也の歌声にはホールがよく似合う」

本当にその通りだと感じている。
FIELD OF VIEW 浅岡雄也氏には大きな会場で歌う姿が似合う。
その存在に比例した光景は誰もが望み納得する姿の様に思える。

FIELD OF VIEWでの活動を長きに渡り支え続けるファンの人々の「愛」
それはどれだけの喜びであり重みなのだろうか。
その「愛」の尊さと重責を受けとめ守り続けて居るのも「浅岡雄也」氏なのではないだろうか。

ソロデビュー20周年を記しリリースされたアルバム
「世界の果てで逢いましょう」
このアルバムは、音楽という世界で生き続ける「浅岡雄也」氏という人が臆する事なく、嘘偽り無き姿をさらけ出し表現している様に想える。

多くの人々が求める
「爽やか」「透明感」「美しさ」
それら全てに応え続けてきたという自負が浅岡さんご自身にもおありなのではないだろうか。

20周年という節目に「世界の果てで逢いましょう」
このアルバムの曲たちが創られたのだと想うと「浅岡雄也」氏というアーティストの潔さに心打たれる。

収められた曲たちからは「ライブハウス」で盛り上がる情景が目に浮かぶ。
(浅岡さんのライブは本当に楽しい。始めての人でも楽しめる。ライブ百戦錬磨の浅岡さんに身を委ねたのなら否応なしに楽しませてくれる。)

私はこのアルバムを「浅岡雄也」氏のアーティスト人生だと想いながら聞いている。
ライブにはお祭りの様な感覚を覚える。
祭り(ライブ)の始まる前の高揚感や期待。
始まりの合図と共に集まった人々の想いが溢れ出し会場に飛び散る。

このアルバムの曲たちには、浅岡さんが近年ライブやFC、ツイッター等を通じて発してきた言葉の数々が登場する。

浅岡さんが日頃感じている想いや事柄を曲を通し伝えてくれている様に思う。

アルバムもライブも序盤は軽快な雰囲気で優しく伴走しながら引き込んでくれる。

ライブ中盤は笑いあり、真面目あり、涙あり。
豊富な話術や楽曲、テクニカルでその世界に誘われる。

終盤
「この時間がずっと続けば良いのに」ライブ終盤に必ず思っている。

浅岡さんは近年「誰」「アナタ」という言葉を多く用いているように思う。

「誰かが待ってるんだ」
「アナタイナイ世界」
「誰の為に愛を知る」

アルバムの曲たちを聞き、歌詞を読んだなら「浅岡雄也」氏にとって「音楽をする事」と「生きる事」は等しく、歌う為に生き、生きる為に歌う心の内が受け取れる。

喜びや悲しみ、苦悩と葛藤

全ての感情さえも歌にのせ曲にしてしまう強さ。
その音楽への想いの強さが「浅岡雄也」氏という人なのだと認識させられる。

浅岡雄也氏への印象は
「繊細なのに骨太」
「貪欲なのに恬淡」

こんなにも人間味溢れ隠さない人が居るのだろうか。
(本当に苦しく耐える姿が表に出る事はないであろう事も推察される。)
このアルバムで自らをさらけ出す事を臆さぬ意味とは、氏の決意表明なのではないだろうか。

「誰と何する」
私が十年来気に入って用いているフレーズだ。
若かりし頃は「明日は誰と何する」だった。

真面目とも不真面目とも受け取れるこの言葉を気に入っていた。

私が今ここ(noteやツイッター)に居るのは「浅岡さんが居る(た)から」だ。
ツイッターもnoteも始めると同時に終わり方を考えていた。
文章を書く事や発信する事が得意な訳でも好きな方でもない。

「面白そうだったから」
SNSと距離を置いていた私が何かを発信するとは…

「浅岡雄也」氏の言い知れぬ力によって私はSNS上で存在している。

「誰の為に愛を知る」
この曲を聞いてから自分の中の何かが変わり始めた気がしている。
私の中の「誰と何する」が。

浅岡さんは歌い続ける事。
音楽を創り続ける事を自ら選択されたのだと思う。
その想いを形として受けとめる人(々)が存在しなければ「浅岡雄也」氏というアーティストも存在しない。
このアルバムは浅岡雄也氏からの恋文であり嘆願書であり血書なんだと想っている。

多くの人にこのアルバムが届く事を願っている。
このぶっ飛んだ世界観はなかなか無いと思う。

時おりライブを見に行かせていただく度に想う。

浅岡さんの姿に瞳を輝かせる人。
涙する人。
そこに集う人々もまた、色々なものを抱えその日を迎えている。
「人が人を想い逢いに行く」
奇跡みたいな瞬間だ。
その奇跡は浅岡さんと、浅岡さんを想う全ての人によって創られている。
どんな形でも想いは繋がって行くと信じ願っている。

「世界の果てで逢いましょう」

https://twitter.com/uyax_asaoka/status/1680434032478388224?t=rZFri472dSM27yRHIGsRPw&s=19